12月12日【6年『さん付け』p4c】まだまだ乾きません

先日、教育委員から「子どもたちの学校運営への参画意識が高い」とお褒めの言葉をいただいた築地小学校の子どもたち。
当校が理想とする教育像は「子どもがつくる学び 子どもがつくる学校」です。
この日、6年生がp4c。選ばれた問いは「『さん付け』について、6年生はどう思っているか?」です。
『さん付け』についてのp4cは今回で2回目となります。
当校の生徒指導の中核に対して、6年生がもの申ーす!あるいはもっと深く考えたーいって感じですね。私としては、ウエルカム☆ウエルカム!
では見ていきましょう!

「前に『さん付け』についてp4cやった時、『さん付け』されたくない人がいたから、みんなはどう思っているのかなって?」
「あなたはどう思うの?」
「う~ん、私はね。『さん付け』されたくない人がいるなら、『さん』を付けなくていいと思う」
「私は『さん付け』は別にいいと思うんだけど、相手が別の呼び方をしてほしいのなら、その呼び方をすればいいんじゃない?」
「うん。『さん付け』をしたい人だけ『さん付け』すればいい」
「『さん付け』されたい人だけ『さん付け』する?」
「う~ん。どうかなあ。『さん付け』されたい人だけ『さん付け』されるのって、違う気がする・・・」
「『さん付け』される人とされない人とでは、区別されちゃうんじゃないの?『さん付け』せずあだ名で呼ぶ人とは仲良し、『さん付け』して呼ぶ人とはそれほど仲良しじゃないって」
「2人で呼び合うなら、自分も相手もいいならいい。嫌なら『そう呼ばないで』って言えばいい。言うのに勇気が必要なら、勇気を出すのも必要」
「私は、自分が呼んでほしい呼び方で呼んでほしいなあ」
「じゃあ、呼ばれたい名前を名札に書くっていうのは?」

「『さん付け』は授業中だけでいいんじゃない?『さん付け』されていい気持ちにならない人もいる。そのことに対しては否定しない」
「今の意見を聞いて思うんだけど、この前浮須社長さんの話を聞いたでしょう。社員の働く環境づくりが大事だって。『さん付け』でも会社経営でもそれは同じことなんじゃないかな。トランス男性が『さん付け』が嫌だって言えないんだとしたら、LGBTQ+だっていいんだと思える環境にすればいいんだ」
「どうして授業とかの改まった場面だけで『さん付け』すればいいって思うの?」
「なんか、あだ名だとか『ちゃん』は改まった場所では使わない方がいい気がする」
「そういうのは授業以外ならいいのかな?」
「うん。授業は遊びじゃないから」

「友情ってさ、呼び方で表すもんじゃないと思うんだよ。深い友情は『さん付け』でも築けると思う」
「この対話では、『さん付け』のどんなところがいいのかって話が出ていないよね。『〇〇という呼ばれ方をすると辛い』とかって、マイナスのことばかりでさ」
「そうかも」
「『くん付け』やあだ名での呼び方には慣れているから、呼びやすい」
「私には名前が同じ友だちがもう一人いる。下の名前に『さん付け』なら同じ呼び方になっちゃう。そういう場合はあだ名の方がいい。『さん付け』だと苗字まで言わなくちゃならないから、呼ぶのに長くなっちゃうんだ」

ここまで、子どもたちが考えに考えた発言が炸裂しています。思考力爆発です!


満を持して、私がここで介入。
「『さん付け』を進めたい理由は3つある。
 1つ目は、LGBTQ+の人たちが苦しい思いをしないように。近年、履歴書で性別欄は「男、女、その他」の3つから選択できるようになっているものがある。一見いいようだけれど、「男」でも「女」でもなく「その他」を選ぶってことはLGBTQ+であることをカミングアウトするのと同じになっちゃう。だから、選択肢じゃなくて、大きな空欄にして、そこに自分の性別を書き込めるようにしているものもある。でもこれも問題がないわけじゃない。性別欄はそのそも必要なのかって議論がある。肝心なのはLGBTQ+の人って見た目じゃ分からないってこと。もしかして、自分の呼び方でつらい思いをさせている人がいるかもしれないと、見えないことに対しても配慮しなくちゃならないことがある。
 2つ目は、呼ぶ、呼ばれるの2者だけの問題じゃないってこと。あだ名で呼び合う2人を見ていて、辛くなる人もいるんだ。周囲と親しくなれず、いつまでたっても『さん付け』で呼ばれる人は、あだ名で呼び合う人たちを見て悲しい思いになる。そういう人にも配慮しようってこと。
 3つ目は、学校においては、『さん付け』は人権教育だってこと。『さん』は相手に対する敬称なんだ。歴史的に言えば、『君』よりも敬う言い方。『さん』を付けて呼ぶことによって学校全体で相手を敬う気持ちを育てていきましょうという思いがある。全校で築地小がどのようになってほしいかを考えていきたいなあって思っている。呼ぶ、呼ばれるの2者だけの問題じゃない。悲しい人を一人も出さず、みんなを尊重して大切にしていこうっていう心が『さん付け』には込められているんだ」

しばらくの沈黙の後、再び対話が始まります。
「みんなが一斉に『さん付け』するならいいけど・・・。でもやっぱり私はあだ名で呼ばれたいな」
「トランスジェンダーなどLGBTQ+の人が否定されない学校になったらいいと思う。性的マイノリティの人に『そういう呼ばれ方は嫌なんだ』と言うのに勇気を出させるというんじゃなくて、セーフティのもと安心して自然に言えるような環境にしたいよね」
「じゃあさ、こういうのは?2週間を実験期間にして、まず1週間『さん付け』してみて、次の1週間であだ名で呼び合ってもいいようにするの。そうしたらどうなるか。全校でやるのが難しいなら、6年生だけでもどうかな?」
「呼び方をすべて『さん付け』に統一するのが、悲しい人をも幸せにするのの一番の近道だと思う。でも、それを強制することでみんなが幸せになれるの?別の方法はないかなあ」
「私はね、『さん付け』には反対じゃないです。でも『トランスジェンダーの人たちのためだ』って言いすぎなんじゃない?呼び方は様々ある。あだ名がいい人もいるし、『さん付け』を嫌がる人もいる。人の好き嫌いって多様なんじゃないかなあって」

『さん付け』について、子どもたちは揺れ動き、様々な意見があいまいなまま交錯する対話となりました。
対話後の振り返りでは「このp4cにセーフティがありましたか?」の設問に全員が挙手、「友だちの考えから新たな考えを持つことができましたか?」の設問には全員がものすごくピーンと挙手していました。
6年生にとっては『さん付け』についての議論はまだ乾いてはいませんが、『さん付け』について確実に深ーい考えに辿り着いているようです。
『さん付け』についてのp4cは、これで終わり?
いいえ、6年生が望むならこれからも何回でも!