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1月27日【1年国語p4c】誰とでも

1年生は国語の教科書の冒頭に掲載されている詩(いわゆる「扉の詩」)でp4cをしました。
教師と子どもたちが、「この言葉ってどういう意味?」「ここの部分はどういう意味なんだろうね?」と話しているうちに自然と問いは決まっていきました。
問い「『ともだち、ともだち。みんな ともだち。いいな、いいな・・・』って何がいいんだろう?」
では行きましょう。1年生の対話、とくとご覧あれ!

「この世界の動物や植物たちと友だちって、いいな、ってこと」
「友だちがいっぱいだといいなって意味」
教師「友だちって人間だけのこと?」
「ううん。鳥とかネズミとか、水族館の生き物とかも友だちだって言ってる」
教師「え、どこ見れば分かるの?」
「ほら、詩の上のイラストだよ。人間が鳥やネズミとも手をつないでいるでしょう。だから動物や植物も友だちって意味」
「それは友だち、多くなるね」
「地球の生き物はみんな友だちだからいいなってこと」


「動物ってさ、人間よりも早く死んじゃうことが多いでしょう。だから動物よりも人間が友だちの方がいい」
「友だちだけじゃなくて、お家の人がいっぱいいるといいな」
「動物とか植物とかは触れるでしょう。でも空は触れない。だけど触れなくて見ているだけで友だちになれるよ」
「人間はしゃべれるからいいなって言ってるんじゃないの?」
「だから仲良くなれる。それで『いいな』」
「人は走れるからいいなって思った」

この段階での子どもたちの「いいな」の理解は、「人は〇〇できていいな、動物からしたらうらやましいな」という捉えと「友だちがたくさんいるって嬉しいことだな」の2種類あるようです。
もう少し、対話を子どもたちに委ねてみましょう。

「みんないろいろな趣味があるでしょう。友だちが多いってことは多くの趣味について分かったり、教えてもらったりするから嬉しいなってこと」
「魚は水の中でも息ができるから、人は魚はいいなって思ってる」
「虫や鳥はしゃべれない。人もジャンプはできるけれど、すぐ地面に落ちちゃうから飛ぶことはできない。虫や鳥は人をうらやましいって思ってるし、人は鳥や虫をうらやましいって思ってる」
「私は詩で『いいな、いいな』って言ってるのは、友だちがたくさんできて嬉しくて言ってるんだと思う。うらやましいじゃない」
「そう。それといっぱい友だちができるといいなって気持ちもあると思う」

ここで私も介入。「ねえ、さっき人は話せるから人と友だちになりたいって意見が出たよね。じゃあ、話せない人とは友だちになりたくないの?得意なことがない人とも友だちになりたいの?」
「私は得意なことがない人とも友だちになりたいなあ。一緒にやるとできるようになると思うよ」
教師「ああ、そういうこと教科書の詩にも書いてあるよね」
「あ、書いてあった!できない子でも一緒にやればできるようになるってこと。できない子でもね。できないからって友だちになりたくないってことはないなあ」
「人ってさ、あきらめなければ、できるようになるんだよ、きっと」
「私は世界中のいろいろな人と友だちになりたいなあ。得意技がない人ともね」

教科書にはこの詩のタイトルは掲載されていないのですが、実は『ともだち』っていう詩なのです。この教科書自体にも『ともだち』って題名が付けられていることからも、この扉の詩の趣旨と教科書編集者の方々の願いは明らかだと思えます。

1年生のみんな、まもなく小学校生活の最初の一年が終わるね。どうだった?私が見る限りはみんなは仲良くなるばかりじゃなくて、できなかったことにも一緒に挑戦し、解決したことが多かったんじゃないかしら。
対話に1年生の一年間の学びが詰まっていた、そんなp4cになりました。