4月25日【1年】耳の後ろの糸車

1年生。聞く態度が大変立派なことはこれまでも触れてきました。
ある日のエピソードをひとつ。授業終了まで、少し時間に余裕があったので、学習指導員が1年生にこんな話をしました。
「耳の後ろに見えない糸車があるの。この糸車、いいことをすると右耳の糸車がカランと1回、回るのです。逆に悪いことをすると左耳の糸車が1回カランと回るの。そうすると、死んだとき、右の糸車と左の糸車が回った回数が数えられて、どちらが多いかで死後の行き先が決まるのです」
息をのむようにして聞いていた1年生。学習指導員の話は1年生にもグッと来たようで、子どもたちは教師をじっと見つめてましたが、やがて「ぼく、いいことをする」「私もいいことをするよ。いい子になる」と口々につぶやいていました。
私が子どもの頃は、「悪いことをしたときに、周りに誰もいないと思っていたとしても、お天道様が見ていらっしゃるんだよ」と言われたものです。そう言えば、2年生の道徳の教科書にも「ののさん(お月様)が見ている」という教材があったっけ。
宇宙や自然の原理では説明できないものがあるとして、ドイツの哲学者 カントは,「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」と述べています。
道徳的実践意欲の土台となるものは、こうしたものが積み重なって育成されるものでもあるのでしょう。