学校ブログ

4年生はp4cで国語の詩の読解にチャレンジ。これがまた、超難解な詩なのです。
 雲がかがやいている。
 林の上で。
 みんなのほおもかがやいている。
 海のほとりで。
 あ、今、太陽が
 山をはなれた。
いやー、もの凄いですね、難解さが!教室中に❔が浮かんでいます。
しかし、チャレンジしちゃうんだなあ、我らが4年生は!
問いは「なんで『かがやき』ってタイトルなの?何がかがやいているの?かがやくってどういうこと?」など『かがやき』という言葉に関係すること、「あ、今、太陽が山をはなれた」って何を表しているのか?この詩の作者は何を言いたいのか?というものなど、結構詩の本質に迫る問いが出されました。
ここら辺を問いに対話スタートです。


「『かがやいている』ってのは太陽が輝いているってことでしょう」そうですね。詩を読むとそう書いてありますね。きっちり読み取っています。
「あと、湖も太陽の光が反射して輝いているよ」
「多分この詩のタイトル『かがやき』と太陽や湖が輝いているってことは関係してるんじゃない?」
「『みんなのほおもかがやいている』の意味は?」
「てかてか光ってるんじゃないよね、多分」
教師「ねえ、よく『あの人、輝いているなあ』って言うことがある。どんな人のことを輝いているっていうんだろう?」
「様々なことが分かる人」
「いいことをした人」
「元気でニコニコしている人」
「助け合ってる人」
「何でもできる人」
「心が明るい人」
「みんなで協力してる人」
「低学年に優しくしてる人」
「低学年だけじゃなくて、全員に優しくしてる人」
「人一倍がんばってる人」
「あとね、陰口を言わない人」
「誰にでも優しい人」などなど、「輝いている人」って君たちのこうありたいと思う姿なんだね。


こういう発言もありました。
「結局さ、みんな誰かの希望になってるんじゃない?」うぎゃー!いきなり、もう号泣!涙腺崩壊です。何という発言なのでしょうか。
「そうだよ、太陽がみんなの方に当たって、ほおが輝いているってことは(一人一人の存在そのものが)希望になっているってこと」

「雨が降った後に、雲の隙間から太陽が差し込んで輝いている感じかな」
教師「この詩で『雨』と表現されているのって何のことなのだと思う?」
「悲しいことだよ。つらいこととかね」
「人が悪いことをして、それをきれいに洗い流す優しい気持ち」

「そうだ。『太陽が山をはなれた』って、朝になったってことなんだと思う。朝日が差しているってこと。夜が終わったってこと」
「不安だったけど、でも自分はよりよい人になれるって希望をもっているって気持ちなんだ、この文章は」
「つらい人や悲しい人を輝かせるために、太陽が山を離れた。だってさ、山から離れて高いところに行った方が、より輝けるしね」
「一人が悲しくても、他の人が楽しければ、悲しい思いの人も楽しくなるのかな」

教師「太陽ってさ、一体何を表しているの?」
「私たちが進むべき道を照らしてくれる人」おおー!子どもたちはこの詩のメタファーを彼らなりに読み取っているようです。
「太陽がみんなをみんなを輝かせる」
「太陽に照らされると、今までよりももっとニコニコになれる」
「みんな誰かにとっての輝く存在なんだ」
「世界中の人が太陽みたいにニコニコになってほしいって気持ちで作者はこの詩を書いたのかな」

おおっ!折しも今日は9.11ですね。
「うん。太陽よりももっとニコニコになってほしいって」

教師「太陽のような存在になるには、誰の力が必要なのかな?」
「自分の力だよ」
「私は友だちの力だと思う」
「みんなの力。みんなで協力してみんながそういう存在になる」

国語の教科書の冒頭にあるこの詩。教科書の編集部の子どもたちに対する願いまで、4年生は読み取っていたようです。
素晴らしい対話。
これからもっといい学級を作ってね、みんな!

1年生の国語の物語教材『やくそく』の学習が校内教員向けに公開されました。

 一本の大きな木に住む3匹のあおむしたちが葉っぱの取り合いでケンカしています。

 そこで木が自分の上の方に行くよう話します。木の言うとおりに上ると見えたのは、広い空と大きな海、そして自分たちが住むのと同じようなたくさんの木がある森でした。世の中の広さ、大きさを実感したあおむしたちは、成長して蝶になったら、3匹で海へ行く約束をするのでした。

 ケンカはいつの間にかやんでいました。

担任は子どもたちと対話しながら課題意識を高めた上で、この授業の課題は子どもたちが自ら設定しました。「あおむしたちは、どうしてケンカをやめたのか?どうして仲良くなれたのか?」です。

子どもたちがそれぞれの意見を発表します。「木が怒ったから」「上に行ってごらんって言われて行ったらケンカは終わってた」「木が揺れて『うるさいぞ』って言ったから」・・・

子どもたちは随時教科書の叙述に立ち返りながら、叙述をもとに文章を読み解いていきます。時には全体で、時には隣の子とペアで、そして時には自分一人で。

担任が問います。「あおむしたちは『ごめんなさい』したの?」

「ううん。してない」

「木の上に行けば喧嘩は自然とやむの?」

「ううん。そうじゃない」

「なんでケンカはやんで、仲良くなったんだろう?」

こんなやり取りをしながら、子どもたちは徐々に物語の核心に迫っていきます。

担任は文章中の「びっくり」という言葉をキーワードにして子どもたちに深い思考を促していきました。

じっくりじっくり考え、そして、時には教室中に「???」が浮かぶような中で(最後の写真をご覧ください!自分の考えの根拠となる叙述を教科書中にないか熱心に探す姿を!)、子どもたちはついに、自分たちで「あおむしたちは世界の広さへの感動という思いを共有し、成長して蝶になったら海へ行こうという約束をして共通の目的を持ったことで、ケンカはやんだのだ」と理解したのです。

私は見ていて感動!子どもたちがあきらめずに思考し続けたこと、そして彼らなりの解を見つけて達成感が溢れんばかりの表情をしたこと。国語の授業ってこんなに感動的なものなのですね。

授業の最後あたりで「あっ!だから、タイトルは『やくそく』っていうんだ」とある子が叫んだ時、そしてほかの子たちが「ああそうかー!」と声を上げた時。私は涙が出るかと思いました。国語の授業のダイナミズムを感じられた瞬間でした。

1年生と担任の先生にアッパレあげてください。「アッパレ、アッパレ!」

5年生は「勇気」について対話していました。

図書室所蔵の『勇気』という本をもとに対話を始めます。

私は途中からの参観でしたが、濃い対話がなされていましたよ。

問いは「勇気とは何か?」「どうしたら勇気を出せるようになるのか?」です。

「どうしたら勇気を出せるようになるかというと、ポジティブに考えるといいんじゃないかな?」

「うん。失敗したって大丈夫って思うこと」

「失敗しても大丈夫と思えた。失敗を恐れちゃダメ」

「失敗は成功の素っていうものね」

「様々なことを経験して、失敗に慣れるといいと思う」

「そうだね。成功する前には失敗がつきもの。成功するまで何度失敗してもあきらめずにやるって大事なんだ」

「うん。失敗したってさ、変わるもんじゃないしね」

「失敗しても『がんばろう』って思うのが勇気」

子どもたちの中から問いが出されます。そもそも『勇気』って何だろう?」

「勇気って、『失敗しても大丈夫!』って思えることなんじゃないの?」

「そう。失敗しても大丈夫」

ここで私もちょっと介入。「ねえ、君たちは1年前と大きく変わったよね。自分たちで変わったってこと、分かる?」

首をかしげる子多数。こちらがものすごく成長したとみていることを彼らは自覚してないみたいです。

「君たち1年前はp4cしてもほとんど発言なかったんだよ。ところが今はバンバン意見がでるじゃない。どうしてそうなったの?今どんな気持ちでp4cやってるの?」

「地道に少しずつ意見を言えるように頑張ってたのかな?」

「私は前から意見は言えてたんだけど、心のどこかで『馬鹿にされたらどうしよう」って思ってたとこがある。今はそうじゃない。黙ってないで前に進もうって思えるようになった」

「私が勇気をもって意見を言えるようになったのは、みんなと一緒に、同じ問いを考えているってことが理由」

「間違ったって、自分は負けないって、自分自身を信じることができるようになったからかな」

「p4cに慣れたってこともあるかも。p4cをするにつれて、自信を持てるようになっていったんだ」

「私ね、前は考えすぎちゃってたかも。完璧な答えを出そうって。だからあまり意見を言えなかった。でも自分なりに深く考えて、それで出た答えなら、それが「完璧な答え」なのかも?」

「完璧な答えを最初から言おうと思うと、本当に言いたいことを言えなくなっちゃう」

おおおー!まさにそうですね。よく分かるよ、そういう気持ち。形の整っていない生の感情とか意見を出したいっていうことね。これはこの学級にセーフティがあるっていう何よりの証左ですね。

「完璧な答えって対話の中で作られていくんだと思う」

おおおおおー!これまたすごい意見だ!

教師「完璧な答えじゃない意見を誰が完璧にするの?」

「みんなで意見を少しずつ出し合って作るんだよ」

「完璧じゃなくても、思いついたらどんどん言ったらいいと思う」

あいまいな意見を出し合って、よりよい意見を作り上げるなんて、君たちすばらしいこと言うじゃないの!

「完璧な意見を言おうとすると、どんどん『本当に話したいこと』から離れていっちゃう」

「最初から完璧じゃない意見を、対話で深めたいんだよ」

「うん。みんなで深める」

「そうだね。一生懸命考えて自分が本当に言いたいことを言えたら嬉しいな」

と、ここでタイムアップ!

まさに金言格言のオンパレードですね。

このあと、担任から続きの対話は今度また別の機会にやろうって提案があり、子どもたちは了承してくれました。

次はどんな対話になるのかしら。楽しみです。

先日の昼休みに子どもたちが作ったアートストーン。この日、企画運営の2人とお手伝いのお子さん何人かで、玄関に置きました。アートストーンを作るだけでもアートなのですが、「ここがいいんじゃないか」「この石の近くにはこの石がいいんじゃないか」など話しながら来校者を迎える飾りを作る様、これは現代芸術ですね、完全に。

来校者を喜ばせるためのアートストーン作り&飾りですが、来校者のみならず、作成者たちも結構楽しんでいますね。

雪が降るくらいまでは、飾っておきたいなと考えています。

お、早速下校時に子どもたちがアートストーンに見入ってますね。

この日、理科室から出火したという想定で、休み時間に火災の避難訓練を行いました。

まず非常ベルが鳴ったとたんに、子どもたちは黙ってその場に腰を下ろして、放送の指示を待っていました。素晴らしいですね。校長室や屋外にいた子どもたちも、はい、このとおり!

みんなが無事に避難できたところで、今度は校舎内に戻って、非常ドアを開けて通る体験もしました。

この日の避難訓練は、期日こそ子どもたちに知らせていたものの、何時に行うかは秘密にしていたのです。ドキドキしていた子どもたちもいたかな?

上手に避難ができました。

この日は9月9日、99(救急)の日ですものね。救急車のお世話にならないようにしましょうね。

授業の冒頭、担任が前回の挨拶についての対話(p4c)の到達点について確認します。

「前のp4cでは、知らない人、あまり関わりのない人とは挨拶できていない。でも、知らない人から挨拶されると嬉しい、ってことだったよね。そして、挨拶する上で大切なのは『勇気』と『優しさ』だって。ねえみんな、どんな挨拶がいいと思う?」

「大きな声で、元気よく!」といの一番に出されますが、こういう話合いでは定番の意見ですね。これができたらいいんだけど、なかなかねえ。

「渡れた挨拶よりも大きな声で返す」ほーほーほー。ちょっと変えてきましたね。さすが。p4cでは人との違いが強みになるとおっしゃったのはp4cの大家である新潟大学の豊田教授です。

「優しく挨拶。でも小さい声だと聞こえないから相手に届く声で」おー!いずれも少しずつ自分なりに変えて発言させていますね。

「〇〇さんの意見に似てて、近くの人には大きな声を出しすぎることなく、優しく言ったらいい」これもマイナーチェンジさせてますね。さらに「〇〇さんに似てて」という部分は対話で発言を繋げることを意識した発言と言っていいでしょう。大いに褒めると、このフレーズは今後頻出します。子どもたちの吸収力に脱帽です。

「クラスのみんなに聞こえるように」これは朝教室に入ってきて「おはよう」という場面を想定しての発言でしょう。みんななかなかいいねえ。

「相手の目を見て」

「元気よく」

「笑顔で」

「大きな声で」

こういう発言が出されると、子どもたちや担任はさらに鋭く突きます。「どうしてそう思うの?」と。

「大きけりゃいいんじゃなくて、大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいい音量の声で」なるほど、なるほど。よく考えましたね。

「『おはよう』って言うスピードもちょうどよくね」

教師「私は『おはようございます』の『お』をはっきり言うように心がけています。

「私は知らない人に挨拶されたことがある。なんか嬉しかったよ」

この後、「知らない人」という言葉が頻出しますが、多分「全く面識のない人」というよりは、「あまり親しくない人」という意味で使われているものと思われます。

「私は自分から挨拶するようにしているよ」

「声はちょうどいいくらいの大きさで」

「そうだね、大声じゃなくて、それよりもちょっと小さめの声で」

ここで担任が対話を深めようと介入します。

「みんなは今まで挨拶してもらった中で、嬉しかった挨拶、よかった挨拶ってある?」

「友だちがお辞儀をして挨拶してくれた」おお、そうですか。

「知らない人に挨拶する時には、『おはよう』だけじゃなくて、『今日はいい天気ですね』とかって付けた方がいいみたい」

「私ね、友だちのお母さんからニコニコして挨拶されて、その後『がんばってね』って言われて嬉しかったことあるよ」

「外国に行ったとき、そこにいた外国の人全員から挨拶されたことがあるよ」おおー!

「コンビニで買い物した後、店員さんから『じゃあね』って手を振ってもらえたことがあるよ」

教師「顔の表情や手を振るなど、言葉だけじゃなくて体の動きを付けるって話が出ているね。私はね、挨拶する時には相手の方に一歩近づいてから挨拶するようにしてるよ」

「動作なら私もある。バスを降りて家に着くまで近所の人が手を振ってくれたんだよ」

「動作はないんだけど、近所の人が元気に挨拶してくれたのも嬉しかった」

「私はね、朝、バス艇に行くときに様々な人がおはようって言ってくれるんだ」

君たち、愛されてるねえ。

「知らない人に挨拶したら、挨拶を返してくれたよ」おおおおおー!

担任「知らない人に挨拶したことのある人は?」

「私はある。いい気持ちになったよ。挨拶返してくれたから」

教師「知らない人に挨拶するって緊張するよね。でもそれで挨拶を返してもらえるとものすごく嬉しくなるんだ」

「うん。緊張するけど、優しいなって思う」

教師「そうだよね。怖い人だったらどうしようとかね」

「私も知らない人に挨拶したことあるけど、喜んでくれたからよかった」

「私も嬉しい気持ちになったよ」

ここまでお読みの方の中には、知らない人に挨拶して、それが不審者だったらどうするのか!?とお思いの方もいらっしゃると思います。しかし、心配することはないそうです。ある報告によると、不審者もその地域の方から挨拶されることで、「地域の一員として認められた」と感じて、犯罪を思いとどまるとのこと。また、「顔を見られた」「声を掛けられた」というだけで行動をためらう傾向があるため、挨拶自体が防犯になるそうです。

さらに、自殺予防の観点からも、「浅い人間関係(弱いつながり)を広く持つことが、自殺率の低下や生活満足度の高さに寄与している」という調査結果は、日本のいくつかの地域研究で言及されているとのことです。

挨拶ってすごい力があるんですね。

この後、対話で出てきたキーワードを生かしながら、2年生としての挨拶のめあてを作るようです。私はここまでの参観でした。

築地小学校は今年度各月に設定していた様々な生徒指導目標をを「挨拶」一本に絞って指導を重ねています。挨拶溢れる素敵な学校になるといいなあ。

木のおもちゃ作り。今回も地域のエキスパートさんがお出でくださり、子どもたちの創作意欲爆発!大盛況のイベントになっています。

このイベント、残すはあと1回!何とか完成させられるよう、楽しんでね♡

3年生は挨拶についての探求の対話(p4c)。1学期に自分たちで決めためあてを自己評価し、改善策を考えます。

担任「1学期に立てためあてで『大きな声で相手の目を見て挨拶しよう』はどうだった?」

子どもたち「できましたー!」

担任「じゃあ、『誰にでも挨拶しよう』は?」

子どもたち「う~ん・・・」(しーん)」

担任「そうね。今一つだったみたいね。実は朝、5年教室と6年教室に行って私挨拶したの。その時の様子を動画で撮ったから、みんな見てみて」

ここで、担任がそれぞれの教室で「おはようございまーす!」と挨拶している様子が映し出されました。5年生も6年生も元気に明るい声で挨拶を返しています。

担任「5・6年生はすごいよね。どうしたら私たちも誰にでも挨拶できるんだろう?」

子どもたち「そうだなあ。どうしたらいいんだろう」と考え込みました。

そして、これがこの日の問いになりました。

子どもたちの対話のスタートです。

 

「恥ずかしいけど、自分から挨拶しようって思うことが大事だと思うよ」

「恥ずかしいけれど、それは最初だけでやっていくうちに慣れていって、できるようになるんじゃない?」

「ぼくが誰にでもできない理由は、年上の人には緊張しちゃうからです」

「そうだね。でもさ、『この人は毎日会っている人だ』と思えばできるかも」

「人だと思わないで、ジャガイモだとかだって思い込めばいいんじゃない?」

「ええー、そう?」

教師「そうだよ。緊張しない方法として目の前の大勢の人たちはジャガイモだとかかぼちゃだって思い込めばいいってよく言われるんだよ」

「そうだね。人だと思わないで、猫とか犬だと思えばいい」

「それでもだめなら、年下の人だって思う」

「上学年はあんまり会ったことない人だと緊張しちゃうよね」

「そうそう。普段あんまり会わない人だと挨拶しにくいよ」

「じゃあ毎日会うようにしたらいいんじゃない?挨拶するだけじゃなくて、その後少し話したり笑い合ったりすればいいと思う」

 

「ぼくさ、勇気だして挨拶しても、たまに挨拶を返してくれない人がいると嫌になっちゃうよ」

「そうやって考えると、自分が挨拶されたら、しっかり返さなくちゃね」

「返してもらえないと、勇気が出なくなっちゃう」

「逆に返してもらえると、勇気が出て、他の人にも挨拶しようって気になるよ」

 

「挨拶してくれる人もいれば挨拶してくれない人もいる。でも何回もこっちから挨拶していけば、たまにでも挨拶を返してもらえると余計嬉しくなるから、もっと挨拶しようって思えるよ」

「そうだね。誰かが挨拶を返してくれたら、他の人にも挨拶できる」

「みんなに訊きたいんだけど、挨拶返してもらえたら、他の人にも挨拶できそうな人は?」

半数くらいの子が同意しました。

「挨拶返してもらったら嬉しいしね」

「うん。『ありがとう』って気持ちになるよ」

「でもね、私、状学年の人には勇気が出せないから、なかなか挨拶できないの」

「私もそう。あんまり上学年の人がいる3階に行く機会もないしね」

 

教師「私ね、廊下を歩いてて、向こうから10人くらいの人が来たら、「おはようございます」「おはようございます」で早口で10回連続で言うよ」

「そうか。たくさん挨拶してていれば、そのうち返してもらえる」

「私は、朝バス停で待っている時には挨拶できる。そこで練習みたいにしたらいいと思う」

「ああ、練習ね。なるほど」

「ぼくは向こうから10人来たら、10回も言わないくても、1回大きな声で言えばいいと思う」

「練習を何回もしてたら、できるようになるよね、きっと」

「でも、なかなかできないんだよなあ」

「私も。上学年にはあまり自信がない。下の学年ならできるけど」

担任「なんで下の学年なら言いやすいの?」

「う~ん・・・。上の学年の人は背が高いから?」

「ねえ、みんなにも訊きたいんだけど、何で上学年には言いにくいんだろう?」

「下の学年は小さいから言いやすい。でも上の学年は大きいから言えない」

教師「上の学年には挨拶しづらい人っていう人は手を挙げて」

7人くらいが挙手。

教師「じゃあ、5・6年生に『あなたたちには挨拶しづらいんできすけど』って言ったら?」

「ははは。それはもっと言いづらいよ」

「じゃあ、1年生から順に挨拶していって、次は2年生、4年生とどんどん学年を挙げていったら?」

「それもいいかも。でも上の学年に挨拶したいんだよね。じゃあこういうのは?休み時間に担任の先生がやったみたいにみんなで行って一斉に挨拶するの」

「う~ん。

教師「6年生に直接言うのが難しいなら、6年生の担任の先生にお願いしてみる?」

「うん。お願いしてみようか」

「後ね、相手の目をじっと見るの。そうしたら『挨拶返さなくちゃ』って気付いてもらえるかも」

担任「今、上学年の人に挨拶ってことで対話してたけど、皆さんは1・2年生には自分から挨拶できますか?」

「うん、できるよ」「できまーす」などなど。

 

さあ、5・6年生から挨拶のリーダーシップをとってもらう作戦。吉と出るか、凶と出るか!?(「凶」はでないか)

乞うご期待です!

昨年に引き続いて、いちごカンパニースイーツラボから浅野様にお出でいただき、子どもたちに米粉を使ったデザートづくりについてご教示いただきました。

昨年もそうだったのですが、浅野様のデザートづくりやお話からは、「料理ってもっと自由になっていいんだっ!」って思えます。

何か力がみなぎるような、様々なことにチャレンジしたくなるようなデザートづくり。いやこれはデザートづくりに限ったことではありませんね。

様々なことにもっと自由になっていいんだって思える授業でした。

浅野様の手から次々に作りだされるデザートの数々は子どもを魅了してやみません。

私も「あっ!」とか言って全く関係ないところを指差し、子どもたちの視線を逸らせてから、一口パクッ!う~ん、おいしー!

もぐもぐしてると、子どもたちのじとーっした視線に、笑ってごまかすしかありません。君たちだって食べたじゃないのー。ははははは。

浅野様、素晴らしい授業をありがとうございました。

それにしてもおいしかったなあ。

この日から3回にわたって、この一大イベントに昼休みは充てられます、「木のおもちゃ作り」!

「ものづくりクラブ」でご指導いただいている地域のお二人(木工のエキスパートです!)から木材やくぎをご提供いただき、そして当日となるこの日にも駆けつけてくださり、子どもたちの創作活動のお手伝いをしてくださいました。君たち、幸せだねえ。お二人の地域の方々、心から感謝申し上げます。

子どもたちは思い思いのものを作り始めましたよ。しかーし!時間が足りません。そりゃあそうでしょう。楽しい活動って時間が経つのは速いものなのですからね。(あと、年取っても時間が経つのが速くなるよ♡)

続きは月曜日。わくわくドキドキして月曜日に学校にお出でね!

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