学校ブログ

この日の午後、築地中学校で小中合同いじめ見逃しゼロスクール集会が開催されました。小学校からは5・6年生が、中学校は全校生徒が参加してくれました。

集会は2部構成。

第1部は、TSUNEIさんの講話とミニライブ。講話はご自身の半生を振り返っての大変感動的なものでした!私、涙が出そうになっちゃった。

TSUNEIさんからは、子どもたちにこんなメッセージをいただきました。

①本気でやれば、応援してくれる人は必ずいる!

②つらい・悔しい経験を無駄にしたらもったいない!

③逃げることは新しい可能性に会いに行くことかも!?

第2部は小中学生が班ごとに分かれて、予め撮影していた動画(出演は築地の小中学生!)を見て、対話です。実際にありそうな場面が提示され、こんなときどうする?どうしたらよかった?という実践的な問いで語り合いました。

中学生のお陰でいい会になりました。中学生の皆さん、ありがとうございました!5・6年生もがんばりましたね。

出たー!今日も今日とてウサギさん。

1年生から全校児童に向けた企画「ウサギを抱っこする会」。素晴らしい取り組みですね。

そりゃあ、私も行くでしょう!家でもうちのネコちゃんに「ネコちゃんもうさちゃん抱っこしたいよね?」ってしつこく訊くほどですもん。まあ、猫もすごく可愛いですけどね。

昼休みは1年生が企画運営したこのイベントは大盛況!

ウサギを抱っこすると、なぜ人はかくも穏やかな顔になるのでしょうか?

まあ、普段からみんな穏やかな顔してるけどね。

ちなみに最後のウサギの家の写真。ダンボールをこのように形作ったのは子どものアイディアなのだそうです。わぉ、天才的―!

胎内ディアーズからは、授業はもとよりクラブ活動などでもお世話になっています。キャリア教育の一環として教室で小川選手からお話を伺って考えを深めたこともあるんですよ。

その胎内ディアーズの公式戦が近々あるのです!しかーし!当日の午前中は何と当校のアートフェスティバルがあるんです。試合は午後からですけど。

それでも、がんばれという気持ちを伝えたいということから当日掲げられる横断幕に全校の子どもたちがメッセージの寄せ書きをしました。

6年生が書いているときには、新潟日報や新潟テレビ21(UX)が取材にもお出でになりました。

ディアーズに子どもたちの思いが届き、がんばってくれることでしょう!

うさちゃんが学校に来てから、毎日ホームページに登場してるウサギさん。だってその可愛さったら悶絶ものなんですもの♡

この日の午前中に保護者の方が、ウサギを見せてくださーいと来校されるほどです。

さて、給食時に、校内放送で1年生から連絡がありました。

「明日の昼休みに『うさぎをだっこする会』をします。抱っこしたい人は1年教室に来てください」

なんとー!やったー!

私、絶対行くもんね。

うさぎと1年生を基点にして、人がつながっていきますね。

前日に国語『やまなし』についてp4cで考えを深めた子どもたち。その時は、途中でタイムアップになっちゃったので、この日その続きをしました。

問いは「『やまなし』は何を表しているのか?」と設定したところ、戦時中においては「平和」であるとした子どもたちが多数でした。しかし、そういう状況でも、「いやあよく分かんないんだけど、原爆じゃないとしても何か別のものじゃないか?」と疑義を提出したお子さんがいました。大多数の子が考えていることは、「よく分かんないんだけど、ちょっと違うと思う」と言える、このお子さんの勇気と学級のセーフティの高さ!素晴らしいですね。

この日の対話の様子をダイジェストでお知らせします。

まず私が子どもたちを揺さぶります。「ねえ、『平和』だって考える人が多いけど、「やまなし」が登場する最初は、『そのとき、ドブン。黒い大きなものが天井から落ちて・・・』と書かれているよね。「平和」って、人がびっくりするように突然現れるものなの?黒いし。ホントに『平和』なの?」

私の揺さぶりに敢然と立ち向かう子が数人。

「いや、最初は黒くて、驚かせるような登場の仕方をするけど、だんだんとこれは『平和』だって分かってくる」

「うん。『お父さんのかには、遠眼鏡のような両方の目をあらんかぎりのばして、よくよく見てから』、これはやまなしだって言ったんでしょう。平和だって、最初からもう平和になったなんて、すぐには分からないんじゃないんじゃない?」

「もう二日ばかり待つとやまなしは下に沈んできておいしいお酒になるって書いてある」

「最初は平和だって分からないかもしれないけれど、そのうち分かってくるものなのかも?」

私「そう言われてみれば、そうだね。平和の象徴であるやまなしを喜んでいる様子が分かる描写がある。それはどこ?」

さらに「お酒って、人々の喜びの象徴なのかもしれないね」と私が締めくくっておしまい。

 

『やまなし』という難解な物語を彼らなりに読んだ時間となりました。よくがんばりました。

 

対話の写真は撮れなかったので、以前の社会科の授業風景をどうぞ。

主体的に飼育し続けるという環境設定によって、子どもたちが動物に対する思いを自ら変えていく姿を、私今まで目の当たりにしてきました。

最初は、「飼育している動物遊ぶ」のが、次に「動物が遊べるようにする(動物遊ばせる)」になり、「最後は動物が心の中に住む」ようになります。動物が心の中に住むというのは、例えば美しいものを見た時に、これを動物にも見せたいなあというほど、動物を愛するということです。

以前ホームページでも紹介しましたが、ヤギを飼っていた子がアサガオが咲いたので見せようとヤギをアサガオのところまで連れて行ったエピソードがありました。ヤギはアサガオをむしゃむしゃ食べちゃったとさというオチもついていましたが。ははははは。

1年生、昨夜は「ウサギさん、今頃どう過ごしているかな?元気にしてるかな?」と思いをはせていたことでしょうね。

さて、この日、子どもたちはウサギの世話を一生懸命していましたよ。

おや、ヤギ用のトンネル?迷路?をダンボールで作っている子たちもいますね。これはまさに「動物を遊ばせる」姿と言っていいでしょう。早くも大きな学びをしている1年生です。

田植えをした田んぼで今度は稲刈り。この間、ィネを育てていてくださった方々に感謝しつつの手刈りです。

子どもたちは慣れない手つきで、慎重かつ丁寧に刈っていきます。

徐々に慣れてきて、「校長先生、ほら見て!」と華麗な鎌さばきを見せてくれる子もいるほどです。

秋晴れの下、楽しく稲刈りを終えた5年生でした。

それでもやっぱりかなり疲れたみたいね。

最後は、採ったどーの写真をどうぞ。

宮沢賢治の超有名作「やまなし」。美しい物語ですが、昔から全国の小学生と教員を悩ませてきた難解なお話です。

担任が不在だったので、私が代わりに指導のお手伝い。

子どもたちに訊くと、この「やまなし」の学習はテストこそしていないものの、ひと通り学習は終わっているとのこと。

じゃあ、ちょっと自由にやらせてもらいましょう!わーい!6年生のみんな、勝負だ!

手塚治虫は、この作品を「戦時中の日本」のメタファー(隠喩)と読んで漫画化しています。この前の時間に、「魚」や「かわせみ」、そして「かにのきょうだい」はいったい何を表しているのか、子どもたちと私とで対話しました。

そして、この日の対話の問いは、「やまなしはいったい何を表しているのか?」です。

文学作品と手塚治虫の漫画を読み比べながらの、ショートタイムp4c(対話)となりました。

漫画版やまなしでは「やまなし」は「敵の戦闘機」であり、「やまなしが発するいいにおい」は「投降を勧めるアメリカからのビラ」として描かれています。

さあ、子どもたちは以下に読むか。対話記録をご覧ください。

私「前の時間に『やまなし』が表すものは、人々が欲しいと思っているものだと読んだ子がいたね。素晴らしい読み取りだし、そういう読み取りもあると思います。この対話では改めて『やまなし』が表すものは何か、みんなの話を聞きたいのです」

「私は『やまなし』は平和を表していると思います」

「どうして?」

「漫画では戦争反対の人が殺されたりしたでしょう。本当は反対したいし、反対だって言いたいんだけど言えなかった。でも、みんなは平和を望んでいたし、人々が欲しいと思っているものだと思うからです」

「うん。漫画の最後でかにのお父さんが、アメリカからのビラの「へいわ」という文字について、『平和・・・。いいにおいのすることばだな』って言ってるでしょう。やまなしのいいにおいは平和のにおいのするビラだし、やまなしそのものは平和を表していると思う」

「そうだね。人々は平和な世の中を欲しがっていたんだと思う」

「みんな『平和』だっていう意見みたいだけど、そうじゃないって思う人はいる?」

驚かれるかもしれませんが、これ、子どもの発言なんですよ。学級全体を視野に入れた発言。まさに「子どもがつくる学び」を体現しています。一人一人が対話のファシリテーターなんですよね。

「ぼくは、迷ってるんだ。やまなしはドボンと落ちてきたんでしょう。この時代に人々を怖がらせるような大きなものは原爆があると思うけど、どうも原爆じゃない気がするし・・・」

とここでタイムアップ。

迷いも素直に発言できるセーフティの高さが素晴らしい。

だからこそ、文学作品を多義的に読むことができるんですよね。

タイムアップになっちゃったのが実に残念。私の余計な話が長すぎちゃったのかしら。また機会があれば続きをやりたいね。

6年生は全校児童を視野に入れています。全校の挨拶がよくなるためにはどうしたらいいか対話で深めます。

まずは、現状確認です。

「校長先生が毎朝児童玄関で挨拶していらっしゃるでしょう。私校長先生にはちゃんと挨拶してるよ」

「私は低学年が私たち高学年を怖がったらかわいそうだなと思うから、優しく挨拶してる」

「私、松の子委員会の活動として、毎朝玄関で挨拶してるけど、挨拶を返す人って決まってるんだよね。挨拶返さない人はいつも返さない」

この次の発言で対話が動き始めます。

「皆さんに質問です。全校の中で一番挨拶がいいのは誰だと思いますか?先生方も含めて」

おおっ!この質問は、対話全体を視野に入れた発言ですね、よいモデルから学ぼうとする対話にしようと。素晴らしい。

「私は〇〇先生。毎朝玄関に立って私たちにあいさつしてくださっているでしょう。私たちの挨拶をよくしようって真剣なんだなって思う」

「私は担任の〇〇先生。挨拶対話(p4c)の前だったか後だったか、笑顔で挨拶してくれて嬉しかったなあ」

「私は〇〇先生。いつもなんだけど、大きな声ではきはきとしている」

「私はクラスメイトの○○さん。必ず私の近くに来て挨拶してくれるんだよ」

「私は〇〇さん。私の名前を付けて挨拶してくれるんだ」

「私は〇〇さん。挨拶するときの笑顔が素敵だと思う」

「ぼくは〇〇さん。元気に挨拶してくれる」

 

「でもさ・・・、ぼくら思春期でしょう。だから、挨拶するって少し恥ずかしいというか・・・」

「ぼくは〇〇さんの挨拶がいいと思う。教室内だけじゃなくて、教室外でも様々なところで挨拶してるよ」

「ぼくは〇〇さん。〇〇さんもわざわざ近くに来て挨拶してくれる」

「私は〇〇さん。歩いているとすれ違いざまに優しく、明るく挨拶してくれる」

「あ、私も〇〇さん。元気に挨拶してくれるよね」

「ぼくは〇〇さん。教室の一番後ろから一番前にまで聞こえるような大きな声で挨拶してくれるんだ」

「私は〇〇先生。いつも笑顔で明るく優しく挨拶してくれる。松の子委員として挨拶するときも笑顔で挨拶してくれるんだ」

「ぼくは〇〇先生。すれ違う時、絶対挨拶してくれるよ」

どんな挨拶が相手の心に響くのか語られていきました。

 

さらに別のお子さんが次の発言で対話を別次元へ持っていこうとします。

「ねえ、みんなに訊きたいんだけど、挨拶をしない人にはどうしたらいいと思う?」

理想を語り合うだけではなく、挨拶がよくなるための具体策が語られていきました。それも全校の子どもたちの挨拶がよくなるようにです。

「そうだなあ。いきなり大きな声で挨拶しようって言っても無理だろうから、毎日ぼくからコツコツと挨拶していく。そのうち慣れて自分からしてくれると思うよ。最初は小さい声かもしれないけど」

「先生から挨拶されても返せない人には、励まして必ず返そうよって勇気づける。これを毎日毎日繰り返しやる」

「そうなんだよねえ。でも私は自分からはちょっとできないかも・・・」

 

「挨拶されれば相手も少しは嬉しく感じるんじゃないかな。挨拶はした方がいいよ」

「そうだよね。挨拶はこれから生きていく中で大事なことだから、義務教育のうちに挨拶できるようにしておく必要がある」

 

「私たち、挨拶について何回もp4cしてるけど、あまりよくならないよね」

おおおおおー!この問い直しは、口先だけではなく、また、単なる行動訓練でもなく、挨拶の習慣化や挨拶に対する意識変容の難しさに直面していることを言語化していますね。素晴らしい。

そして、この問い直しにさらに自分なりに次のように解を持とうとしているのもまた素晴らしいです!

「うん、そうだね。p4cを何回もしてるのに変わらないのは、挨拶しようって意識がないからなんじゃない」

 

「挨拶できない人って、仲がいい人にしかできないのかな?」

「私、松の子委員会で朝挨拶してるけど、挨拶返してもらえない人には挨拶したくなくなっちゃう」

「でも、逆にそうだからこそ、そういう人から、たまにでも返してもらえると嬉しいよね」

「ぼくは校長先生には挨拶できるんだけど、松の子委員会の人とかその他の人には挨拶できないんだよね。だからできるようにしたい」

「慣れるとできるようになるんだと思うよ」

「みんなに訊きたいんだけど、朝立ってあいさつしてくれている松の子委員会の人には、挨拶してる?」

挙手をしてもらうと、挨拶してるって人は10人くらいでした。

「挨拶しても喜ばれないんじゃないかって思っちゃう」

「私は挨拶する方だと思うけど、挨拶しても返してもらえない時は『聞こえなかったんだな』って思うようにしてる」

「あまり関わりのない人には挨拶してもなあ」

「普段自分から挨拶していても、毎回挨拶を返してもらえないと悲しい。それが積み重なっていくと、やっぱり挨拶したくなくなっちゃうよ」

「普段挨拶してない人に挨拶すると、変な空気になっちゃいそうで・・・」

「私、挨拶なんかしても意味ないって思ってたの。でも家族で挨拶し合っていたらいい気持になっていったよ」

「私たちの学校の中だから、私たちが挨拶して、もしも返してもらえなくても大丈夫だよ」

 

「自分から挨拶してるとさ、挨拶を返してもらったとき、とっても嬉しくなるってことが分かった。今では自分から自然と挨拶できるようになったよ」

「仲いい人じゃないと、挨拶しても返してもらえないって思ってる人がいるんじゃない?」

 

私「こっそりカウンター持って、休み時間に校舎内をグルグル回って、何人の人が挨拶返してくれるかカウントするのはどう?で、結果を発表してみんなに意識してもらうの」

「ああ、それ私5年生のときやってた。こっそり数えるのもいいんじゃない?」

「そうか、秘かにカウントするのね。ゲームみたい」

「でもさ、それってずうーっとやり続けるわけじゃないでしょう。やる期間が終わったら、元に戻っちゃうかもよ」

「どうしたらいいんだろう?」

 

時間切れとなり、結論が出ない対話になりました。問いは、to be continuedとなりました。「つづく」ですね。

6年生は、ただ単に「いい挨拶とはどういうものか」と理想を語り合うだけではなく、その前に立ちふさがる心理的ハードルにも目を向け、さらにそれを乗り越えるにはどうしたらいいかにまで考え始めたのです。

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