学校ブログ

5月16日【2年道徳p4c】自我関与

2年生は道徳『森のなかま』で学習しています。
教材文のあらすじは次の通り。
嵐の翌日、動物たちが森の掃除をしています。たぬきのポコは「僕たちも手伝った方がいいのではないか」ときつねのコンを誘いますが、「掃除は疲れるから面倒くさい」と乗り気ではありません。それでもポコが「ぼくも掃除をしたら疲れたけれど、不思議な気持ちがしたよ。一緒にやってみよう」と再度誘います。きつねのコンは渋々ながら手伝うことにしました。掃除が終わるとコンは「疲れたけれど、すごくいい気持になった」と言い、森の仲間たちも含めみんな笑顔になりました。
この教材についてp4cで対話します。

私も含め子どもたちがみんなで対話したい問いを出し合ったのですが、「『不思議な気持ち』ってどんな気持ち?」や「コンが『ああ疲れた。でも何だかすごく気持ちがいいなあ』といったのはなぜか?」「コンも加わって掃除をした後に、森の動物たちが『今日は暑くて疲れたけれど、一番気持ちがいい日だったね』って言ったのか?」など、いずれもこの教材の本質を突いた素晴らしいものばかり。
これらの中から選ばれた問いは「なんで最後に森の仲間たちはみんなで笑ったのか?」です。こ、これはすごい!正直言ってビビりました。
この教材は勤労奉仕について考えることがねらいなのですが、彼らが設定したのは、それに留まることなく、勤労奉仕をみんなですることの意義をも見い出せる可能性を秘めたものだったのです。
対話の前に「ぼくもう答え分かった!」と先走ったお子さんがいましたが、「p4cというのは分かっていると思うことを、みんなで対話することでもっと深く考えることができるようにするんだよ」と諭すと納得して対話し始めました。


さて、対話。初めに問いを出したお子さんから発言します。
「動物たちが笑ったのは、きつねのコンも一緒になって掃除したからだと思います。それで嬉しくなった」
「暑かったけれど、みんなで掃除して『不思議な気持ち』になったんだよ」
「うん。私は『不思議な気持ち』って楽しい気持ちだと思う」
「私も同じようなことがあって、お昼休みにみんなと一緒に遊んだら『不思議な気持ち』になったんです。楽しかった」
「うん、私も。みんなと遊んだらいい気持ちになりました」
「みんなが掃除してても、コンはベンチに座ってのんびりしてたでしょう。みんなは掃除したり片付けたりするのが大変だったと思います。でもコンが手伝ってくれたから、早くきれいになって嬉しかったんだと思います。だから笑ったんじゃないかな」
「そう言えば、私も昼休みにみんなで一緒にやったら楽しくなった時がありました。一人で遊んでいるときよりも」
「鬼ごっこでも、みんなでやるって楽しくなるんだね」
「遊ぶのも、掃除するのも同じ。一緒に遊ぶのと同じように、一緒に掃除した方が楽しくなると思うよ」
「私も妹と遊ぶと楽しい。たまには大変なこともあるけれど、やっぱり一緒に何かするっていい」
「ぼくも兄ちゃんと遊ぶと楽しいな」


わずか10分間のp4cでしたが、子どもたちは大変意欲的に対話し、発言の波が途切れることはありませんでした。
タイムアップの合図をすると、残念がる子どもたちが多数。
さて、素晴らしいのは発言意欲だけではありません。
対話の内容も、教材と自分の生活経験とを比べての発言が後半連続したのです。
道徳教育の専門的な言葉を使えば、「自我関与」と言ってもいい発言内容。
教科書に描かれている道徳的価値がただのお題目に陥らないようにするためには、この自我関与が大きな力を発揮すると言われます。
10分間だけのp4cでしたから、十分な対話ではなかったかもしれません。でももっと時間があれば、さらに勤労奉仕という道徳的価値をも踏まえた、より深いところにまで、彼らは到達できたかもしれません(最近、こんなことばかり言ってますね、すみません)。
それにしても彼らの対話の構成力。
私も立会い、途中で2、3回子どもの発言内容を確認をしたくらいで、後は子どもたちだけでp4cを進めたのですからね、今後が大いに期待できるってものです。
お見事、2年生のみんな。
みんなでp4cができて楽しかったねえ。素晴らしい学びだったと思うよ。またやろうね。