学校ブログ
4月11日【2年体育】体育でもセーフティ
グラウンドから「1,2,3,4!」と元気な掛け声が聞こえてきました。2年生が体育の授業をしていたのです。
校長室から見ていると、「ははははは」という笑い声も聞こえました。
「何を笑っているのだろう」と見てみると、どうやら号令をかける係の子が体操の順番を間違えたらしいのです。
すかさず指導担当の教員が全体に声を掛けます。
「今ね、〇〇さん(号令をかける子)が順番を間違えちゃったでしょう。で、すぐに、『ごめ~ん』って謝ったでしょう。これが素晴らしい。間違えちゃうことなんて誰にでもあるよね。そうしたら、みんなは明るく笑ってあげたでしょう。『間違いなんて大したことないよ』って気持ちがみんなにはあったんだよね。これもまた素晴らしいことだね」
何気ないワンシーンですが、「間違えても大丈夫。周りのみんなは笑って受け止めてくれる」という安心感が溢れていますね。強固なセーフティが構築されているからこそですね。このような何気ない瞬間瞬間を見逃さず、教師が「それは素晴らしいことだよ」と彼らの行動を価値づけてやることがさらに強固なセーフティの構築に繋がることでしょう。
体操が終わり、今度は50m走。どの子もゴールに向かって全力で駆け抜けていきました。そしてそれを後押しする、仲間からの「がんばれー」「がんばれー」がグラウンド中に響き渡っていました。
4月10日【4年国語】「水はつるつる」?
この後に紹介する「為すことによって学ぶ」算数の授業から数時間後。今度は国語の授業を紹介します。
「ケルルンクック、ケルルンクック」と言えば、何度か耳にしたことがある方も多いと思います。
ご存じ草野心平の詩「春のうた」です。
「かえるは冬のあいだは土の中にいて 春になると地上に出てきます。そのはじめての日のうた。」で始まるこの詩は、春の喜びに満ちた素敵な詩です。
この詩を4年生は、ひと文言ずつ問いを立てながら、みんなで話し合っていきます。
例えば、「『みずは つるつる。』ってどう?」という教師の発問から、子どもたちの活発な意見交流が始まります。
「そうだね。水は『つるつる』じゃないよね」「そうだよね。どっちって言うとザーザーとかビショビショとか?」
「ねえ、これ春先の詩でしょう。だからまだ水には氷が張ってるんだよ。だから『つるつる』」
教室は、「なるほど~」という雰囲気になります。
すると別のお子さんが挙手します。
「かえるってぬるぬるしてることがあるでしょう。そんな自分を水に重ね合わせて『つるつる』って表現してるのかもね」
教室は、また「なるほど~」っていう雰囲気になります。
するとまた別のお子さんが、「春の日が当たって、水面がキラキラしてる。まるで氷が張っているように。だから『つるつる』なんじゃない?」
教室はまたも「なるほど~」って感じになります。
子どもそれぞれに読み取り、あるいは考え方に違いがあって面白いですね。
あんまり楽しいので、私思わず手を挙げちゃいました。
「さっきまでの話し合いで、かえるが目覚めたこの日は晴れだと思うわけだよね、みんなは。もしも雨が降っていたら、雨が水面に当たってポツンポツンとか、ざわざわとか言う感じになるよね。でもこの日は晴れている。日の光を浴びてる平らな水面なんだ。だから『つるつる』って表現してるんじゃないかな?」
こんな感じで、同じように『かぜは そよそよ』や『ああいいにおいだ』などについても話し合っていきます。
途中で近くの友だちと話し合いを重ねながら読み込んでいくんですね、さすが4年生。
高いセーフティのもと、穏やかで知的好奇心に満ちた国語の授業。
とっても素敵な時間が流れていました。
4月10日【1年 帰りの会】明日は5時間授業です!
この日まで1年生は3時間目まで勉強したら、下校です。
担任が3時間目の終了を宣言し、「ではこれからお帰りです」と言うと、1年生は「えー!もう帰りなの!?」と不満顔。
担任が子どもたちの知的好奇心を刺激し、楽しみながら学べる授業を構成していたことが大きな要因として挙げられるでしょう。しかし、それだけではなく、子どもたちのもっと学びたいという思いが、「えー!」という言葉に表れていたのだと思います。君たち、学校で楽しい思いをしているんだね。
さらに担任が、「明日は5時間目まで勉強があります」というと、子どもたちははちきれんばかりの大きな笑顔。「そして、給食もあります!」と告知すると、みんな「やったーーーーー!」とガッツポーズやらバンザイやらで大盛り上がりです。
1年生のみんな、明日はたっぷり勉強できるから楽しみにしていてね♡
最後に担任が、「明日は長いから、今夜は早く眠ってね」と言うと、「うん。ぼくは8時半に眠ることにするよ」と就寝時刻宣言も。
1年生のみんな、また明日ね。楽しみにしてお出でね。
4月10日 発育測定
この日は2年生と4年生が発育測定。
子どもたちが養護教諭の指示をよく聞き、順守してくれたおかげで、大変スムーズに行うことができました。
待っている様子も大変立派です。
みんな、成長してたかな。これからも健康に留意して、健やかに育ってね。
4月10日【4年算数】為すことによって学ぶ
さて、新しい担任による授業。子どもたちはちゃんと勉強してるかしらと覗きに行くと、3年生は算数の勉強中でした。『大きな数』について学んでいるようです。
担任の話をよく聞きながら、一生懸命考えている子どもたちの姿!大変すばらしいですね。
あ、カメラを向けたら、注意がそれちゃったみたいね。どうもすみません。
授業では、担任が桁数の多い数字を板書し、「これはいくつですか?」と問うと、子どもたちは「一、十、百、千、万、十万、百万・・・」と右から一桁ずつ数えていきます。
ところが、担任が問題を出しつつ働き掛けると、「あ、数字を4桁ずつ区切れば早く分かるんだ!」と気づいた様子。
さらに、担任がいくつか質問したり、子どもがノート上で作業しているうちに、子どもたちは万や億においても、「一、十、百、千」の繰り返しが応用されるという規則性に気付きました。
多分、子どもたちは、「先生に教えてもらったんじゃなくて、自分で発見したんだ」と感じていることでしょう。
担任が「『一、十、百、千』は万でも億でも同じように順番になっているんだよ」と伝えれば早いかもしれません。
しかし、それでよしとしないのが、この担任のもつ教育観のすばらしさだと思うのです。
これぞ、「為すことによって学ぶ」の一つの方法です。
「説明的な授業」ではなく、対話によって友だちの発言から学んだり、担任の質問に答えたり徐々に何度が高くなる問題を順に解いていくうちに規則性に気付いたりするという学び方によって理解は強まります。私たちはこのような授業を大切にしたいものです。
子どもたちも担任も、お見事。
4月9日【3年理科】タブレット片手に
3年生は理科の学習中。理科は3年生から学習するというカリキュラムになっていますから、彼らにとっては初めての体験です。
まずは春を探す授業。タブレット片手に、春に見られるものを見つけ、どんどんシャッターを切る子どもたち。おおお、様々なもの、見つけとるねー、君たち。
普段何気なく歩いているだけだと気付かないことでも、こうして理科の時間に歩いてみると、季節の移り変わりって、感じることができるもんだね。
4月9日【1年朝の支度】上級生、登場!
1年生にとっては初めてのことばかりな学校生活。親御さんはさぞご心配なことでしょうね。朝の支度はちゃんとできているかなとかね。
でも心配ご無用。上級生にお任せあれ!って感じで、児童玄関に入ったところから、上級生が1年生のサポートを万全にしてくれています。
お陰で1年生もニコニコですね。
ホント、頼りになるね、上級生のみんな!
4月9日【6年総合】松くい虫に何本くらいやられちゃってるのか?
昨年度の担任の先生からの宿題です。それは、松枯れ問題について追究すること。
地域の課題を地域の方とともに対話することをとおして解決策を練り、関係機関に働き掛けつつ、課題解決を図るという構想です。
さて、この日、6年生は昨年度の学習を思い出しつつ、「ところでうちの学校の松は、何本くらい松くい虫にやられて枯れちゃってるのか?」と調べてみました。
子どもたちは平ビニルテープを持って、枯れている松にいる印を付けていきました。
すると・・・、なんと30本以上!(32本だったかな?)
今後は森林組合の方にお願いして、マツクイムシに強い『にいがた千年松』の苗の調達に取り組みます。
4月9日【6年国語「対話」】教科書の『扉の詩』
もう一丁、6年生。
国語の教科書を開くとまず出てくるのが詩です。我々の業界では「扉の詩」と言ったりすることもあります。
この扉の詩、なかなか難解なのです。
「一まいの紙から、船が生まれる。飛行機が生まれる。ひとかたまりのねん土から、象が生まれる。つぼが生まれる。生まれる、生まれる。私たちの手から次々と。」
我らが6年生はこの詩に対話(探求の対話、p4c)で挑みます。
では超ダイジェストで見ていきましょう。
「この生まれるってさ、『作る』って意味だよね。なんで『生まれる』にしてあるんだろう?」
「そうだよね。それも、『生む』じゃなくて、『生まれる』なんだよね」
「『作る』じゃなくて、『生まれる』なのは、折り紙で作ったものが本当に動いたと思ったからなんじゃないの?生き物が生まれるって感じで」
「『作る』だとさ、いくつかのものを組み合わせるとか、材料として使って作るって感じなのに対して、『生まれる』は何もないところから生じるって感じがする」
私も介入し助け船を出します。
「たとえば人の赤ちゃんを考えた場合、小さな精子と卵子から人は信じられないような成長と遂げて、赤ちゃんとして生まれる。何もないところから人になるって言ってもいいくらい」
6年生は言葉一つ一つに着目して対話をしています。これぞ「ザ・国語」って感じでいいですねー。
初めはこのように言葉一つ一つを検証していって、ある程度進んだらより大きな観点に対話は舵を切り始めます。
「何もないところから生まれるんなら、そこには想像力が必要だと思う」
「そうだね。想像力がなければ、自分は何を作ってるんだろうって疑問に思っちゃうと思う」
「ものが生まれるってさ、『想像 × もの』で生まれるんだよ。ものだけじゃだめで、そこに想像力がないと」
「ものじゃなくて、生き物なら、紙や粘土からは生まれない。生き物を作ったんだって想像することで初めて完成する。想像しなければただの粘土の塊」
「あっ!『想像』と『創造』をかけてるんだよ、この詩は。だってこの詩の隅っこに『創造』って書いてあるでしょう。それにこの教科書のタイトルも『創造』だし」後から振り返ってみると、この発言がこの対話を決定づけたのです。ここで「創造」という概念が登場し、一気にこの詩の本質に迫るようになります。
「ああ、なるほどね。そうかも」
さらに担任は編集部の意図をきっかけに、これからの自分たちの生き方に迫れるよう問い掛けます。
「ねえ、みんな。教科書編集部の人たちは、どうして教科書の冒頭にこの詩をもってきたんだろうね。私たちに何を期待しているんだろう?」
「う~ん。そうだなあ。自分たちの想像から何かを想像してほしいと期待しているのかな?」
「そうかも。私たちに想像しながら何かを創り出してもらいたいって願ってる」
担任は次の問い掛けでこの対話を終了します。
「これは国語だけのこと?それとも・・・」
「全部だよ。全部想像しながら創造してほしいって」
以上6年生、じっくりじっくり考えながらぽつりぽつりと話す対話。それでも、いやそれだからこそ深いところまで行けたのじゃないかしら。
この難解な詩を、よく自分たちだけの対話で解釈できたと思います。発見もあったしね。お見事!素晴らしいよ、君たち。さすが6年生!
4月9日【5年国語「対話」】教科書の『扉の詩』
5年生も国語の教科書の「扉の詩」で対話です。手元に教科書を置きながら、やっぱり難解な詩に挑んでいます。
詩は教科書のタイトルと同じ『銀河』です。内容を見てみましょう。
「あの遠い空にひとすじ 星たちが、ぶつかり合い、重なり合い、河のように光っている『銀河』。牛乳をこぼしたようにも見えるから、『乳の道』とも言うそうだ。どっちもいい名前だなあ。」
子どもたちの様子を見ていると宇宙とか牛乳とかの具体物から離れられないようでしたので、「メタファー」「隠喩」ということについて伝えています。それを踏まえてご覧ください。
なお、この授業は最後の方しか見ることができませんでしたので、全貌をご紹介することはできませんが、最後の一部分だけでもどうぞ。いい対話だったんだろうなと思えます。
「『ぶつかり合い、重なり合い』ってあるでしょう。これって『人が喧嘩したり、協力したり』ってことを表してるんじゃないの?」
おおっと!いきなり核心を突く発言です。
「そうだね。みんなで協力したら、銀河のように光るすごいものができるっていうことなんだよ」
「ああ。協力して仲良くなったり、ケンカして仲悪くなったりかあ」
「これさ、『友情』について表現してる詩なんじゃない?」
あー。なるほど。友情かあ。なるほど。
「『友情』もあるかもしれないね。でも僕は『人生』でもいいんじゃないかと思うんだ」
「『人生』の中で様々な人に出会って、仲良くなったりケンカ別れしたりか」
「『人の心』でもいいんじゃない?」
「そうだね。そうやって考えると、この詩は星のことを言ってるんだけど、人の集団や人生について表現しているのかもしれないね」
最後の方しか見れなくて残念!でもロキシー・ミュージックの『♪ピジャマラマ』って曲はエンディングだけでもものすごくかっこいいから、それだけでも名曲って言いきっちゃうもんね、私は。
この対話もラストだけでも十分いい対話って言えるのじゃないかなと思います。