2025年1月の記事一覧

1月29日 祖父母サポーター様による階段磨き

祖父母サポーター様が今日もまた献身的に校舎内美化活動をしてくださいました。

私自身諦めていた階段の頑固な汚れ。これを様々な道具を使い、様々に工夫してピカピカに磨き上げてくださったのです。

本当にありがたいことです。心から、心から感謝申し上げます。

1月29日 『冬の日』

♪長ーい間~、バスに揺られて~、今日もまた勉強しにゆく~

こんな気持ちで子どもたちは学校に来てくれているんでしょう。

いやいや、バス通学の子ばかりではありません。徒歩で学校に来てくれている子どもたち。吹雪に吹き飛ばされそうになるのをこらえ、うつむきながら歩を運んで来た子どもたちにも心から感謝したいと思います。学校職員として、嬉しいことだなあと思います。

明日は晴れるといいね。

1月29日【6年国語p4c】扉の詩

光村図書の国語の教科書には、どの学年でも表紙をめくるとすぐに詩が掲載されています。いわゆる「扉の詩」というものですが、いずれもなかなか難解なのです。
6年生の教科書には、会津の詩人 羽曽部忠さんという方が書いた以下の詩があります。
タイトルは書かれていません。
「一まいの紙から、
 船が生まれる。飛行機が生まれる。
 ひとかたまりのねん土から、
 象が生まれる。つぼが生まれる。
 生まれる、生まれる。
 わたしたちの手から次々と。」
う~ん分かるような、分からないような・・・。難解ですね。
今回はこの詩をp4cで深読みしてみようと思います。

p4cを行う前にメタファー(隠喩)という手法を説明しておくとともに、問いは時間が限られていたので私が設定しました。
「教科書編集部は、この詩を冒頭に掲載することで、私たちに何を訴えているのか?」です。
なお、今回ファシリテーションは私が行いましたので、対話を記録できませんでした。
似ている意見を合わせたり、意訳したりした報告となりますこと、ご承知おきください。

 「まず『船』は何を表しているかなんだけど、夢や希望を追い求めて航海するっていうイメージなんじゃないかな」
「海のような広い世界を切り拓いていけって感じかな?」
「どこへでも行けるよって言ってる感じ」
「船は転覆しちゃう。転覆って挫折を表している。で、挫折するかもしれないけれど、それでもあきらめないで航海を続けていこう、強い気持ちをもって乗り越えようっていうことなんだよ」
「世界は広いし、様々な人がいる。そういう人たちに出会って、様々な生き物のを見ていきなさいよって」
「そう。船の乗務員や船長さんみたいに」
「飛行機は船よりも速く進める。燃料は船よりもたくさん必要だし、墜落したら船と違って助かる見込みはほぼない」
「2つに違いはあるけど、飛行機も広い世界に行けるよね」
「いずれも広い世界に飛び出していけって」
「じゃあ、『象』って何を表してるの?」
「象は大きくて力強い」
「動物だから命を大切にしてほしいと思ってる。心もね」
教師「船や飛行機、象に比べると『つぼ』っていうのはちょっと違う感じだ。何を表してる?」
「つぼは割れやすい。人間はガラスのようなもの。だから大切にしようっていうこと?」
教師「つぼは割れやすいけれど、ものすごく高価になったりもする。あと、様々なものを入れられるよね」
「ああ、何を入れるのか」
「学んだことや信頼した人とか、気持ちとか?」
「そう。で、そういうのはみんな紙や鉛筆、粘土で作れるんだ。そういう何ということのない材料で」
「そうだね。紙、鉛筆、粘土も人が作ったもの。船とか飛行機とかつぼとかって人が作ったもの。そういうものを使って、私たちにも船や飛行機が表現してるものを生み出してほしいって編集部は願っている」

教師「教科書にはこの詩のタイトルが書かれていない。どんなタイトルがつくと思う?」
「この詩には『生まれる』って言葉がたくさん出ているでしょう。だから『生まれる』がいいと思う」
「私は『創造』かな。生まれると同じ意味かもしれないけれど。この教科書自体にも『創造』ってタイトルがついてるし。その冒頭の詩なんだから」

子どもたちも私も、大変リラックスした中でのp4cでしたが、詩中のメタファーに着目して読解した彼らはさすが。素晴らしい対話、素晴らしい深読みでした。
最後に子どもたちに自己評価することを求めました。次の3点です。「一生懸命考えましたか?」「友だちの発言をよく聞きましたか?」「深読みって楽しいなと思いましたか?」の3つです。そして子どもたちはいずれの設問にも多くの子が肯定の挙手をしていました。
お菓子とかつまんで、紅茶とか飲みながら対話してもいいなって思えました。
大人が哲学対話するときって、そうしてもますものね。6年生ももう大人って感じかな。
いい対話でしたよ、君たち。

1月28日【5年総合】米粉ベーグル試作品いただきまーす💛

先日、子どもたちに米粉ベーグルの商品開発について教えてくださり、子どもたちがアイディアスケッチを託したお二人。そう!「米粉パンと抹茶のお店yine」さんが、子どもたちの描いたスケッチを基に5種類の試食品を作ってきてくださいました。

自分たちの思いが具現化する瞬間を子どもたちは待ち焦がれていたんでしょうね。試作品を取り出すYineさんの手元に、子どもたちの瞳は釘付けです。そして、実食!あああああー!いいなあー!ものすごくおいしそうです。

もぐもぐ中の5年生に「ねえ、どう?」と訊くと、「校長先生、ものすごくおいしいです!」と満面の笑み。ちょっと大人の味と説明を受けたレモンのベーグルも、チョコのベーグルも、まめまめベーグル、バナナのベーグルも、みんなみんな「すごくおいしい!」ですって!あああああー!食べたーいとよだれを垂らしていたら、「校長先生もどうぞ」とYineさんからありがたいお言葉!そりゃあいただくでしょうってことで、ぱくっと一口。もうね、あまりのおいしさに悶絶です、悶絶!これは、チョーうまいです!

ホクホク顔の子どもたち!自分の思いや夢が叶うって、協力してくれた方々はもちろんのこと、社会への信頼をもつってことに繋がるのじゃないかしらと思います。

それにしてもおいしかったなあ。いや、ホントにおいしいの!

試作品のベーグルをいただきに並ぶ子どもたち。こりゃあ、行列のできるベーグル屋さんですね。ははははは。

この試作品は今後さらにブラッシュアップされて、店頭に並ぶのだそうです。わぁお!これは子どもたち、嬉しいねえ。最高の体験だね。

Yineのお二人、本当にありがとうございました。

*最後の写真。子どもたちや担任を差し置いて私が写っちゃって、メンゴ。

1月28日【子どもがつくる学校】背中のキャラクターだぁれだ?

3年生有志が企画運営してくれた「背中のキャラクターだぁれだ」ゲーム。

前の日から「校長先生、明日のイベントのために、今日から視聴覚室で机とか準備していていいですか?」、さらに翌日(つまりこの日)「校長先生、今日の20分休みにイベントの準備を視聴覚室でやってもいいですか?」。もうね、ホント素晴らしい。「準備おさおさ怠りなし」って君たちの行動のようなことを言うんだよ。すごいなあ。

で、イベント本番。もう成功まちがいなしじゃないですか!これだけ準備してるんですもの。私の知らないところで、ガンガンと準備が進んでいて、舌を巻くばかり。

集まってくれた子どもたちも大いに楽しんでいました。「もっとやりたい」「もっとやりたい」っていうリクエストに応えて、翌日の昼休みも開催されることになりました、このイベント。

よかったねえ、参加者のみんな!

ありがとう、企画運営の3年生有志の皆さん!

1月28日 最近のお昼の放送室はこんな感じ

委員会活動は活発に行われているし、昼休みの子どもたちの主体的な企画運営活動もガンガンと行われています。

様々な活動について全校児童に周知する場合には、給食時に放送するのが当校のスタンダード。

で、最近の給食時の放送室はこんな感じです。

もう、緊張の面持ちの子どもたちが入れ代わり立ち代わり。はははは。素晴らしいよ、君たち!

1月28日【2年学級活動p4c】2年生ランドの振り返り

先日、大盛況のうちに幕を閉じた「ようこそ 2年生ランドへ!」の振り返りをp4cで行います。2年生はバンバンと発言しました。すごいなあ、このセーフティの高さ!では早速対話を見ていきましょう。

さて、p4cの前に担任と子どもたちが話している中で自然と問いは決まっていきました。それは「2年生ランドの時間設定はあれでよかった?」です。合計5つのブースを4分ごとに回るという時間設定。どうだった?

「私はもっと1年生と話したかったし、交流したかったなあって思ったよ」
「そうだね。時間がもっと多ければ、1年生にはいっぱい遊んでもらえたし、それだけ楽しんでもらえたと思う」
「一回4分間で次のブースに1年生を送らなくちゃならなかったから、早口になっちゃったかも」
「うん。ぼくももっと遊びたかった」
「時間が気になっちゃって、遊びをしてもらう時もささっという感じになっちゃった。もうちょっと時間があれば、もう少し楽しく遊べたかもね」
「うん。ぼくももっと時間があればもっと楽しく遊べたと思う」

「ねえ、ぼくはさ、1年生も楽しかったと思うけど、ぼくら2年生も楽しめたと思うよ」
「そう思うよ。でももっと時間があれば、もっと楽しめたかな」

「時間が少なかったから、1年生は遊び足りなくなかったかな?」
「ねえ、訊きたいんだけど、何でもっと時間をあげたかったの?」
「私はね、1年生がもっと遊びたかったんじゃないかって思ったの」
「そうだね。遊び足りないと思ったかも」


ここで教師が介入。「ねえ、みんなに訊きたいんだけど、みんなは時間が短かったんじゃないかって思うんだよね。でも1年生はずいぶん満足してたんだって。どうしてだろうね」
「うん。時間は短かったかもしれないけれど、1年生は楽しんでくれたと思うよ」
「ぼくたちにとっては時間が短くて、でもやらなくちゃならないことはたくさんあったから、大変だった。1年生は遊ぶだけだから、4分間でもよかったのかもね」
「そうかも。1年生は楽しそうだったなあ」
「ぼくはさ、やっぱり4分間って過ぎるのが速いって思った」
「でも、短くても楽しそうに遊んでくれたよね」
「5分間くらいがよかったんじゃない?そうした方がルールをゆっくり説明できるし、1年生もゆっくり遊べるし」
「ぼくは4分間くらいがちょうどよかったよ。1年生にとっても、ぼくにとっても」
「うん。1年生はね、最後にっこり笑ってくれたんだよ。嬉しかったな」

教師が再び介入します。「『時間増やしたらよかった』って意見が多かったみたいだけど、時間を増やしたらその分何ができたと思う?」
「まず、1年生に遊んでもらう時間が増えるよ」
「時間があれば、もっと遊ぶ時間が長くできたからそれだけよかったんじゃない?」
「あとね、ルール説明を長くできた。それだけ楽しく遊べたと思うよ」
「そうだなあ。6分間くらいあれば、もっとゆっくり説明できたかな」
「2回戦目とかしても面白かったかもね」
「うん。時間があれば景品とかもっとあげられたよね。景品とかおもちゃとかあげたら、すごく喜んでもらえて嬉しかったな」
「そうだね、すごく喜んでもらえたよね」

「さっきの話に戻るんだけど、時間があれば1年生と仲よく遊べたと思うよ」
「うまいやり方とかゆっくり教えながらできたと思う」
「うん。ゆっくり教えられたと思う」
「お手本を見せられたかも」
「そうしたら、1年生はもっと楽しくできたのかな」

いよいよ対話も終盤。ここで担任が三度介入。対話はどんな結論に至るのでしょうか!?
「ねえ、みんなはどうだった?この2年生ランド楽しめた?」
「うん、ぼくたちも楽しかったよ」
「一緒に遊んだりもできたしね」
「2年生ランドが終わった時、1年生は笑顔で帰ってくれた。私も笑顔でできたし」
「ぼくも楽しくできたよ。笑顔でできた」
「そう。1年生も笑顔だった」
「1年生を見てたら、みんな楽しく遊んでくれていたから嬉しかったよ」
「そうだね、楽しく遊んでくれて嬉しかった」
「うん。喜んでくれてよかった!」

「私、またやりたい!」
「私ね、この日のために説明とかいっぱい練習して覚えたんだけど、当日はセリフを忘れちゃって紙を見ちゃったのが悔しい。1年生に『かっこいい』って思ってもらえるように次こそがんばりたい!」

2年生がこの2年生ランドにかけた思いの強さを感じます。
ねえ、君たち。セリフの紙を見たって構わない。だって準備から当日の運営まで素晴らしかったんだもの。君たちは1年生の瞳に「とってもかっこよく映ってた」と思うよ!お見事!!

2年生のp4cでは1年生同様、同じ内容の発言が繰り返される傾向にありますが、それでいいのです。だって腑に落ちるって、何度も考えて、口に出してみて、それで漸く理解できるものだと思うのです。
それにしてもいい対話でした。お見事!
実はこの対話の鍵、隠れたファインプレーは、子どもたち一人一人の発言はもちろんなのですが、担任の途中介入の発言が絶妙だったと思われます。
すごいなあ、2年担任!私が言うのもおこがましいですが、センスあると思います。子どもともどもアッパレあげてください。アッパレアッパレ!!!

1月27日【4年理科】冬芽/凍み渡り

この日の朝、4年生は理科で桜の冬芽の観察。

私もついていったところ、おおお、グラウンドの雪は凍み渡りするのにちょうどいい感じになっているじゃないですか。

私は、「ははははは。おもろー」とグラウンド中を歩き回っていましたが、4年生は真面目に勉学に勤しんでいました。以前1年生についていったときに私も見つけた冬芽を4年生も見つけ、においを嗅いでいたりしましたよ。みんな立派だなあ。

1月27日【6年教室掲示】社会に耳目を開く

6年生は社会科の勉強中。外国の国々の中から一つ選んで調べ、大型ディスプレイでプレゼンテーションしていました。

「なかなかよく調べているなあ、感心、感心」と目を後ろに転じてみると、面白い掲示がありましたので、紹介します。

小学生だと社会の動きについてはほとんど関心がない子が多いのが一般的かもしれません。しかし、我らが6年生は社会的な大きな出来事については学校でもこうして刺激されながら知ることができているようです。さらに自分なりの考えを持ち、友だちと対話してくれたらいいなあと願っています。

 

1月27日【1年国語p4c】誰とでも

1年生は国語の教科書の冒頭に掲載されている詩(いわゆる「扉の詩」)でp4cをしました。
教師と子どもたちが、「この言葉ってどういう意味?」「ここの部分はどういう意味なんだろうね?」と話しているうちに自然と問いは決まっていきました。
問い「『ともだち、ともだち。みんな ともだち。いいな、いいな・・・』って何がいいんだろう?」
では行きましょう。1年生の対話、とくとご覧あれ!

「この世界の動物や植物たちと友だちって、いいな、ってこと」
「友だちがいっぱいだといいなって意味」
教師「友だちって人間だけのこと?」
「ううん。鳥とかネズミとか、水族館の生き物とかも友だちだって言ってる」
教師「え、どこ見れば分かるの?」
「ほら、詩の上のイラストだよ。人間が鳥やネズミとも手をつないでいるでしょう。だから動物や植物も友だちって意味」
「それは友だち、多くなるね」
「地球の生き物はみんな友だちだからいいなってこと」


「動物ってさ、人間よりも早く死んじゃうことが多いでしょう。だから動物よりも人間が友だちの方がいい」
「友だちだけじゃなくて、お家の人がいっぱいいるといいな」
「動物とか植物とかは触れるでしょう。でも空は触れない。だけど触れなくて見ているだけで友だちになれるよ」
「人間はしゃべれるからいいなって言ってるんじゃないの?」
「だから仲良くなれる。それで『いいな』」
「人は走れるからいいなって思った」

この段階での子どもたちの「いいな」の理解は、「人は〇〇できていいな、動物からしたらうらやましいな」という捉えと「友だちがたくさんいるって嬉しいことだな」の2種類あるようです。
もう少し、対話を子どもたちに委ねてみましょう。

「みんないろいろな趣味があるでしょう。友だちが多いってことは多くの趣味について分かったり、教えてもらったりするから嬉しいなってこと」
「魚は水の中でも息ができるから、人は魚はいいなって思ってる」
「虫や鳥はしゃべれない。人もジャンプはできるけれど、すぐ地面に落ちちゃうから飛ぶことはできない。虫や鳥は人をうらやましいって思ってるし、人は鳥や虫をうらやましいって思ってる」
「私は詩で『いいな、いいな』って言ってるのは、友だちがたくさんできて嬉しくて言ってるんだと思う。うらやましいじゃない」
「そう。それといっぱい友だちができるといいなって気持ちもあると思う」

ここで私も介入。「ねえ、さっき人は話せるから人と友だちになりたいって意見が出たよね。じゃあ、話せない人とは友だちになりたくないの?得意なことがない人とも友だちになりたいの?」
「私は得意なことがない人とも友だちになりたいなあ。一緒にやるとできるようになると思うよ」
教師「ああ、そういうこと教科書の詩にも書いてあるよね」
「あ、書いてあった!できない子でも一緒にやればできるようになるってこと。できない子でもね。できないからって友だちになりたくないってことはないなあ」
「人ってさ、あきらめなければ、できるようになるんだよ、きっと」
「私は世界中のいろいろな人と友だちになりたいなあ。得意技がない人ともね」

教科書にはこの詩のタイトルは掲載されていないのですが、実は『ともだち』っていう詩なのです。この教科書自体にも『ともだち』って題名が付けられていることからも、この扉の詩の趣旨と教科書編集者の方々の願いは明らかだと思えます。

1年生のみんな、まもなく小学校生活の最初の一年が終わるね。どうだった?私が見る限りはみんなは仲良くなるばかりじゃなくて、できなかったことにも一緒に挑戦し、解決したことが多かったんじゃないかしら。
対話に1年生の一年間の学びが詰まっていた、そんなp4cになりました。