10月13日の1年生の対話は、ウサギの世話の第1シーズンの振り返りでした。
そこでは、こんなシーンがありました。再掲です。
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教師「さっきの質問なんだけど、掃除したら暗い場所をウサギが気に入っちゃって、そこから出てこなくなっちゃったら?それでもいい?」
「ウサギがいいんだったらいいよ。ぼくは」
しかし、挙手してもらうと、ウサギが喜んで暗いところにずっといたらやっぱり嫌だなという子が圧倒的多数に上りました。
ウサギがいいならいいとする子はわずか2人です。
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ウサギの世話第2シーズンを終えた子どもたちが 真にウサギのために世話をするということについて、この日、再びp4cで振り返りました。
始めの問いは「ウサギさんはどんなところがかわいかったの?」です。
今回の記事は長いですよー。時間のある方は心してお読みください。
読み終わった後は、きっといい気持になると思います☆

「モフモフしてるところがかわいかったよ」
「走っている後ろ姿がかわいかったな。触ったらふわふわしてた」
「鼻をひくひく動かしてた。それがかわいかった」
「うんことかおしっことか、たくさんしてたところがかわいかったよ」
などなど、「うさちゃんかわいい!」が止まりません。
一方で、「かわいいだけじゃなくて、大変だったこともあった」という発言を契機に、大変だった世話についても語られていきました。

「掃除をするのが大変だった。ゴミを取るのとか」
「そう。掃除の時、籠みたいなのを持つとき難しかった」
「それって、ケージのこと?」
「ああ。ケージか」
「おもちゃを作ってあげるのが大変だった」
「うん。どんなおもちゃならウサギさんが喜ぶかなって考えることが大変だった」
「そう。こういうのがいいと思っても、それをどう作ったらいいのか分からなくて・・・」
「そのうちに授業の時間がどんどん少なくなっていっちゃって・・・」
「急がなくちゃならなくて、『早くしなくちゃ』ってと思って大変だった」
「風が吹いてるときは、段ボールとかシートとかが飛ばないようにするのが大変だった」
「うん。水替えもさ、お皿いっぱいに水入れて、それをこぼさないようにケージのところに持っていくのが大変だった」
「○○さんと同じで、水がこぼれそうになっちゃって、それが大変」
教師「お皿に水をたくさん入れて運ぼうとするからこぼれそうになるんでしょう。入れる水の量を満タンじゃなくて、ちょびっとにしたらよかったんじゃない?」
「でもそうしたら、すぐに水を飲み切っちゃう。ウサギさん、のどか湧いちゃうよ」
世話してるときに、皿だけ先に持って行って、後でコップとかで水入れるなどの方法もありそうですが、敢えて教師は言わなかったんですよね。教師目線で考えると、素晴らしい判断だったと思います。
「餌をどれくらい入れればいいか、分からなかった」

「ケージの中を掃除するとき、うんこを片づけるのとか大変だった」
「ゴミが飲み水の中に入っちゃって・・・」
「トイレ掃除が大変だった」
やっぱり↑これね。
「でも、ウサギさんの世話は大変だったけど、楽しかったよ」
キターーーーー!この発言を実は待っていたのです。
教師「ねえ、大変だったけど、楽しかったことって他にある?」
「散歩とか大変だった。ウサギさんは足が速くて、追いつけなかった。だから散歩の後捕まえるのが大変だったの。でも、走っている姿はかわいかったから、楽しかったよ」
「どこを散歩させようか、どこなら安全に散歩できるか、探すのが大変だった」
「餌を入れるとき、どれくらい入れたらいいか分からなかった」
先ほどの発言が繰り返し出されました。
教師「そんなとき、どんなこと考えながらやったの?」
この発言は、非常に重要。担任の先生が対話の終着点に据えてる境地が、少し見えた気がしました。

「ウサギの世話の1回目の時にね。抱っこした時、ウサギさんが足バタバタさせてたから、私がケガしないようにしたんだ」
ほーほーほー。
「でも他の子は上手に出来てたから、2回目の時は『上手に抱っこしよう』って思て挑戦したの。うまくできて嬉しかったよ」
「『ウサギさんの餌、何がいいかな?」って、家の人に相談したの。そうしたら、ブロッコリーをもらったの。ブロッコリーあげたら、ウサギさん食べてくれて嬉しかったな」

「うんこの片づけは大変だった」
ここで私の意地悪心がむくむくっと出てきちゃいました。うふふ。
私「ねえ、大変だったら、やらなきゃいいんじゃない?だって、掃除とかしなくても、君たちは困らないでしょう?」
「う~ん・・・。そうしたらウサギさんが困っちゃうよ」
私「掃除って大変でしょう。前にp4cやった時には『大変だから、やりたくない』って言ってた人もいるくらいだし」
「ぼくは別に『やりたくない』なんて言ってないよ」
私「でも○○さんは、掃除してたよね。掃除は大変だったのに、どうして?掃除しないで、ただ撫でてるだけにすればよかったんじゃないの?」
こうして文字起こししてると、結構畳みかけとるねえ、私。
そんな私に、子どもたちは一丸となって敢然と立ち向かったのです!
「何で掃除をしなくちゃダメかというと、掃除しないとウサギさんもケージも汚くなっちゃうから」
「飲み水は汚れ、うんこは溜り、餌も汚くなっちゃう」
「ゴミだらけで、ケージの中が狭くなっちゃう」
「そうしたら、ウサギさんはがっかりしちゃうよ」
「そう。ウサギさんもぼくたちもがっかりしちゃう」
なんとー!こ、これはケアリングの精神じゃないですか!?
「掃除は、絶対やらなくちゃならないものじゃないかもだけど、ウサギさんががっかりしたら、ぼくたちもがっかり」
「ウサギさんがせっかく私たちのところに来てくれたのに。嫌な気持ちになっちゃう」

担任「みんなは掃除してるときって、どんな気持ちで掃除してたの?」
「ウサギさんを角田さんのところから借りたのに、汚くなっちゃったらがっかり」
「掃除しないと水も汚くなって、飲めなくなっちゃう」
「そう。ウサギさん、死んじゃうかもよ」
「そんなの嫌だよね」
私「なんでウサギさんが死んじゃうと悲しいの?」
こうして、文字起こししてると、やっぱり私結構突っ込んでますねえ。
「ウサギさんが死んじゃったら、みんな悲しむよ。だから、ちゃんと世話して、ケージをきれいにしたいんだよ!」
「みあちゃんたち(2羽のウサギの名前)がせっかく私たちのところに来てくれているんだから。やっぱり死んだら、悲しいよ」
あああ!子どもたちのウサギ愛が大爆発!
君たち、ウサギさんを愛してたんだね。
さらに!
「ウサギさんだけじゃないよ!植物も、他の動物も人間も。みんな生きてるんだから大切にしない!」
ああああああああああ!
ウサギに当てはめていた命の価値を他の生命にも拡張させています。
恐るべし、1年生!!!

子どもたちがさらに畳みかけます。
「命を無駄にするとダメだから、私たちはみんなで協力してお世話した」
担任は子どもたちが獲得しようとしていた価値をさらに強固なものにします。
「じゃあ、抱っこしたり散歩させたりするだけじゃ、大切にすることにはならないの?」
「もっと愛情を与えるためには、掃除は絶対にしないとダメ。それが大切にするってこと!」
まだ多少ゆれている価値観が確かなものになっていきます。
「それはウサギさんだけじゃなくて、他の動物を飼うときも同じことだよ」
ウサギさんだけに限定していた対話が、いつの間にか他の命にまで大きく拡張されていったのです。

教師「前回の対話で、きれいに掃除したらウサギさんが居心地よくなって、物陰にずっと隠れたままになっちゃったとするよ。みんなはそれでいいの?」
「たとえ出て来なくなっちゃっても、掃除してた方がいい」
「ウサギさんは気に入ってくれたところにいるんだから、それでいい」
「ずっと隠れてたとしても、掃除の時には出てきてくれるから、その時に撫でたり抱っこしたりすればいい」
「ケージが汚くなって、ウサギさんがいなくなったら、ウサギさんも悲しいけど、私たちも悲しいよ」
挙手してもらうと、みんな同様の考えみたいでした。
そして、担任がとどめの一撃!
「『大切にする』って言葉で言うのは簡単だよね。でも難しいことなのかもね。でもそれをすると・・・」
私、対話に感動しちゃって、〆の言葉を記録すのを忘れちゃいました。すみません。
でも、推して知るべしですよね。
別に教師が教えているわけではないのですが、ノディングスのケア理論とかに接続していたp4c(対話)になってました。
相手の喜びが、自分の喜びになる。相手の問いが、自分の問いになる。相手の苦しみが、自分の問いになる。
これは、他者との出会いによって、自分の世界が広がっていくことでもあります。
そして、ケアリングを基盤としたp4cでは、単に相手を思いやるだけでなく、相手の存在によって自分自身も変わっていくことが重要なのではないでしょうか。
素晴しい対話でした。
今一度言いましょう。
恐るべし、1年生!
君たち、サイコーだよ♡♡
