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「p4c」の記事一覧

さあ、チビユニティ。ご存じの方も多いと思いますが、とにかくもの凄いダンスのプロ集団です。この度、当校にお出でいただくことができましたー🎉はくしゅー!わーわー、やんややんや👏

3時間目はダンス体験。これが楽しかったですねー。みんなものすごく楽しく踊ってました!

続く4時間目も5・6年生合同で、まずはチビユニティのスーさんのお話を伺い、その後はゆうたさんも一緒になって探求の対話(p4c)です。

対話の時間が30分間。今の彼らにとっては短いですよね。それで問いは私が設定しました。

チビユニティのお二人は既にプロとしての評価の高いダンサーでいらっしゃいますが、夢の実現のために未だに努力を続けていらっしゃるとのこと。

それを受けてこんな問いにしました。「夢の見つけ方」。う~ん。我ながら詩的な問いにしちゃったな―。うふふ。チビユニティのお二人のお話も交えつつ、子どもたちは熱心に対話しましたよ。ここでは超端的にご紹介します。

「どうやって夢を見つけるかというと、やっぱりたくさんチャレンジしてその中で見つけるのだと思う」

「夢は最初から明確じゃなくても、何か努力しているうちに見つかるかもね」

「好きなものを追いかけているうちに、見つかるんじゃないかな?」

「チビユニティのスーさんはどうですか?」

スーさん「私は夢をかなえるにはどうやったらいいか分からなかったんです。でもある人に出会って、その方から誘ってもらったりしたことがきっかけかな?だから、今度出会う人の中で声をかけてもらえるかもしれない。そういう夢のきっかけを逃さないようにするのが大事だと思うよ」

「うん。たくさんの人に出会って、あこがれている人を見て、『ああなりたい』とかと思ったりして、夢って見つかるかもしれないね」

ゆうたさん「私、子どもの頃はサッカー選手になりたかったんだ。一生懸命やってたからスカウトされたりしてJリーグのユースチームに入るくらい毎日サッカー漬けだった。でも結局その夢は叶わなかった。その後転機になったのは学校の文化祭のイベント。下手だったんだけどダンスをしてそれを動画に撮ってたりしたの。そうしたらそれが楽しくなって。心から楽しいって思えるようになった。それが今チビユニティに所属していることに繋がっているんだよ」

「みなさんに質問です。自分が興味あることとか、好きなことを見つけるにはどうしたらいいと思いますか?」

「そうだね。好きなことや興味のあることって、自分の武器になるかもしれないしね」

スーさん「ゆうたさんがサッカーで挫折したからこそ、今の自分があるっていうのは大事なことかもしれないね。挫折して別の夢を見つけるのって難しいことだと思う。でもゆうたさんは下手だったけど、やっているうちにいつの間にか楽しくなっていったんだよね。私はね、英語が苦手だったんだけど、ダンスで夢をかなえるために海外に行くから、それで一生懸命英語の勉強したの。そのうちに英語の勉強が楽しくなってきたんだ。今は上達して、結構話せるようになったよ」

子どもたちはチビユニティのお二人の話に聞き入っています。ここで再度スーさんから質問です。

スーさん「みんながやりたいことって何?みんなから自分のことについて話してほしいな」

「私は歌です。まだそれほど上手じゃないとは思うんだけど、私の歌声をいいって言ってくれる人もいるんだよ」

「私は絵です。絵を描いていると楽しいし、もっと頑張りたいって思うんだ」

「私も絵です。もっと練習してうまくなりたいって思ってる」

「私は、バスケ。でも上手になりたいって言うより、もっと楽しみながらやりたいって思うよ」

「私は読書が好きです。だから将来は本屋さんになりたいな」

スーさん「みんな自分の夢や思いを語ってくれてありがとう。ゆうたさんが、別の夢を見つける難しさについて話してくれた。自分はダンス下手だったとも話してくれたよね。私はまだ若いし、みんなはもっと若い。私たちはダンスをやっていて、評価もされているけど、もっと人を感動させることはできると思うし、可能性はまだまだあると思ってる」

ゆうたさん「そうだね。諦めたら、もうそこで夢は叶わなくなっちゃう。でも失敗を繰り返すうちに、よくなっていくものなんじゃないかな?」

対話は大体こんな感じだったと思います。発言順とか発言者は間違っていると思いますが、ご容赦ください。

ただ、間違いなく言えることは、この対話は子どもたちに勇気を与えたということ。「失敗してもそれで終わりじゃない」、「失敗を繰り返すうちにものになっていくことがある」、そして「可能性はこれからもずっとあるんだ」といったうメッセージを子どもたちは受け取ったのではないかなと思います。

また、対話の中で誰が発言したのかは定かではないですが、子どもの中から出された質問に子どもかチビユニティのお二人が答えるような形で、「夢は一つじゃなくていいんだ」ということも語られました。なんて美しい言葉なんだろうと思います。

 

子どもたちはもちろん、チビユニティのお二人も含めて、夢を追いかけている途中同士の対話。見ていた私も、なんだか勇気が湧くような気がいたしました。チビユニティのお二人、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。また、お二人を派遣してくださったチビユニティ様全体と、素敵な対話を見せてくれた子どもたちにも心からのお礼を。

「地層はなぜ縞々なのか?」

子どもたちにまだ何も教えていない段階での対話(p4c)にチャレンジです。

先日、地層見学した折に、市教育委員会の指導主事から教わったことを手掛かりにこの謎を解明します。

しかし、あまりに謎過ぎて、到底解決にまで行きつくはずもありません。

それでもいくつかの推論が提出されましたよ。

「教育委員会の先生は、この地層があった場所は海の底だったっておっしゃってたでしょう。だから波の力で縞模様になったんじゃない?」

「以前から作られていた地層と土が混ざり合って新しく地層がつくられたんじゃないかな?」

「石が丸かったでしょう。あれば水の流れのはたらきによって角が削られたんだよね。水の流れ方の違いによって、縞々になったんじゃないかな?」

「地層から地球の歴史が分かるって、教育委員会の先生はおっしゃってた。赤い土は、昔暑かった証拠なんだって。地球の歴史を見れば、暑いばかりじゃなくて寒くなったりもしたんだろうし。そういう水温の違いによって色が変わって縞々に見えるんじゃないかな?」

「海の底でこの地層は作られたんでしょう?染み込んだ塩の量や日光にさらされたかどうかによって、色とかが変わったんじゃないかな?」

「地層はれきとか砂とか、粘土とかでできている。れきの層とか砂の層とか粘土の層とか。石の大きさの違いで縞々に見える。そういうのって、やっぱり水の流れのはたらきに関係あるんじゃないかな?」

「地層の下の方は粘土だったでしょう。それって、ある年代に水が少なくなって、水上に出たから、水の中の層と違いが出たんじゃないかな?」

「水の流れの違いによって、石の削られ方が変わる。それが層の違いになったんじゃないかな?」

子どもたちの発言の最後には、いずれも「?」が付いていますね。

私、対話の前に言ったんです。「p4cって正しいこと、分かってることを言っていればいいってもんじゃない。今日はさ、『こうじゃないかな?』って分からないことをそのまま発言しようじゃないか」って。

推論を積み上げていって、真実が見えてくるかもしれない。それに賭けてみました。結局は正しい結論にたどり着くことはありませんでしたが、それでも子どもたちの課題意識は高まったんじゃないかって思います。

さあ、次の理科の時間はいよいよ謎の解決編だよ!

当校では11月下旬に「いじめ見逃しゼロスクール集会」を実施します。そしてその中で、縦割り班ごとの全校p4cをする予定なのです!おー!ビックチャレンジ!!

この日、6年生は全校対話(p4c)の問いを決めました。そして選ばれたのは、

「いじめに関するp4cをしていじめはなくなるのかな?」です!

おー、どうなんでしょうねえ。

 

とりあえず、この問いでどんな意見が出そうか予想してみました。

「やっぱり人によって違うと思う。対話が心にささった人はもういじめはしないと思うけど、刺さらない人は・・・。人によって違うと思う」

「いじめはダメだって強く思えるp4cじゃないと」

「対話だと言葉だけだからだめで、行動が伴わないといじめはなくならないと思う」

「じゃあ、いじめがなくなるようなp4cってどんなp4cなの?」

「築地小学校ではいじめがなくなっても、他のところではいじめはなくならないんじゃない?」

「ほかのところにもいじめはダメって伝える方法を考えた方がいいかも」

他にも意見が出されましたが、こうして文字起こししてみると、なんだか対話(p4c)のようになってますね。

それでもやっぱり難しいと見えて、ぽつりぽつりとしか意見が出されません。

その後、紆余曲折を経て、結局問いは次のものに再設定されました。

「明日から簡単にできる、いじめをなくす取組は?」

 

ファシリテーターは我らが6年生。班ごとに行うのですから、黙ってたら誰かほかの人がやってくれるってことはありません。

さあ、6年生よ、覚悟を決めて、自分でファシリテートをしっかりやって、縦割り班ごとのp4cを成功させてくださいね。

がんばれ、6年生!

なお、今後、私なりのp4cのファシリテートの方法を子どもに伝授する予定です。

当日、一回自分でファシリテートしてみると、対話の全体像がおぼろげながらにもつかめるようになって、より質の高い対話(p4c)ができるようになると思います。去年の6年生のようにね。

*ちなみに、私はいじめ防止に対話は極めて有効だと確信しています(理由は省略します)。

 ChatGPTさんに訊いてもみたんですけど、やっぱり同じようなこと言ってましたよ。さすがだなあ、ChatGPTさん!

6年生は総合の時間でNPO法人ヨリシロの代表理事 神田圭奈 様よりお出でいただき、出前授業をしていただきました。神田様はヨリシロの代表でありながら、市の振興推進サポーターでもいらっしゃるんですよ。

もともとは胎内市のご出身ではないとのこと。でも胎内市を盛り上げるために移住して活動されているのです。

え、何で縁もゆかりもない胎内市のためにここまで尽力されているのか問うたところ、ご自身では、「地域から学びを得て、生活をクリエイティブにしたい」「今まで携わってお出でになった映像技術を生かしたい」「田舎に住んでみたい」などの思いから現在のお仕事を選ばれたそうです。胎内市を盛り上げるために様々な仕掛けをしていらっしゃるとのお話をお聞きし、さらにただ面白いイベントをやれば完結というわけではなく、ビジネスとしてもしっかり立ちいくように考えられているとのこと。さすがですね。

さて、ご講話の後は、6年生と一緒に対話(p4c)をしてくださいました。やったー!問いは子どもたちが設定した「地域を盛り上げるために大事なことは?」です。

では対話を見ていきましょう。

「どうしたら盛り上がることができるんだろう?そのためにはどうしたらいいんだろう?」

「地域を盛り上げるために大事なことは・・・祭り!あとイベントをたくさんすることだよね」

「うん。地域を盛り上げるためには、ちょっと派手で目を引くようなものをうまく取り入れるといいんじゃない?」

「地域の人口はどんどん減っている。子どもが少ない。だからさ、活発な人を増やしたらいいんだよ。活発な子どもが増えれば、ゆくゆくは地域の人みんなが活発になるよ」

「ねえ、みんなに訊きたいんだけど、去年私たちは米粉ベーグルとか米粉クッキーサンドとか、地域のお店屋さんと一緒になって作って売ったよね。あれって効果あったのかな?どう思う?」

すると、ほぼ全員が効果あったと考えていることが分かりました。

「どういうところがよかったんだと思う?」

さっきの新たな問いも、この追いかけ質問も、子どもたちから出てきたんですよ!恐るべし、6年生!

「私たちはたくさん活動したよね。積極的に活動できる子が増えると大人になっても活発のままでいられると思うから」

神田さんも対話に入ってくださいます。

「みなさんは米粉で作ったスイーツの販売を去年したんだね。そういうことをしてみんなに知ってもらうことはいいことだと思うよ。その地域でとれたものを使って作ったものを販売するのはいいよね。イベントをたくさん行うのもいいこと。お祭りに出るのもそう。地域でできたものを自分で食べる。そういうのって身近なものからできそうだね」

「ああ、地産地消」

「うん、地産地消。胎内の自然でからのものを手作りして売る」

「私、板額太鼓を演奏してるの。やってると楽しいよ。イベントでは半額御前の劇もあるし。そういう市の文化って大事にしたい。ほかの地域からも人は見に来るんだよ」

「私はね、築地獅子舞。祭りとか地域のイベントに参加のもいいよね。やってみたいって思う。お祭りが長く続いたり、広く知られていったりするといいと思う」

「ねえ、動画を作って伝えるのはどう?」

「ああ、いいね。でも動画って作るの大変そう。難しいんじゃない?」

「挨拶するのも大事だと思うよ、地域を盛り上げるのに」

ここで、漸く私も介入。

「徳島県の海部町って自殺率が低いんだって。秘訣は挨拶すること。挨拶から広がっていって、ゴミ出しをしようとする年配の人を見かけたら、『ついでだから出しといてやるよ』って感じで付き合ってるそうだよ」

それにしても6年生、成長してるねえ。子どもたちだけでどんどん進めてるんだもんね。

「そういうのって大事なんだね」

「やっぱり挨拶って大事なんだ。小さい地域だけど、挨拶するだけでも何かあった時に名前を憶えててもらって、助けてもらえると思う」

「みんな、挨拶しているときに気を付けていることは何?私は登校しているときに、横断歩道のところで見守ってくれている人や畑仕事している人にも挨拶するよ」

「毎日散歩していると、知らない人でも挨拶できるようになった。挨拶って心が豊かになるような気がする。自分も相手もいい気持ちになるよ」

担任も漸く介入。

「歩いてて、人と出会ったら挨拶する。知らない人でも、ちょっと見たことあるだけの人にも挨拶する。すると、人として、良く見られるんじゃない?」

「うん。挨拶しなかったら、顔も名前も覚えてもらえない。やばい人かもって思われちゃうかも」

「挨拶がコミュニティを作るし、盛り上げる。人と人の関係も良くなるよ」

「私ね、挨拶にもう一つ何か加えることでもっとよくなると思う」

「あ、挨拶とコミュニケーション!」

「そう。挨拶+コミュニケーションで日常的に話せるきっかけになる。そうすると地域が盛り上がる」

「それに自分から挨拶することで、人からの印象もよくなるしね」

「挨拶すると、『いい声だね』とかって言われる。褒められたりする」

「ねえ、みんなに訊きたいんだけど、コミュニケーションって本当に大事なの?」

おおっと、出たー!これぞクリティカルシンキング!

「もしもバイトしたりして、相手に自分の考えを伝えることができたらいい。そんな力を付けると人生が楽しくなると思うよ」

まさに「思考の言語化」が大事だって、子どもたちは分かってるんですね。

「でもさ、AIとかで話せるから、話さなくてもいいんじゃない?」

おおっと、また出たー!敢えて反論して考えをより確かに、そして深めようとしとるな、お主。

「AIはすごいよね。でも、人が相手の方が話しやすいよ。よく分かるし」

「人との会話の中で絆は生まれるんだよ」

「そうだよね。挨拶するとめちゃめちゃニコニコしてくれるよ。相手が人の方が、いいことがいっぱいある」

「AIとは会話できるけど、人と直接話すことでしか得られないことがあると思うんだ」

「やっぱりコミュニケーション力を付けなきゃね」

「そうなんだけどさ、人と話すのが苦手な人はどうすればいいと思う?」

「ああ、私も実は人見知りなんだ。だから話しかけるとき、この人は安全か、大丈夫かって、心配になるよ」

「私、前に地域の人に挨拶したら、聞こえなかったのか、無反応だった」

「私も、そういうことがあって、それ以来挨拶しなくなっちゃった。挨拶って大事なのに」

「私ね、人と話してて、話し終わった後とか、話している最中とか、相手の人は私と次しゃべってって楽しいのかなって心配になるよ」

「自分から話すのが得意な人っているよね。すごいと思う。私、うるさいとかって言われちゃうとしゃべる気がなくなっちゃうよ」

「話し終わってから相手の人たちになんて言われてるのか、私すごく気になるんだよね」

「人と話すことはできるけど、そういうこと思っちゃうと、次に話しかけにくくなっちゃうよ」

神田さんに最後発言してもらいました。

「みんなが自分の意見をちゃんと言えるのってすごいことだと思う。みんなの話を聞いていて、私が気付かなかったことをたくさん教えてもらった。地域を盛り上げるって自分で考えないとできないことなんだよね」

多様な価値観が錯綜した、玉手箱のような対話になりました。

やっぱり、6年生、成長しとるわ。お見事。

さあ、対話は終わりました。この日の対話がこの後の彼らの行動に反映されるのでしょうか、それとも・・・。

それは今後の彼らの様子を見ていくしかありませんね。

6年生のみんな、築地地区の未来は君たちにかかってるんだ。なんてったって、君たちは地域の宝物なんだからね。

1年生は探求の対話(p4c)で考えを深めます。道徳「どうしたらいいの?」という題材ですが、日常生活にもかなりの頻度で起きそうな出来事を扱っています。

ゆみこが、けいこと昼休みに一緒にブランコをすることを約束します。ところが、ともこが、けいこを「昼休み一緒に読み聞かせに行こう」と誘います。けいこは「いいよ」と承諾してしまいます。(子どもたちは「あー、やっちゃった」と反応。そりゃそうですよね。「もう、けいこったら!」って感じでしょうか。うふふ)

問いは「どうしたらいいの?」です。

では、対話に行ってみましょう。

「けいこは、最初にゆみこに誘われたのに、ともこの方に行っちゃって残念」

「そう。ゆみこと一緒遊ばないなんて残念」

子どもたちはともこの行動にも、ゆみこの行動にも「残念」としています。

担任「この3人の中で一番かわいそうなのは誰?」

「ゆみこ!」子どもたちは一斉に答えます。

担任「原因は?」

「これはともこが悪い。ゆみこが先に誘っていたを見たかもしれない。それを知っていながら、後から誘うなんて、よくない」

「そうならゆみこと遊ばせないで、けいこをとっちゃったことになる」

「でも知らなかったかもしれないよ」

「そうだね」

「だからともこはいい」

「ゆみこは約束をしていたのに・・・」

担任はいよいよ本題に切り込みます。

「ねえ、みんね。みんなもこんな経験ない?」

「私はないです」

「ぼくはたまにある」

ここまでの課題意識の持たせ方、焦点化の仕方は実に素晴らしいです。担任に拍手。

また、自分の経験を語らせようとする働き掛けもすばらしい。これは「自我関与」といって、対話を机上の空論に終わらせず、自分事として考えさせることで、道徳的実践力の向上につなげるものです。

「私はあります。3人で遊ぶ約束していたんだけど、相手が『ごめんね、別の子と遊ぶことになった』って、一緒に遊べなかったの」(このお子さん、目に涙を浮かべながら話しました。つらかったんだね。気持ち分かるよ」

「ぼくは友だちとサッカーする約束してたんだけど、ブランコしちゃったことある」

今度はすっぽかしちゃった経験が語られました。

担任「あなたは一人ぼっちにはならなかったんだよね。どんな気持ち?」

「うん。自分が約束を果たせなかったことに気付いた時は、相手に悪かったなあって思った」

担任「あなたは言いにくいことをよく正直に言えましたね。強いね」

「ぼくも似てて、体育館で遊ぼうって約束してたんだけど、別の遊びをしちゃった」

「私は、遊ぼうって誘ってたんだけど、別のこと遊ばれちゃって悲しかった・・・」

担任「1年生にはたくさんの『ゆみこさん』がいたんだね。どうすればよかったの?」

道徳で観念論で終わらせず、より実践的に具体的な方法をみんなで考えることは、非常に重要なことであると思います。さあ、1年生はこの後、どんな対話に繋げるのか!?

担任「約束してた子に、『私は〇〇さんとあそ遊ぶよ』って言えばいいの?」

子どもたち「だめー!」

「その日はゆみこさんと遊んで、翌日にともこさんと読み聞かせに行けばいいと思うよ」

「でも読み聞かせは2日連続ではしないよ」

「別の読み聞かせの日に行くってこと」

「けいこが、ともこに『ブランコ3人でやる?』って言う」

「けいこはゆみこと最初に約束してたんだから、その約束は守って、けいこに『3人でブランコやらない?』って言えばいい。ブランコは3人でもできるし」

「私は、3人でブランコをやってから、読み聞かせに行くのがいいと思う」

「それはいいかもしれないけど、ブランコしてる間に読み聞かせ終わっちゃうかもよ」

「じゃあさ、先に読み聞かせの方に行けばいい」

「3人で一緒にするのがいいよね」

「そうだね。でも読み聞かせの方に先に行ったら、読み聞かせだけで時間が終わっちゃうかもしれないよ」

「ブランコに一緒に乗って、ぐるんと回って下りたら、読み聞かせに行くのは?」

担任「みんなは3人ともが楽しく遊べる方法を考えていてとってもいいと思うよ。でも3人じゃなくて遊ぶ方法ってある?」

「3人でブランコ1回だけやって、その後読み聞かせに行ったら?」

「ブランコ1回やったら、もっとやりたくなっちゃうよ」

「じゃあ、30回とか20回漕いで交代にして、待ってる間読み聞かせに行くのは?」

おー!これはウルトラCですね。

「2人ずつで遊ぶ方法は?2人ずつで順番に遊ぶの」

「みんなさ、自分がゆみこだとしたら、2人か3人がいいの?一人ぼっちになるのは?」

子どもたち「やだー!」

「3人がいいな」

「私も3人にしてほしい」

担任「みんないいこと言ってるね。それ、みんなできます?」

おおおおおー!出たー!口ではいいこと言うけど、実態が伴わないのを打破する担任の一言!

担任「みんなは、ともこに誘われた時、ゆみこに3人でやろうって言える?」

子どもたちはう~んと考えながらも「できます」と答えます。

担任「ねえ、みなさん、ひとりぼっちのゆみこさん、作ってませんか?」

担任はぐいぐい子どもたちのうわべの発言に切り込んでいきます。そして、おもむろに1年生が考えた「いじめゼロ標語」を黒板に貼り出しました。

こどもたち「ああー」

担任「これできる?」

子どもたち「う~ん」

「いや、大丈夫!!」

「忘れてる人もいるよ」

ここで担任の名演技で、実際にあった出来事を再現します。

子どもたちは「ああ、自分たちやっちゃってたなー」って顔してます。

担任「これって学校じゃなくて、なかよしクラブや放課後わくわくスクールでなら、一人ぼっちの子を作ってもいいのね?」

子どもたち「だめー!」

担任「大丈夫ですか?本当に?」

「大丈夫です!」

対話の後は振り返りタイム。自分自身の考えの変化やこれからの思い等を言語化して文章に書きます。みんなどんなこと書いたのかな?

こんなことを書いていたお子さんがいました。大変立派ですね。素晴らしいと思います。

「わたしは、1かいあったことがありました。わたしが、わるかったとおもいました」

もう一丁探求の対話(p4c)!今度は4年生!

胎内市の音楽発表会に向けて、「どんな気持ちでこの曲を歌いたいか?」を問いに対話します。

曲は「地球星歌―笑顔のために―」です。これがまた超感動的な曲なのです。

歌詞は以下のとおりです。

 

この青空はきっと続いてる          
遠い街で誰かが 見上げる星空に
あなたの夢はきっと続いてる
遠い国の野原で 輝く虹に

あなたの毎日が 世界を創り
愛する想いが 地球へと広がる
私は祈る 明日のために
まだ見ぬ あなたの笑顔のために

この小さな手でできること
見えない糸をたどって 全てを感じること

そう 誰にでも愛する人がいる
誰の心にも 大切な場所がある
さあ その気持ちをむげんに広げて
この星をぜんぶ ふるさとと言おう

あなたの毎日が 世界を創り
愛する想いが 地球へと広がる
私は祈る 平和のために
まだ見ぬ あなたの笑顔のために
いつの日か出会う その日のために

 

担任は歌う際のテクニックではなく、気持ちを問いたかったようなのですが、果たしてどうなったでしょうか。

担任「市の音楽祭で私たちが歌う。♬「地球星歌」。みんなはどんな思いで歌いたい?」

「きれいな歌声で」

「世界の人に届くように」

「きれいな青空をイメージして」

「聴いてくれてる人に気持ちが届くように」

「私たちがこの歌を歌う時は私たちにしか歌えない歌い方をしたいと思ってる。だからそんな歌い方で、がんばって歌ってきれいに気持ちよく歌いたい」

「うん。お、築地小の4年生はすごいんだなって思ってもらえるように、笑顔も意識して歌いたい」

「歌詞を間違えないように」

「緊張しないで、笑顔で、お客さんの方を向いて歌う」

「聴いている人の心がポカポカするような声で」

「みんなに笑顔が届くように」

「ありがとうの気持ちが届くように歌う」

「ありがとうってどういうこと?」

「いつもお世話になっているとか、守ってくれているとかの人にありがとうだよ」

「上手に歌うってのも大事だけど、聴いている人がいい気持ちになるような歌声にしたいよね」

「うん。聴いている人が幸せになるような、みんなが幸せになるような」

担任「ねえ、みんなは聴いている人に何を伝えたいの?」

「ええとね、地球は悪いことばかりじゃなくて、いいことだってたくさんあるんだよって」

教師「今、日本国内では戦争は起きていないよね。でも・・・」

「世界では戦争が起きている」

「だから平和を創りたい」

「世界中の人たちが創りたいと思ってる」

教師「人だけ?」

「ううん。動物たちも」

教師「歌詞のどこに書いてある?」

「『クジラも見つめ返している』ってところです」

「世界中の人や動物たちが平和を願っている、平和を創りたいって」

「絶対に戦争を起こさないって」

「みんながそう思えば、平和に暮らせるし、戦争が起きないようにできるっていう歌詞だと思う」

「歌詞で、『わたしは祈る 平和のために』ってあるでしょう。ここで、みんなが願っているって分かる」

「歌詞では『わたしは祈る』というのが3つもあるよ」

担任「何を祈ってるんだろう?」

「平和のために」

「明日のために」

「それってどういうこと?」

「明日平和になっていてほしいってこと」

「あと、笑顔のために」

ここで担任がぶち込みます!

「平和ってなに?」

「戦争や争いがないってこと」

「幸せであるってこと」

「戦争が起きているから、世界中が平和になるように祈ろうってことを言っている」

「うん。安心して生活できるように」

教師「平和は誰が創るの?」

「みんなで創る」

教師「君たちも一緒に」

「そう」

教師「それは歌詞のどこに書いてある?」

「『あなたの毎日が世界をつくる』」

「『この小さな手でできること』も」

「『小さな手』って誰の手?」

「私たちの手。子どもの手も含めて」

「小さな手も集まればできるようになるって言ってる」

「うん。平和な世界っていう夢も実現できる」

担任「『夢』って何?」

「将来なりたいもの。職業」

「それだけじゃなくて希望とかも」

担任「夢は遠い国にも続いているって書いてある」

「夢は遠い国の人々にもある」

担任「きれいな青空は平和じゃないと見られないよね。みんなが対話で考えたことは歌詞にも表れている。この歌詞を、そしてこの対話を歌に生かしてほしい」

合唱はテクニックに走るだけでは、思いのこもった歌声にはなりませんよね。まるで国語の時間のような歌詞の読み取り。子どもたち一人一人が歌詞を自分なりに解釈して、思いを込めて歌ってほしいと思います。

宮沢賢治の超有名作「やまなし」。美しい物語ですが、昔から全国の小学生と教員を悩ませてきた難解なお話です。

担任が不在だったので、私が代わりに指導のお手伝い。

子どもたちに訊くと、この「やまなし」の学習はテストこそしていないものの、ひと通り学習は終わっているとのこと。

じゃあ、ちょっと自由にやらせてもらいましょう!わーい!6年生のみんな、勝負だ!

手塚治虫は、この作品を「戦時中の日本」のメタファー(隠喩)と読んで漫画化しています。この前の時間に、「魚」や「かわせみ」、そして「かにのきょうだい」はいったい何を表しているのか、子どもたちと私とで対話しました。

そして、この日の対話の問いは、「やまなしはいったい何を表しているのか?」です。

文学作品と手塚治虫の漫画を読み比べながらの、ショートタイムp4c(対話)となりました。

漫画版やまなしでは「やまなし」は「敵の戦闘機」であり、「やまなしが発するいいにおい」は「投降を勧めるアメリカからのビラ」として描かれています。

さあ、子どもたちは以下に読むか。対話記録をご覧ください。

私「前の時間に『やまなし』が表すものは、人々が欲しいと思っているものだと読んだ子がいたね。素晴らしい読み取りだし、そういう読み取りもあると思います。この対話では改めて『やまなし』が表すものは何か、みんなの話を聞きたいのです」

「私は『やまなし』は平和を表していると思います」

「どうして?」

「漫画では戦争反対の人が殺されたりしたでしょう。本当は反対したいし、反対だって言いたいんだけど言えなかった。でも、みんなは平和を望んでいたし、人々が欲しいと思っているものだと思うからです」

「うん。漫画の最後でかにのお父さんが、アメリカからのビラの「へいわ」という文字について、『平和・・・。いいにおいのすることばだな』って言ってるでしょう。やまなしのいいにおいは平和のにおいのするビラだし、やまなしそのものは平和を表していると思う」

「そうだね。人々は平和な世の中を欲しがっていたんだと思う」

「みんな『平和』だっていう意見みたいだけど、そうじゃないって思う人はいる?」

驚かれるかもしれませんが、これ、子どもの発言なんですよ。学級全体を視野に入れた発言。まさに「子どもがつくる学び」を体現しています。一人一人が対話のファシリテーターなんですよね。

「ぼくは、迷ってるんだ。やまなしはドボンと落ちてきたんでしょう。この時代に人々を怖がらせるような大きなものは原爆があると思うけど、どうも原爆じゃない気がするし・・・」

とここでタイムアップ。

迷いも素直に発言できるセーフティの高さが素晴らしい。

だからこそ、文学作品を多義的に読むことができるんですよね。

タイムアップになっちゃったのが実に残念。私の余計な話が長すぎちゃったのかしら。また機会があれば続きをやりたいね。

6年生は全校児童を視野に入れています。全校の挨拶がよくなるためにはどうしたらいいか対話で深めます。

まずは、現状確認です。

「校長先生が毎朝児童玄関で挨拶していらっしゃるでしょう。私校長先生にはちゃんと挨拶してるよ」

「私は低学年が私たち高学年を怖がったらかわいそうだなと思うから、優しく挨拶してる」

「私、松の子委員会の活動として、毎朝玄関で挨拶してるけど、挨拶を返す人って決まってるんだよね。挨拶返さない人はいつも返さない」

この次の発言で対話が動き始めます。

「皆さんに質問です。全校の中で一番挨拶がいいのは誰だと思いますか?先生方も含めて」

おおっ!この質問は、対話全体を視野に入れた発言ですね、よいモデルから学ぼうとする対話にしようと。素晴らしい。

「私は〇〇先生。毎朝玄関に立って私たちにあいさつしてくださっているでしょう。私たちの挨拶をよくしようって真剣なんだなって思う」

「私は担任の〇〇先生。挨拶対話(p4c)の前だったか後だったか、笑顔で挨拶してくれて嬉しかったなあ」

「私は〇〇先生。いつもなんだけど、大きな声ではきはきとしている」

「私はクラスメイトの○○さん。必ず私の近くに来て挨拶してくれるんだよ」

「私は〇〇さん。私の名前を付けて挨拶してくれるんだ」

「私は〇〇さん。挨拶するときの笑顔が素敵だと思う」

「ぼくは〇〇さん。元気に挨拶してくれる」

 

「でもさ・・・、ぼくら思春期でしょう。だから、挨拶するって少し恥ずかしいというか・・・」

「ぼくは〇〇さんの挨拶がいいと思う。教室内だけじゃなくて、教室外でも様々なところで挨拶してるよ」

「ぼくは〇〇さん。〇〇さんもわざわざ近くに来て挨拶してくれる」

「私は〇〇さん。歩いているとすれ違いざまに優しく、明るく挨拶してくれる」

「あ、私も〇〇さん。元気に挨拶してくれるよね」

「ぼくは〇〇さん。教室の一番後ろから一番前にまで聞こえるような大きな声で挨拶してくれるんだ」

「私は〇〇先生。いつも笑顔で明るく優しく挨拶してくれる。松の子委員として挨拶するときも笑顔で挨拶してくれるんだ」

「ぼくは〇〇先生。すれ違う時、絶対挨拶してくれるよ」

どんな挨拶が相手の心に響くのか語られていきました。

 

さらに別のお子さんが次の発言で対話を別次元へ持っていこうとします。

「ねえ、みんなに訊きたいんだけど、挨拶をしない人にはどうしたらいいと思う?」

理想を語り合うだけではなく、挨拶がよくなるための具体策が語られていきました。それも全校の子どもたちの挨拶がよくなるようにです。

「そうだなあ。いきなり大きな声で挨拶しようって言っても無理だろうから、毎日ぼくからコツコツと挨拶していく。そのうち慣れて自分からしてくれると思うよ。最初は小さい声かもしれないけど」

「先生から挨拶されても返せない人には、励まして必ず返そうよって勇気づける。これを毎日毎日繰り返しやる」

「そうなんだよねえ。でも私は自分からはちょっとできないかも・・・」

 

「挨拶されれば相手も少しは嬉しく感じるんじゃないかな。挨拶はした方がいいよ」

「そうだよね。挨拶はこれから生きていく中で大事なことだから、義務教育のうちに挨拶できるようにしておく必要がある」

 

「私たち、挨拶について何回もp4cしてるけど、あまりよくならないよね」

おおおおおー!この問い直しは、口先だけではなく、また、単なる行動訓練でもなく、挨拶の習慣化や挨拶に対する意識変容の難しさに直面していることを言語化していますね。素晴らしい。

そして、この問い直しにさらに自分なりに次のように解を持とうとしているのもまた素晴らしいです!

「うん、そうだね。p4cを何回もしてるのに変わらないのは、挨拶しようって意識がないからなんじゃない」

 

「挨拶できない人って、仲がいい人にしかできないのかな?」

「私、松の子委員会で朝挨拶してるけど、挨拶返してもらえない人には挨拶したくなくなっちゃう」

「でも、逆にそうだからこそ、そういう人から、たまにでも返してもらえると嬉しいよね」

「ぼくは校長先生には挨拶できるんだけど、松の子委員会の人とかその他の人には挨拶できないんだよね。だからできるようにしたい」

「慣れるとできるようになるんだと思うよ」

「みんなに訊きたいんだけど、朝立ってあいさつしてくれている松の子委員会の人には、挨拶してる?」

挙手をしてもらうと、挨拶してるって人は10人くらいでした。

「挨拶しても喜ばれないんじゃないかって思っちゃう」

「私は挨拶する方だと思うけど、挨拶しても返してもらえない時は『聞こえなかったんだな』って思うようにしてる」

「あまり関わりのない人には挨拶してもなあ」

「普段自分から挨拶していても、毎回挨拶を返してもらえないと悲しい。それが積み重なっていくと、やっぱり挨拶したくなくなっちゃうよ」

「普段挨拶してない人に挨拶すると、変な空気になっちゃいそうで・・・」

「私、挨拶なんかしても意味ないって思ってたの。でも家族で挨拶し合っていたらいい気持になっていったよ」

「私たちの学校の中だから、私たちが挨拶して、もしも返してもらえなくても大丈夫だよ」

 

「自分から挨拶してるとさ、挨拶を返してもらったとき、とっても嬉しくなるってことが分かった。今では自分から自然と挨拶できるようになったよ」

「仲いい人じゃないと、挨拶しても返してもらえないって思ってる人がいるんじゃない?」

 

私「こっそりカウンター持って、休み時間に校舎内をグルグル回って、何人の人が挨拶返してくれるかカウントするのはどう?で、結果を発表してみんなに意識してもらうの」

「ああ、それ私5年生のときやってた。こっそり数えるのもいいんじゃない?」

「そうか、秘かにカウントするのね。ゲームみたい」

「でもさ、それってずうーっとやり続けるわけじゃないでしょう。やる期間が終わったら、元に戻っちゃうかもよ」

「どうしたらいいんだろう?」

 

時間切れとなり、結論が出ない対話になりました。問いは、to be continuedとなりました。「つづく」ですね。

6年生は、ただ単に「いい挨拶とはどういうものか」と理想を語り合うだけではなく、その前に立ちふさがる心理的ハードルにも目を向け、さらにそれを乗り越えるにはどうしたらいいかにまで考え始めたのです。

1年教室前に行って、「うさちゃんの様子を見よう」っと思って行くと、1年生はちょうどこれから探求の対話(p4c)をするところとのこと。これはラッキーと一緒に混ぜてもらいました。

問いは「最近、朝、自分から誰に挨拶した?」です。

では、いってみよう!

トップバッターは勢いよくまっすぐに手を挙げていた子です。

「はいはいはーい。ええと・・・、忘れました」 がくっ。

私も発言。「ええ?あなた、毎朝、玄関で私に挨拶してくれるじゃない」

「ああ、そうだった、忘れてた」ははははは。まあ、それだけ自分からの挨拶が自然になってきたってことかしらね。

「私も校長先生に自分からあいさつしまーす」ですよねえ。朝、児童玄関で立っていると子どもたちは自分たちから挨拶してくれるのです。じゃあ、私は?私は自分からは挨拶せず、じとーっと子どもたちの顔を見ているだけ。そうすると、子どもたちは自分から挨拶してくれるんです。嬉しい朝のひと時です。

「朝起きたら、お母さんに挨拶します」

「バス停で一緒にバスに乗る友だちに挨拶します」

「私も。それで学校に着いたら〇〇さんや〇〇さんに挨拶します」

「バスの運転手さんにも」

「朝歩いていると近所の人に会うから、そういう人たちに挨拶します」おおおおおー!なんてすばらしい。地域の教育力、家庭の教育力の賜物ですね。

「そう。私も今朝やったよー!」

「お父さんとお母さんに挨拶します」

「〇〇さんのお母さんにも挨拶します」

「うん。たまに〇〇さんのパパにも会うから、会ったら挨拶します」

「朝、上学年のお兄さん、お姉さんにも挨拶します」

「私も。同じ登校班のお兄さん、お姉さんに」

「地域の人にも挨拶するよ」

私も発言。君たちが会う前にうさちゃんに校長室であったから、そのとき『おはよう』って挨拶したよ」

「私、道を歩いている人にも挨拶する」

「後ね、横断歩道で私たちが安全に横断できるように見守ってくれてる人にも挨拶する」

「学校に来るお客さんにも挨拶するよ」

様々な人が君たちの成長に関わってくれているんだね。

ここで担任が視点を変えます。

「ねえ、みんなは挨拶した方がいいんだけど、挨拶するのを忘れちゃってる相手はいませんか?」

「え?ああ、お兄さん、お姉さんに挨拶するの忘れちゃうことある」

「2年生とか」

「お母さん」

「いただきますって言い忘れちゃう」

どんどん出てきます。「先生たち」「バスの運転手さん」「隣の家の人」「友だち」「お客さん」「バス停とか横断歩道で見守ってくれてる人」「家のおじいさん、おばあさん」…

「朝眠くて、家の人におはようって言い忘れちゃうことある」

「アサガオさん」

「玄関に立ってくれてる5・6年生」

「そうそう。長いたすきをかけてるお兄さん、お姉さんね」

「『あいさつ隊』って書いてあるたすきね」

担任「みんなは朝教室に入るとき、『おはよう』って言って入るよね。その時、挨拶返してる?」

「う~ん、どうかな?返してないかも」

担任「じゃあ、私がこれからやってみるから、みんなはわざと返さないでね」

担任は元気に「おはよう!」って入ってきますが、子どもたちはし~んです。

続いて1、2人の子どもも真似してやってみますが・・・

子ども「わざと言わないってなんか悲しい」

「うん。言いたくなるよね」

「嫌な気持ちだった」

担任「みんなこういうのどう?」

「やだー!」

ここで初めて「挨拶しないことの負の感情」を身体的に理解。議論から実感への転換が起こります。

担任「じゃあ、今度は挨拶を返してみよう」と言って、数人の子どもがやってみます。今度は挨拶した方も返した方もみんな笑顔。

「何か嬉しいね」

担任「嬉しいのは何でだろう?」

「無視されていないってのが分かるからかな?」

「そう。みんなから無視されていないって分かるからだよ」

「みんなが挨拶を返していてよかったと思う」

個人的な気持ちの領域から、共同体的・倫理的な価値へ思考が広がる瞬間。単なるマナー教育を超え、「誰も排除されない関係性」をめざす方向が見えました。

「一斉に言ったからみんないい気持ちだったよね」

「うん。みんながいい気持ちになってるって分かるから、それが嬉しい」

「怖い顔されると嫌だけど、笑顔で『おはようございます』って言われると元気になる」

担任「私も嬉しかったよ。みんなの顔、にこにこになってたよ。ほらここ見て」

そこには「誘い合って、譲り合って、困っている人を手伝おう!にこにこ1年生になるように!」と学級のスローガンが掲示されていました。

「この、『にこにこ』になってたんだよ」

「確かにー!」

このロールプレイが、対話において、抽象的なやりとりから、感情を伴う深い理解に深めたのです。ここで子どもたちの態度や表情に変化が見られ、対話が質的に変わりました。これは担任にアッパレ!

この後、各自が2学期の挨拶のめあてを考えました。

挨拶が人と人をつなぎ、共同体を温かくする力をもつことを子ども自身が言語化たこの対話。

「経験の共有」→「視点の転換」→「体験的理解」→「感情の言語化」→ 「学級のスローガンとの統合」という対話の流れが図られていきました。p4c的な「共同体的探究」のプロセスが明確に表れていますね。

特に、ロールプレイが効果的に組み込まれており、思考と感情が結びつくことで、子どもたちの理解が単なる「マナーや礼儀の確認」から「人を幸せにする関係性の構築」へと深化しました。

この調子ならますますいい挨拶が響く学校になるね、きっと

私、用事があって、4年生の対話(p4c)に遅れてしまったのです。ざんねーん!でも後半だけでも参観の価値は十分にありましたよ。

ちなみに前半でどんな発言があったのか、いくつか書き出してみますね。

<挨拶できるようになるには>

「挨拶するには勇気を出す」

「まずはクラスの友だちに挨拶」

「身近な人に挨拶も」

「タイミングをはからなくては・・・」

<来校者への挨拶は>

「来校者さんに『自分は挨拶されないんだ・・・』って思わせないように」

「もしかしたら、来校者さんに助けてもらうことがあるかもしれない。そのためにも挨拶は重要」

「挨拶されたら、がんばろうって気持ちになるし」

「せっかく来てくれたお客さんだから、私たちは挨拶していい気持ちになってもらいたい」

「また築地小学校に来たてもらいたいと思ってもらえる」

「子どもたちに協力したいって思ってもらえる」

「来校者に挨拶すると、相手も自分も気持ちよくなる」

<でも・・・>

「大人には挨拶しにくい」

「でも、何も言わずに通り過ぎたら気まずい・・・」

では、お待たせしました。4年生の挨拶対話の後半戦、行ってみよう!

「挨拶はお辞儀するだけでもいいんじゃない?」

「そうかも。挨拶するってやっぱり勇気がいる。挨拶しようかどうしようか迷ってるうちに、相手が通り過ぎちゃうこともある」

「高学年にならできるけど、大人には私も挨拶は難しい」

「挨拶するのが苦手な人でも、顔を向けるだけでもしたらいいと思う」

「まずは高学年に挨拶してみようよ。恥ずかしい人は友だちと一緒に行けばいい。できる人は一人でチャレンジ!」

教師「先に挨拶されたとして、お辞儀だけで返すとどう思われるだろう?」

「う~ん、お辞儀されたことに気付かない人がいるかも」

「小さい声でも口に出して挨拶した方がいいよ」

教師「恥ずかしいし、勇気もいるけど、それでも口に出して挨拶を返した方がいいってことなんだね。それってどうやったらできると思う?」

「最初は小さい声でもいいから、まずは自分から挨拶してみるのがいいと思う」

「そうだね。慣れてくればきっと勇気も出てくるよ」

「ねえ、相手も恥ずかしいんじゃない?」

「そうかも」

「3年生とか挨拶がいい学年もある。その子たちは年上の人たちは優しいと思っているからできるんだよ、きっと」

「2年生以下の子たちにとっては、高学年の子とか大人とかには挨拶しにくいと思うけど、小さい声でもいいから挨拶しようって思ってるんじゃない?」

「自分から挨拶するのってやっぱり勇気がいる。怖いと思うこともあるだろうと思う。でも、挨拶することはいいことだと思って挨拶するんだよ」

「下の学年の子たちって挨拶いいよね。誰にでも挨拶できている。どうしてだろう?」

と、ここでタイムアップ。

さすが4年生!短時間でも、魅せる対話ですね。

ここまで赤裸々に発言できるのは、この場にセーフティがあるってことでしょう。

それにしても、下学年の方が挨拶がいいなんて、なかなか言えるもんじゃありませんよ。素晴らしい。人を褒めることって、簡単なことじゃないでしょうに。

ピグマリオン効果という言葉があります。「信頼が人を育てる」と言い換えられることもあります。人を褒めることができる人って素敵な人だなあと思います。そういう子たちなら、きっと挨拶も上手にできるはず。

相手に挨拶しないで通り過ぎる自分に違和感を感じられるほどに、成れればいいよね。いや、4年生のみんななら必ずできるよ。うん!あ、もうできてる子もたくさんいますね。

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