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「p4c」の記事一覧

感動の対話(p4c)。

国語ですから、教科書の叙述を引用しながらの対話(p4c)になります。

子どもたちが出し合って、選んだ問いは「兵十の『後悔』とごんの『後悔』は同じか?」です。

この問いを見ただけで、この時間までにどれほどこの物語を読み込んだのか分かるってもんです。

では、対話を見ていきましょう。いつもと同様にダイジェストです。

「この2つの後悔は似てるけど、ちょっと違う。兵十は間違ってごんを殺してしまったけど、ごんは自分のせいで死んじゃった」

「ごんの後悔はウナギを盗んだために兵十の母に食べさせられなかった後悔で、兵十の後悔はごんを撃ち殺してしまった後悔。ごんは自分のせいで死んだんじゃない。だって、兵十が母のために獲ったウナギだったなんて知らなかったんだから」

担任「結局、兵十とごんは分かり合えなかったの?」

「分かり合えなかった。ごんは兵十に栗をあげているのに、兵十はそれを分からなかった」

「そうだね。でも兵十は、最後にやっと分かった。『ごん、お前だったのか』でごんが頷いたから」

「そうだね。最後には互いに分かり合えた」

「分かり合えていなかったけど、最後には漸く分かり合えた」

教師「最後に分かり合えたから、兵十は後悔をした。ごんの気持ちが分かったから。それなのに撃っちゃった。だから後悔」

「そう。分かるのが撃った後だったんだよね」

「撃っちゃったから、兵十は本当に一人ぼっちになっちゃった」

「最後には分かり合えたけど・・・」

「兵十は少し後悔してると思う」

「そうだね。でも、後悔は少しだけじゃないよ」

教師「物語の最後の一文『青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました』って何を表しているんだと思う?」

「青いけむりはごんの魂。兵十はごんに謝りたかったと思う」

「煙はごんと兵十の気持ちを表しているんだよ、きっと。細く出ているのは悲しいって気持ちなんだと思う」

「互いの気持ちが分かったってことなんだ」

「煙はごんの気持ちだと思うよ。青いのは悲しさを表しているし、細いのはごんの命がやがて無くなってしまうってことを表している」

「ああ。青は悲しいって気持ちなのか」

「煙はやがて二人の関係が消えてしまうってことを表している」

「別れの意味なんだ」

「人と人なら言葉で伝えられる。でも狐は言葉で伝えられないよね」

「狐は言葉で伝えられない。だから行動で表すことになる。ごんが頷いたっていうのがその行動なんだ」

教師「人と人だって言葉が通じない場合もあるよね」

「そういう時は行動で伝える。気持ちを込めた行動」

「声が聞こえない人とは手話で伝え合う。筆談もある」

「そばにいれば伝わるんじゃないかな」

「うん。遠くにいたとしても、がんばれば分かり合える」

教師「分かり合うって結構難しい場合もあるよね。そういう時は諦めちゃう?」

挙手で意思表示をしてもらったところ、子どもたちは全員が諦めないで伝えられるようにすると考えたことが分かりました。

「諦めないで希望をもってがんばる」

「何とか通じるよう努力する。いつかはって!」

この対話は、数日前(9/29)にホームページに掲載した言葉へのレスポンスとなりますでしょうか。

相手に言葉が通じても通じなくても、「私はあなたをもっと理解しようとしています」という姿勢が、相手をケアすことになるでしょう。

相手の言葉を聴くことは、その人生をも含めて相手を理解すること。

聴くという行為は自分自身の人生の物語を通して相手を見るわけですから、自分自身を知ることにもなるのです。

これはp4cにも通じることだと思います。

とにかく今日は4年生に脱帽です。みんな、よく対話しました。いいもの見せてもらいましたよ。ありがとう!

この前日、2年担任は不在でした。

そこで子どもたちは、担任がいない時の自分たちはどうだったか、自己評価の対話(p4c)です。

ではいってみましょう!

問いは「先生がいない時、クラスはどうだったか?」です。

「図書室で読書してる時にうるさかった」

「うん。遊んでる人もいたよ」

「体育をしてるときに、ルール違反をしていた人もいた」

おっと。このままいっちゃうと告発大会になっちゃうなあ。

う~ん。でもこういうのもまた良し。

ところが・・・。

「私はいいことも言いたい。朝、教室に入るとき、みんな挨拶してたよ」

「そう。いつもより、挨拶できてた感じがする」

「体育で三角コーンをつかった練習をしてた時はよかったよ」

「おしゃべりをしてる人がいたら注意する人もいたし」

「みんなで仲良くしてたよね」

対話の嫌な流れを断ち切る発言から教室がハッピーな雰囲気に。

でもよくなかった点を言う意見もまた続きます。

「でも、間違えた人を笑ってる人もいたよ」

「おしゃべりも多かった」

ここで担任が初介入!

「なんで担任の先生がいない時ザワザワおしゃべりしちゃいたくなるんだろう?」

「ほかの先生方はみんな優しいからだよ」

「担任の先生も優しいよ」ははははは。素晴らしいフォローだね。

「一人がしゃべり出すとみんなが調子に乗っちゃう」

「そうだね。でもそれはよくないことだと思う」

「そういう時に、友だちの注意を聞かない人もいる」

担任が再び介入。

「注意してくれる人もいるんだよね。これからどうしたらいいんだと思う?」

「みんなで気を付ける」

「注意されたら止める」

「注意される前に止める」

「関係ないことをしゃべる人がいても、自分はしゃべらない」

教師「ねえ、そもそもさ、どうしてしゃべっちゃダメなの?」

「だってうるさくなっちゃう」

「大きな声を出されるのが嫌な人がいる」

「勉強に集中しなくちゃいけないのに、集中できなかくなっちゃうとかね」

「それと、先生の声が聞こえなくなっちゃうし」

「そうなったら、隣のクラスの迷惑にもなっちゃうよ」

「勉強しに関係ないことしゃべってもいいのは休み時間とかだけだよ」

「私、1年生の時、授業中に廊下でしゃべってたら、注意されたこと覚えてる」

「本を読んでるときは、うるさいと読めなくなっちゃうよ」

「計算ドリルとか漢字スキルとか一生懸命やらなきゃならないのんい、できなくなっちゃう」

続出した、友だちの意見を補完するような発言は、セーフティの構築にも一役かってるのでしょうね。

「そもそも誰もしゃべらなきゃいいと思うよ」

「関係ないことをしゃべるのはダメだけど、友だちに教えるためにしゃべるのはいいよね」

「そう。静かに勉強しなくちゃいけない時にしゃべってたら、『にじいろクラス』になれないよ」

おー!初志貫徹!これを目指すのが2年生の学級目標なのです。

とにかく発言意欲が豊富な子どもたち。

そして対話の最後には、年度当初にみんなで目指そうと決めた学級目標にに集約されていきました。

自律的な学級を目指すランドマークになるような対話になりました。

次はがんばろうって思える前向きな対話。

2年生のみんな、いい対話だったよ。

 

まなび学級の子どもたちが合同でp4c!

大テーマとして「みんなが楽しく過ごすために必要なこと」が設定されています。

そのテーマに基づいて、子どもたちが選んだ問いは「『ありがとう』はいつ言ったらいいの?」です。

では早速対話を見ていきましょう!

対話記録はAIレコーダーの自動文字お越し機能を使った要約版でご紹介します。

1. 「ありがとう」を言う・言われる場面は?
(1)自分が「ありがとう」を言った時はどんなとき?
・   物を貸してもらった時(鉛筆など)。
・  プレゼントをもらった時(びっくり箱など)。
・  落とした物を拾ってもらった時。
・  こぼした牛乳を拭いてもらった時。
・  誕生日プレゼントをもらった時。
・  助けてもらった時・「ありがたい」と感じた時。
・  席などを譲ってもらった時。
・  応援してもらった時(運動会で「頑張れ」と言われた時など)。
・  お金やお小遣いをもらった時。

(2)自分が「ありがとう」と言われた時はどんなとき?
・  ドアを開けてあげた時。
・  探し物を手伝った時。
・  誰かの仕事を手伝った時。
・  勉強の分からないところを教えた時。
・  一人でいる子に声をかけた時。
・  物を貸した時。
・  道具(包丁やハサミなど)を安全な渡し方で渡した時。
・  先生の手伝いをした時。
・  こぼした水を拭いてあげた時。
・  重い物を運んであげた時。
・  相手が忙しい時に一人で部屋を掃除した時。

2. 「ありがとう」を言ったり言われたりした時の気持ちは?
以下のようなポジティブな気持ち
・  嬉しい。
・  優しい・穏やかな気持ち。
・  明るい気持ち。
・  楽しい気持ち。
・  言った側も言われた側も両方明るい気持ちになるという意見があった。

子どもたちの発言を聞いていると、何かやってもらって嬉しかった時に「ありがとう」と言っているパターンと、目には見えないのだけれど相手の心遣いに気付いた時に「ありがとう」と言っているパターンがあることが分かります。

目に見えるありがたさと、目には見えないのだけど相手からの心遣いのありがたさ。

両方ありがたいものなのですよね。

結局、相手が自分のことを思ってくれているということに喜びを感じた時に「ありがとう」という言葉がでるのじゃないかなとp4cの授業を参観していて思いました。

「みんなが楽しく過ごせるために必要なこと」って、相手を思う気持ちが鍵を握っているのかもしれませんね。

今回はどちらかというと、今回は考えを広げる対話でしたね。それはそれでまたいいものです。

それにしても、まなび学級のみんな。発言意欲が旺盛で、すごいなあ。

2年教室を覗くと、道徳で『逆上がりできたよ』で学習するところでした。こりゃあちょうどいいとこに来ちゃったな~!

教材はがんばる女の子の話です。

担任は、これを対話(p4c)で深めようという考えみたいです。

まずはアイスブレイキング。隣同士で「最近頑張っていること」について話し合っています。

さらに担任はがんばっている理由についても話し合うよう指示しました。

後々分かるのですが、これが、この授業の伏線になっていたのです。担任の先生、お主やるなー!

教科書の教材文を読んだ後、みんなで話し合いました。「ねえ、何について対話したい?」

自然な流れで問いは「教科書の子の子は、なんでがんばったの?」になりました。

p4cの開始を待たず、それぞれの子が自分のがんばった体験について自然と語り出しました。何という学習意欲の高さでしょう!

「あきらめないで練習することでできるようになるからだよ」

「そう何回もやる」

「ぼくね、1回やってダメだったけど、何回もやったらできるようになったよ」

「言霊(ことだま)の力でできるようになったんだ」

「言霊ってなあに?」

「言ったこと、思ったことが本当になることだよ。何回も言葉に出して、自分にはできるって思いこむこととかね」

「ああ、そういうことある。私お腹が痛くなった時に『痛くない、痛くない』って強く思ってたら治っちゃったよ」

「へえ、そうなの。今度私もやってみよう」

「だから何回もやってればできるようになるんだよ」

担任「でも、そうは言っても、がんばってもできないこともあるよね」

子どもたちは隣同士「がんばったけどできなかったこと」について話し始めます。

そして、全体での対話に戻りました。

「がんばってもできないことはあるよ。でも最近なんかできそうになってきた」

「ブランコで一番上まで行けないんだ」

「ぼくもサッカーでシュート決められない」

「ぼくもある。家でも練習してるんだけどね」

ここで担任が爆弾発言●~*!!!

「がんばってもできないことがあるっていう子が多かったね。じゃあ、どうせできないなら、がんばらない方がいいんじゃない?」

おおおおおー!ドカーン!!ですね。

子どもたちをぐらんぐらん揺さぶります。

さあ子どもたち、どうする?

しかし、2年生はこんな揺さぶりにはびくともしなかったのです。

「いや、がんばればできるようになるよ」

「何回もやれば」

「算数でも」

「習い事でも」

「ぼく、半年かけてやり続けたら合格できたよ」

担任「続けることが大事なの?」

「やり続けて、1回出来たら、そのあと何回もできるようになるんだよ」

「私もクロールできなかったけど、1回泳げたら、ずっと泳げるようになってるよ」

「ピアノも同じだよ」

「でもできないことだってあるよ」

担任「何回も練習してても必ずできるようになるとは限らないみたいだね?練習しても結局できなかったら、練習したことは無駄になるの?」

「ならないよー!」と多くの子どもたちが応じました。

「たとえ負けても、練習したから、上手になってると思うから、次の大会では勝てる」

「ピアノの発表会でもそう」

「賞を獲れなくても、自分は成長できているからいい」

「保育園のときギターをやってたんだけど、止めちゃったの。そうしたら、後で後悔した。続けてればよかったって」

「負けたら、もっと練習すればいい」

「そう。失敗は成功の素!」

「ぼくの夏休みの科学研究も最初は失敗したのね。でも2回目はうまくいったよ」

「ええー!あれって2回目だったの!?すごーい」

低学年子たちはまだ理想の中で生きていると言ってもいい年代ですし、自分はテストをすれば100点、かけっこでは1等賞を獲れるって普通に考えているものです。でも、少しずつ現実の厳しさにも気づき始めたころかな。

そういう子どもたちの対話ですから、がんばれば目標は必ず達成されるという考えに絶対的な価値を置いているのでしょう。

いやいや!

大人だって、あきらめない限りは、たとえ今うまくいっていないとしても、それは目標達成までの険しい道のりの途中だと言えるのではないでしょうか!(私もまだ青いのかしら。そんなことないですよね、青春真っただ中の皆さん!)

がんばれ、2年生のみんな!君たちの未来は眩しいほどに明るいんだから‼私もがんばる!

松はチューリップとともに当校のシンボルになっています。

しかし、その松が危機的状況に陥っているのです。

地域の平野さんから、松と築地地区との古くからの密接なかかわりとともに、マツクイムシが松枯れを引き起こし、地域の松が壊滅きな被害を被っている現状を伺いました。

特に、地域のある企業の敷地内の松は青々としているのに、道路を一本隔てた空き地の松は壊滅的なのは、なぜか。

その理由を平野さんに伺うと、企業は松に薬剤を蒔いている、いわば予防注射をしているのだということでした。

松枯れは学校の松林も例外ではありません。やっぱり何本かはマツクイムシにやられていたのです。

この後、地域の平野さんと対話(p4c)することで、子どもたちは地域課題である松枯れ問題に立ち向かうことになります。

対話の様子をダイジェストでどうぞ。

問いは「学校の松林を守るために、私たちができることは?」です。

「まずは松を大切に扱うことでしょう」

「大切に育てるのが大事」

「行われている松枯れ防止対策を今の2倍、3倍にするのがいい」

「そのためには、いろいろな学年や地域の人に松の現状を伝えることが大事だと思う。松の魅力をみんなで話し合うとか」

平野さん「松枯れの現状はそれぞれの土地の持ち主は分かっている。今は生活スタイルが変わってきていて、松を使わなくてもよくなっている。地域の人は寂しいと思っているが、松を守るためにはお金がかかるからね。お金をかけてまで松を守ろうという人は少ないんじゃないかな」

「なんで松を残すのか。その理由を明確にしていく必要があるよね」

「友だちと話したりして、松枯れの現状への理解を少しずつ広めていったらいい」

「そうだね。様々な人に分かってもらえば、ボランティアも増えるかも」

教師「平野さん、予防接種するにはどれくらいお金がかかるんですか?」

平野さん「そうだね、一本5,000~6,000円くらいかな。学校の松林全体だと500万円とか1,000万円くらいしちゃうかもね」

「えええー!そりゃあダメだ」

理想論に終始するのではない、現実の厳しさを知った子どもたち。

平野さん「地域全体だと大変だから、まずは学校の松林に絞って考えたらいいと思うよ。伐採した枯れた松の再利用を考えてもいい」

「肥料にしたらいいじゃない?」

「ああ。枯れた松を材料にして椅子や机を作ったら?」

「ドアのネームプレートもいいんじゃない?ドアのプレートだったら、人がそんなに触れるわけじゃないから、燻蒸したものでも大丈夫なんじゃない?」

「アート作品を作るとか」

「可愛い看板を作ったり」

「松林を守るって話に戻るんだけど、新しい苗を植えたらいいと思う。みんなで植えるの。植えたらその後の対策を考える」

「新しく苗を植えるなら、マツクイムシに強い松の苗がいいよ」

「どうして?」

「だって、強くないと、またマツクイムシにやられちゃうよ」

「なるほど。そうだね」

「さっき平野さんがマツクイムシに強いのは、にいがた千年松だっておっしゃってたよ」

「平野さん、にいがた千年松の苗はいくらぐらいなんですか?」

「そうだね。一本400円ぐらいじゃないかな?」

「おおー。それなら、いけそうだね」

平野さん「マツクイムシはカナダとかから輸入された木材から日本に持ち込まれたとも言われている。マツクイムシをすべてなくすのは難しいよ」

「やっぱりみんなに松枯れについて知ってもらう必要がありそう。イベントとかやって周知したら?」

教師「枯れた松は教育委員会が伐採してくれました。今その枯れた松の場所は空いているよ」

「じゃあ、空いているところに松の苗や花を植えたらいい」

「カラフルになっていいかもね。ほかの学年に水遣りとかの当番に入ってもらう」

「あと、植えるときには地域の方々にも来てもらう。そうすれば松枯れの現状を理解してもらうきっかけにもなるし」

「松林はマラソンコースにあるでしょう。もっとマラソンコースを使ってもらうようにしたら、松枯れに気付く人も多くなると思う」

「そもそもなんで松にこだわるのか、みんなで考えたい。ほかの木じゃダメなのかなあ」

この発言は対話の終盤に飛び出したものです。

それまでの対話を根底からひっくり返す、まさに「そもそも」を問うクリティカルシンキングの極み。

時間がなくてこれに焦点化することはできなかったのですが、対話(p4c)をくりかえすことによって培われた力のなせる技なのかもしれません。

この場にセーフティがあったからこそ出た発言とも言えるのでしょうね。

すごい!

様々な意見が出たところで、時間となりました。

教師「たくさん意見が出たね。多く出た意見をまとめるとこんな感じかな?まず、松枯れを完全に防ぐことは難しそう。お金もたくさんかかる。でも新しく苗を植える、それも松くい虫に強いにいがた千年松。これなら大丈夫。それと、松枯れについて広くみんなに知ってもらったらいいという意見も出たね。じゃあ、新聞社にお願いして私たちの活動を取材してもらったらどうかな?」

地域の課題を、地域の方々と一緒に対話して解決策を考え、地域の方々と一緒に解決のために活動する。

「地域とともに歩む学校」という理念を体現する活動になっていますね。

「子どもがつくる学び 子どもがつくる学校」をさらに超えて、「子どもと大人が一緒につくる地域」といってもいい教育活動になりそうです。

平野さん、素晴らしい対話をありがとうございました!

学期末。まなび学級では合同でお楽しみ会をする予定です。

この日はそれに向けた対話(p4c)です。

残念ながら私は参観することはできなかったのですが、残された板書から対話の流れを想像しましょう。

問いは「どんなお楽しみ会にしたい?」です!

「悪口や暴言がないお楽しみ会がいい」

「楽しいお楽しみ会」

「ケンカがない」

「うん。一人も嫌な思いをしないお楽しみ会」

「暴力がないお楽しみ会」

「ハッピーなお楽しみ会」

「そう!超ハッピーなの!」

「優しいお楽しみ会がいいよ」

「うん。冷たいメッセージがないのね」

「みんなが助け合うお楽しみ会だね」

「あと、ケガがないってのも大事」

「人に嫌なことをしない」

「嫌な思いをさせちゃったら?」

「そうしたらね、すぐに謝るの」

「そうだね。それなら、みんないい気持になるね」

「いじめもなくなるよ」

「うん。自分だけじゃなくて、みんなが楽しめるようにするのがいいんだよね」

「全員が楽しめるお楽しみ会だね」

ここで教師が介入して問いが変わります。

「じゃあ、お楽しみ会で何をするんだったらみんなが楽しめる?」

「ドッジボールがいいよ」・・・同様の意見が4つ。

「サッカーもいいな。みんなが協力できるし」・・・同様の意見が2つ。

「ケガがないお楽しみ会がいいんだから、ケガの心配がない遊びにしたら」

「バスケがいいよ。バスケならみんなが楽しめるよ」

「変わりオニがいいと思う。鬼にタッチされたら必ずオニが交代するの。タッチ返しがないおにごっこ。だってさ、おにごっこでケンカになるのはタッチ返しされて、またタッチ返しして・・・ってずっと続くからケンカになっちゃうことが多いからさ」

「ちょっといいかな?」

ここで再び教師が介入です。

「もしもお楽しみ会をする日が暑すぎたら、熱中症の心配をしなくちゃならないでしょう。クーラーが効いて涼しい部屋でできるのも考えてみない?」

「多目的室ならクーラーが効いて、結構広くもあるから、そこで凍りオニは?」おー!名前からして涼しくなれちゃうね。・・・同様の意見が5つ。

「カードゲームがいいよ」

「多目的室なら長縄跳びもいい」

「ボーリング」

「なんでもバスケット!」

「みんなで絵を描きたいな」

「ボール遊び」

「そうだね。それならバレーボール」

「ドッジビー!やわらかいフリスビーをボール代わりにするドッジボールだから痛くないよ」

「そうだ!ドッジボールで、先生対子どもは!?」

「おー!」

「キャッチボール」

結局どうなったのかは分かりませんが、とにかくセーフティがしっかりとある対話になったとのこと。

一人のお子さんが言いよどんだ時も、1分も2分も周囲の子どもたちはその子が発言するのをずーっと待っていたのだそうです。

いやー、2分って結構長いですよ。それでも待っているなんて!

かー!泣けますね、泣ける!このセーフティの素晴らしさよ!

みんなの発言意欲が旺盛で、お楽しみ会が楽しみになるような対話だったとのことでした。

お楽しみ会にはぜひ行きたいなあ。

この日の3時間目はスマイル集会。

「いじめをしない、見逃さない、許さない」という意識の醸成をねらって行われました。

まずは全校児童が観る中、生活指導部の教員を中心とした即席の劇団が寸劇を披露。

これがまた迫真の演技だったのです。アカデミー賞ものですね!

日常生活の中でありそうなこと(友だちを呼び捨てにする、「おまえ」「はあ?」などの冷たい言葉を投げかける、挨拶を無視するなど)を教員が演じると、子どもたちは真剣な顔、少しつらそうな顔しながら完全に見入っていました。

演じ終わると全校の子どもたちが大拍手!これって大事なんですよね。この拍手が演劇(ロールプレイ)の世界から教員や子どもたちの現実の世界に引き戻します。「はー、劇の世界の話でよかったあ」と安堵した子もいたかも。

その後は、各学級ごとに、それも全ての学級で対話(p4c)して子どもたちは考えを深めました。

p4cそのものが「心理的安全性」を意味する「セーフティ」を大切にしているため、こういう人間関係の修復に関する対話では大きな力を発揮するものだと考えています。

後日、生活指導主任のもとに各学年の対話p4cの報告が集められる予定ですから、それをまた全校で見合うということになります。

真剣に話し合った子どもたち。いい対話してたねー、君たち。

4年生は道徳で対話(p4c)です。

『となりのせき』という教材で「公平」について考えます。

みんなで教材を読んだ後、担任は問い掛けました。「『公平』ってどういう意味?」。

すると、子どもたちは「誰にでも同じようにするってことです」と返しました。

こんな感じで始まったこの時間。対話は、根本的なことを問うクリティカルシンキングが随所で見られるものとなりました。

問いは「なんで人は不平等にすることがあるんだろう?」です。

「不平等にすると、された人はかわいそうだね」

「人それぞれ個性があるから、人と違うのは当たり前」

「みんな平等にしないと、何かずるい」

「自分が苦手な人に対しては、平等にしたくないんだと思う」

「そうだけど、やっぱりみんな平等にした方がいいと思う。だって、『どうして私だけみんなと違うの?』って悲しくなっちゃって、そのうち学校に来られなくなっちゃうかもしれないし」

「どうして学校に来られなくなっちゃうの?」

「怖くなるからだと思う。自分はいじめられているんじゃないかって」

「自分の気持ちと相手の気もちがずれていると平等にできなくなっちゃうのかな」

「ねえ、『個性』ってなあに?」

「例えば、野菜が好きか嫌いかとか、どんな運動が好きかとか、ひとによって違うでしょう。そういうのが個性」

そして、4年生として記念すべき発言が!

「自分と相手の気持ちが違っているのはなぜだと思いますか?」

問うことによって対話を深まることって往々にしてあるものです。そして、このお子さんが発した4年生全体への質問は、今後、子どもたちが自分たちで対話を深める第一歩となるでしょう。

「人によって、好きなものや思いやる気持ちが違うからじゃない?」

で、ここで担任が、対話を一気に深める問い掛けをします。

「『平等』と『公平』って違うの?」

今まで子どもたちが定義をごちゃ混ぜにしながら対話してきた『平等』と『公正』。

子どもたちはあいまいなものの定義づけに挑戦します。

「う~んとね、『平等』は同じにすること。『公平』はそれぞれに合ったやり方をすること」

おおおおおー!すごい、すごい。

担任はさらに子どもたちが考えやすいように足がかりを作ります。

「公平じゃない態度って、どんな態度?」

「例えば、みんなには優しくするけれど、苦手な人には適当にあしらっちゃうこと」

「うん。仲のいい人には優しくするけど、そうじゃない人には態度を変えちゃう」

担任「じゃあ、不公平にすることってある?」

「嫌いな人には不公平にする。親切にしたくないって気持ちがある」

ここまで当然のことのように使われてきたことに、敢えてメスを入れます。

「なんで嫌いな人には不公平にするの?」

「嫌いな人にはあまり会いたくないし・・・」

「苦手な人だとあまり話せない」

次の問いが、この対話を終着駅に誘います。

「どんな時に不公平にしたくなっちゃうの?」

「よく知らない人に不公平にしちゃうんだと思う」

「ああ。その人に優しい面があることを知らないんだ」

担任「どうすればいいと思う?」

「まず、あまりよく知らない人にも話しかけてみて、遊びに誘えば、相手のことをよく知ることができると思う」

「知らない人にも優しくしてやれば、それがきっかけになってよく知り合える」

「うん。どんどん質問すればいいと思うよ」

他者理解が人に優しくできるカギとなるし、公平に人と付き合えることに繋がるということに気付いた我らが4年生。

私も応援の問い掛け。

「ねえ、みんな。2人の人がスポーツ観戦してたとするよ。それを見てた人が、2人のうち1人だけに椅子を勧めた。これは平等じゃないよね。公平かな?」

挙手をしてもらうと、全員が「不公平だ」としました。

「実は椅子を勧めてもらった人は足が悪かったんだ」

すると、子どもたちははっとしたような表情で、全員がこのケースは「公平である」としました。

相手のことをよく知ることで、人間関係ってうまくいくことも多いんじゃないでしょうか。

それにしても、4年生。この対話だけでもかなり成長した姿を見せてくれました。お見事!

1年生は道徳で対話(p4c)。
学校では多くの人々が教育に携わってくださるからこそ豊か学びができるということに気付くことをねらいます。
問いは「学校にはどんな人がいるか?」です。
相変わらず発言意欲が旺盛な1年生。
今回も楽しい対話(p4c)になりそうです。
では見ていきましょう。

担任「学校にはどんな人がいますか?」
「教頭先生です」「校長先生です」「ランチルームで給食の仕事している人です」「○○先生です」「保健室の○○先生です」「担任の先生!」「特別支援教育支援員の〇〇先生」「〇○先生」・・・など出るわ出るわのオンパレードです。
子どもたちはどんどん挙手します!
「まだいるよ」「学校にはいっぱい先生がいるんだよ」という声が聞こえます。
挙手する子が多いものですから、発言した後、どの子にコミュニティ・ボールを回そうか迷っちゃいますね。
そんな時、子どもたちの中から「まだ話していない人にボールを渡そう」って声が。素晴らしいね。
「お友だちです」おおおー!そうか、これは盲点!私もなんとなく大人限定と思い込んでいました。

担任「学校には多くの先生がいるんだね。みんなはしてもらって嬉しかったことはある?」
「〇〇先生に手伝ってもらいました」
「〇〇さんが一緒に遊んでくれて嬉しかったです」
「〇〇先生に」「〇年生が」・・・とまたまた発言のオンパレード!
「みんなとだるまさんが転んだとかおにごっこをできて嬉しかったです」
「担任の先生と一緒に授業をできて嬉しいです」
支援員さんも1年生に促されて発言。「私は、みんなが元気よく挨拶してくれるのが嬉しいです」
「指が痛いときに、保健室で絆創膏を貼ってもらえて嬉しかったです」
この発言をきっかけに、「困っていた時にやってもらって嬉しかったこと」に対話の焦点は移っていきました。
「頭痛いときに・・・」「お腹が痛いときに・・・」とここでもオンパレード。具合の悪い時に治療してもらったことや気遣ったくれたことのありがたさが語られていきました。
担任「みんなが入学したばかりのときは配り物や黒板消しなどは、私がみんなやっていたんだけど、最近はみんながやってくれるので嬉しいです。楽になりました」
1年生はみんながそれぞれ何回も発言していきました。とても楽しそうに。
他の子が発言したことで重複することもお構いなしにバンバン発言していきます。
彼らの姿を見ていると、自分が自分の言葉で話すことを彼らは欲しているのだなあと感じます。
そして、自分が発言して、それをほかの子たちがしっかりと聴いてくれていることが本当に嬉しそうです。
受け入れてもらっていることを感じるのでしょうね。
まさに互いをケアし合っている姿がここにはありました。

「6年生が『大丈夫?』って声をかけてくれて、心が温かくなりました」
「6年生がほうきの使い方を教えてくれて嬉しかったです」
私も発言。「学校の階段にほこりがたまっていることが続いた時、地域の方が『私たちが校舎の掃除をしましょうか?』って声をかけてくれたんだよ。それが『祖父母サポーター』の始まりなんだよ」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんに褒められて嬉しかったよ」
「どうして褒められたの?」
「ぼくが人のことを手伝っていたからだよ」

私が再び介入。「みんなは様々な人から支えてもらっているんだね。ねえ、学校で君たちが成長することに関わってくれている人は何人くらいいると思う?」
「う~ん。20人くらい?」
「50人くらいじゃないかな?」
私「実はね、100人以上いるんだよ」
1年生「えーーーーー!!!」
私「そうなんだよ。この前の運動会ではものすごく多くの家の方がお出でくださったでしょう。みんな君たちが成長するために支えてくださっているんだよ。ほかにも給食を作ってくださる人とか、校舎の修理をしてくださる人とか、100人よりもずっと多いんだよ」

担任「助けてもらって嬉しかったことをみんなたくさん発表したね。これからもお世話になると思うよ。そういう人たちに、どうやって『ありがとう』の気持ちを伝えますか?」
「今度会ったときに『ありがとう』って言います」
「掃除してくれてるときにも『ありがとう』って言います」
常に様々な人に感謝の気持ちをもって接していけるといいね。
それにしても1年生。素晴らしい対話を連発してますね。

運動会を作り上げた6年生。その彼らが運動会を通して、自分自身を見つめます。

子どもたちが作った問いは次のものです。

「運動会。私たちはなぜあんなにがんばれたのか?」かー、しびれますねー!

とにかく子どもたちの発言が多すぎて、とても記録することはできませんでした。

板書をもとにした、「大体こんな感じ」っていう対話記録になりますが、お許しください。

子どもたちはうんうんうなりながら自己を見つめ、仲間を見つめた対話です。

「私たちにとっては最後の運動会だったでしょう。だから最高の思い出にしたいと思ったんだよね」

「運動会って年に1回しかない。だからがんばれた」

「一人一人の『勝とう』って気持ちが大きかったんだと思う」

「やっぱり最後の運動会だからじゃないの?」

「みんながすごくがんばってたでしょう?だから自分もがんばろうって気持ちになったんじゃないかと思う」

「最後だからいい思い出にしたいって気持ち」

「友だちからも、家の方からも、たくさんの応援があったから、がんばれた!」

「みんなが運動会を盛り上げたいって思ってたんじゃないかな?」

「そう。それにみんながたくさん練習していたのを知ってたからだよ」

「こういうのもチームプレーなんだろうね」

「やっぱり『勝ちたい』って気持ちが大きかったんだと思うよ」

「最後の運動会。今の仲間との最後の運動会だから」

「がんばっている姿を見せたいって思ったよ。家の人にも仲間にも」

「最初は『楽しみたい』って思ってたんだけど、そのうちに『勝ちたい』って気持ちが膨らんでいったような気がする」

「そうかも。それに、最後だし、悔いのないようにしたいって」

私も介入。「勝ちたかったって振り返る人が多いけど、どうして勝ちたかったの?」

「前に競技の部と応援の部の両方で勝って、2冠を達成したときがあったよね。私はその時のことが忘れられない」

「さっき『勝っても負けても精一杯やればいいって思ってた』っていう意見があったけど、なんか『最後は勝って終わりたい』って気になったんだよね」

「うん。以前応援賞をもらって嬉しかったことがあって、それがいつの間にか『2冠を獲りたい』になっていたんだ」

「ああ。私は応援団にはなれなかったんだよね。でも、応援団以外の場所で活躍したいって、考え方を切り替えたんだよね」

「活躍する場所は様々あると思うけど、1年生から5年生までの運動会とかで得た知恵を使って、勝つ姿を見せたいと思った」

「ぼくたちは一人一人目標は違うと思うんだよね。でも目指す先は同じだったって言うか・・・」

「今年はいつもよりも『勝ちたい』って気持ちが強かったと思う。負けるより、勝つ方が思い出になる」

「私は応援団になったから、負けたくなかったって思ったんだと思う」

「私は応援団だったし、『勝ちたい』って気持ちは強かった。でも本当に大切にするべきことは『楽しむこと』なんじゃないかな。一人一人が主役なんだし、みんなそれぞれが楽しめたらいいって思ってた」

「私は練習中は『楽しみたい』って思ってたんだけど、運動会当日は『負けたくない』って気持ちに変わったんだよね」

「ああ。練習も本気でがんばってたんだから、本番は『負けたくない』になった」

「『勝ちたい』も大事だけど、楽しまないとって思う」

「『最後だから勝ちたい』なのかもしれないけど、『最後だから楽しみたい』ってのもあるかも」

私が再び介入。「『勝ちたい』とか『勝つため』って何人もの人が話しているね。でもさ、勝っても別にお金がもらえるわけじゃないし、優勝旗だって家に持って帰れるわけでもない。何でそんなに勝ちたかったの?『勝つ』って君たちにとって、どんな意味があるの?」

私は子どもたちに問い掛けながら、これは難しいでしょうと思ってたのですが、ちょっとの間をおいて、バババッと挙手が!

「勝つことは思い出になることなんだよ」

「私たちにとっては最後の運動会だったから、勝たないと気が済まないって感じ」

「勝つってことは、達成感を得たり、自分の成長を実感できたりするんじゃないかな?」

おおおおおー!この発言にまだまだ別の子も続きますよー!

「『勝つこと』で、自分で自分の努力を認められるんじゃないかな?」

「結果としても残るしね」

「『勝つ』って、『闘いに勝つ』ということもあるけど、『気持ちに勝つ』ってこともあるんだと思う」

子どもたちは、目に見えないもの、数値に表れないものについて語り出しました。

対話もいよいよ佳境です。

ここで担任が満を持して介入。「みんながこの運動会で得たものって何なんだろう?」

この問いかけが対話を大団円へと導きます。

「この運動会を通して、私たちの絆が深まったと思う」

「協力することの大切さを感じることができた」

「努力したことって成果として表れた」

「誰かと一緒に、同じ目標に向かってがんばる意味」

「責任かな」

「親からの温かい視線も感じたよ」

競技の部で優勝した白組は優勝旗を、応援賞を獲得した赤組は応援賞カップを、それぞれ獲得したわけだけど、子どもたちはそれらよりも、もっともっと大事なものを手に入れたみたいですね。

そして、それを自覚することができたのね。

素晴らしいp4c!お見事!ブラボ-👏

 

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