学校ブログ

1月27日【6年教室掲示】社会に耳目を開く

6年生は社会科の勉強中。外国の国々の中から一つ選んで調べ、大型ディスプレイでプレゼンテーションしていました。

「なかなかよく調べているなあ、感心、感心」と目を後ろに転じてみると、面白い掲示がありましたので、紹介します。

小学生だと社会の動きについてはほとんど関心がない子が多いのが一般的かもしれません。しかし、我らが6年生は社会的な大きな出来事については学校でもこうして刺激されながら知ることができているようです。さらに自分なりの考えを持ち、友だちと対話してくれたらいいなあと願っています。

 

1月27日【1年国語p4c】誰とでも

1年生は国語の教科書の冒頭に掲載されている詩(いわゆる「扉の詩」)でp4cをしました。
教師と子どもたちが、「この言葉ってどういう意味?」「ここの部分はどういう意味なんだろうね?」と話しているうちに自然と問いは決まっていきました。
問い「『ともだち、ともだち。みんな ともだち。いいな、いいな・・・』って何がいいんだろう?」
では行きましょう。1年生の対話、とくとご覧あれ!

「この世界の動物や植物たちと友だちって、いいな、ってこと」
「友だちがいっぱいだといいなって意味」
教師「友だちって人間だけのこと?」
「ううん。鳥とかネズミとか、水族館の生き物とかも友だちだって言ってる」
教師「え、どこ見れば分かるの?」
「ほら、詩の上のイラストだよ。人間が鳥やネズミとも手をつないでいるでしょう。だから動物や植物も友だちって意味」
「それは友だち、多くなるね」
「地球の生き物はみんな友だちだからいいなってこと」


「動物ってさ、人間よりも早く死んじゃうことが多いでしょう。だから動物よりも人間が友だちの方がいい」
「友だちだけじゃなくて、お家の人がいっぱいいるといいな」
「動物とか植物とかは触れるでしょう。でも空は触れない。だけど触れなくて見ているだけで友だちになれるよ」
「人間はしゃべれるからいいなって言ってるんじゃないの?」
「だから仲良くなれる。それで『いいな』」
「人は走れるからいいなって思った」

この段階での子どもたちの「いいな」の理解は、「人は〇〇できていいな、動物からしたらうらやましいな」という捉えと「友だちがたくさんいるって嬉しいことだな」の2種類あるようです。
もう少し、対話を子どもたちに委ねてみましょう。

「みんないろいろな趣味があるでしょう。友だちが多いってことは多くの趣味について分かったり、教えてもらったりするから嬉しいなってこと」
「魚は水の中でも息ができるから、人は魚はいいなって思ってる」
「虫や鳥はしゃべれない。人もジャンプはできるけれど、すぐ地面に落ちちゃうから飛ぶことはできない。虫や鳥は人をうらやましいって思ってるし、人は鳥や虫をうらやましいって思ってる」
「私は詩で『いいな、いいな』って言ってるのは、友だちがたくさんできて嬉しくて言ってるんだと思う。うらやましいじゃない」
「そう。それといっぱい友だちができるといいなって気持ちもあると思う」

ここで私も介入。「ねえ、さっき人は話せるから人と友だちになりたいって意見が出たよね。じゃあ、話せない人とは友だちになりたくないの?得意なことがない人とも友だちになりたいの?」
「私は得意なことがない人とも友だちになりたいなあ。一緒にやるとできるようになると思うよ」
教師「ああ、そういうこと教科書の詩にも書いてあるよね」
「あ、書いてあった!できない子でも一緒にやればできるようになるってこと。できない子でもね。できないからって友だちになりたくないってことはないなあ」
「人ってさ、あきらめなければ、できるようになるんだよ、きっと」
「私は世界中のいろいろな人と友だちになりたいなあ。得意技がない人ともね」

教科書にはこの詩のタイトルは掲載されていないのですが、実は『ともだち』っていう詩なのです。この教科書自体にも『ともだち』って題名が付けられていることからも、この扉の詩の趣旨と教科書編集者の方々の願いは明らかだと思えます。

1年生のみんな、まもなく小学校生活の最初の一年が終わるね。どうだった?私が見る限りはみんなは仲良くなるばかりじゃなくて、できなかったことにも一緒に挑戦し、解決したことが多かったんじゃないかしら。
対話に1年生の一年間の学びが詰まっていた、そんなp4cになりました。

1月24日【子どもがつくる学校】宝さがし

3年生有志の3人が企画運営してくれた「宝さがし」がこの日の昼休みに開催されました。

赤、黄、緑の三色のボール(子どもたちが三色のガムテープを使っての手作り!)を図工室内に隠し、見つけた色によってもらえるシールが変わるというルールです。

3年生有志はどんどん自分たちで動き、私の助けはほとんど必要ありませんでした。

宝さがしゲームは大盛況!1回目が終わっても、「まだやりたい」という子が続出。それで1回目にボールを見つけられなかった子たちだけで2回目をやるほど。で、2回目が終わってもまだやりたいという子がいて、結局3回戦までやったようです。これらをはじめとし、予想外の出来事がいくつかありましたが、すべて子どもたちが自ら臨機応変に判断して運営したのです!恐るべし!!

まだ宝探しやり足りないって子もいるでしょうから、この調子ならまた別日にもう一回やりたーいって声が上がるのじゃないかしら。

子どもたちはもう手慣れた様子で、ポスター作りから放送での周知まで、先を見通して活動していたんですよ、ホントお見事!

1月24日 教育とは地味なもの

教育においては、感動的な授業だけが、人を育てるのではありません。日々の積み重ねや練習の積み重ねが成果をもたらすことが往々にしてあり、それがとても大事なのです。

「為すことによって学ぶ」という考え方はその最たるものと言えるでしょう。これはアメリカの教育学者J・デューイの言葉で、「人は、経験したことから学ぶことが多い。 だから自分の経験したことを基に考えを深めることでさらに成長し、その経験を価値付けていくということを繰り返していくことが重要である」という意味で使われるのだそうです。う~ん、ちょっと分かりにくいですね。この言葉を、算数に当てはめるとします。例えば計算ドリルでは同じような問題ばかりが並べられているように見えますが、実はあれ、少しずつレベルが上がっていて、前の問題の考え方を活用すると、レベルが少し高次の問題でも自力解けるように配列されているのです。それで前に解いたやり方を応用できないか考えながら次の問題に挑戦すると、正解する場合があります。解き方の説明を聞いてもよく分からない場合にでも自分なりに考えながら解くことで理解はより一層確かなものになると思います。

このような学習は地味なもので、学校で学ぶ授業はもしかしたらほとんどこうした類の学習なのかもしれません。しかし、それはとても大切な学習なのです。デューイの理論は派手に見える体験的な学習にも適用されます。当校では派手な授業も地味な授業も大切にして日々子どもたちの指導に当たっています。

1月24日【2年生活】ようこそ!2年生ランドへ

「教育とは地味なものである」と言った舌の根も乾かぬうちに、こんな派手な教育活動を紹介しちゃうのです。ははははは。

この日、2年生は、1年生を教室に招待し、生活科で作ったおもちゃで遊んでもらおうという企画。題して「ようこそ!2年生ランドへ」です。この日のために相当な準備をしていたのでしょう。結構な期間、子どもたちはこの2年生ランド活動にどっぷりつかっていました。

用意されたおもちゃは、「パタパタくるま」、「ボート レース」、「ビリビリ糸電話」、「ジャンプ ロケット」、「ゴロンゴロンねこちゃん」の5種類。班ごとにおもちゃを作って、1年生に説明もして、進行もしてと各班がまるで独立したゲームコーナーのようです。説明文章も何度も推敲に推敲を重ねたのでしょうね。

1年生はかなり楽しんでくれました。景品やおもちゃをプレゼントされてご満悦。きっと2年生もとっても楽しかったんじゃないかしら。よかったね、2年生のみんな!