学校ブログ

7月18日【6年学級活動p4c】「さん付け」について

当校では子どもたちが互いを呼び合うときに、あだ名や、『君』ではなく『さん』を付けて呼ぶように指導しています。いわゆる『さん付け』です。指導しているとはいえ、なかなか徹底しないのが現状です。多分、子どもたちの中では、『さん付け』がしっくりきていないのでしょう。さん付けの意義について納得していないとでも言ったらいいでしょうか。この状況について、子どもたちは子どもたちなりに理解していたのだろうと思われます。

この日、1学期の振り返りとしてのp4cで、子どもたちが問いとして選んだのは、なんと次のものでした!

「『さん付け』と『ちゃん付け』、『くん付け』はどれがいいのだろう?」

かー!しびれますねー!

『さん付け』は当校が教師主導で進めている生徒指導の根幹。ここに、子どもたちが「一言ものもーす!」って感じで疑義を申し立てたということなのでしょう。やるなー、6年生。

では対話の概略を見ていきましょう。

「今まであだ名や呼び捨て、『ちゃん付け』だったこともあって、『くん付け』や『さん付け』は、相手との間に壁がある感じがする」
「『さん付け』されると悪い気はしないけれど、『くん』『ちゃん』の方が、仲良し感があるっていうか」
「私はみんなとちょっと違って、ある時みんなが『ちゃん付け』とかあだ名で呼び合っていだんだけれど、私だけ『さん付け』で呼ばれたことがある。その時はなんか、つらい気持ち」
「年上の人には『さん付け』がいいけれど、同級生とかに対しては『ちゃん付け』『くん付け』の方がいいと思う」
「急に『さん付け』されると、嫌われちゃったかなって思っちゃう」
ここで子どもから全体への質問が出されます。6年生、p4cが分かってるじゃないですかー!しびれるなあ、もう!
「ねえ、みんなは『さん付け』で呼ばれたいときと『くん付け』で呼ばれたいときって、それぞれどんな時?」
<中略>

「『さん付け』されたくない人もいると思うよ」
なるほどー。相手を大切にしようと思って『さん付け』をするんだけど、相手によっては『さん付け』をされたくない人もいるってことね。ほーほー。
「私もみんなに訊きたいんだけど、今まであだ名や『ちゃん付け』で呼ばれていたんだけど、急に『さん付け』されたらどう思う?」
また出ました!子どもたちが対話を回す発言!6年生、p4cに慣れてきたねー、素晴らしい!
「そうだなあ。私は違和感ていうか、ちょっと変な感じがするかな」
「私は知らない人にだったら『さん付け』しても違和感ないなあ。友だちだったらどうかな。みんなはどう?」
「友だちになら、『さん付け』が嬉しいなあ、私は」
そして、対話を動かす子どもからの発言がまたまた登場。
「みんなに訊きたいんだけど、どういう時に『さん付け』に違和感なくなるの?」
「ぼくは、偉い人だとか尊敬している人に対してなら『さん付け』をするのに違和感ないなあ」
さらに、子どもたちは対話を動かします。もう、すごい!
「仲がいい人に対して、急に『さん付け』するのってどう?あるいは仲のいい人から『さん付け』で呼ばれるのは?」実際に『さん付け』する場合を想定した実践的な発言ですね。
この発言以降、慣例から見た場合の違和感について様々語られていきます。
<中略>
ここで私が「くん」「さん」といった呼称について歴史的な経緯、さらには性的マイノリティについてなど若干の解説を加えます。
「校長先生の話を聞いて、心は女性なんだけれど体は男性の人、あるいはその逆の人もいるんだなあって思いました」
「性別が定まっていない人もいる」
「体の性別によって『さん』『くん』を使い分けられたら、心は女性なのに『くん付け』されるってことになるよね。それはちょっとなあ」
「『さん』は偉い人たちに使うっていうイメージがある。いっそのこと、『さん付け』じゃなくて、『くん付け』にしたらいいんじゃない?」
「う~ん。偉い人に対して『さん付け』していいの?例えば、校長先生に『〇〇さん』っていうの?〇〇校長先生じゃなくて」
「『さん付け』は相手を尊重することになると思う」

ここでみたび私が発言。教務室でのエピソード※を披露しました。
※教務室でも教職員同士は『〇〇先生』ではなく、『〇〇さん』って呼ぶように提案したのです。
「先生方がお互いに『さん付け』するのがいいと思う」
「私もそっちがいいと思う」
「先生方以外でも、『さん』を付けて呼び合ったことがきっかけで仲良くなることもあるんじゃないかな。子どもだって『さん付け』は仲良くなるきっかけになることもあると思う」
「私は『くん付け』で呼んじゃうこともある。『くん』を付けているからって、相手を認めていないってわけじゃないけれど・・・。でも『さん付け』は『あなたを認めていますよ』ってきちんと伝えることになると思う」
教師も発言します。
「今まで『〇〇先生』って呼んでいたから、校長先生から教員間でも『さん付け』を提案された時にはやはり戸惑いました。『さん付け』する意義は分かるけれど、これまで慣習としてやってきたことを変えることは難しいと感じています。タイミングと、そして勇気が必要かなと思います」
この教師の発言を何と子どもが引き取ったのです!
「みんなは『さん付け』できるようになるタイミングってどんな時だと思う?」
「そうだなあ。飲み会とかで仲良くなってからとかがいいんじゃない?」
ちょちょちょ、ちょっとまさか君たち、『さん付け』する前に宴会しようってんじゃないでしょうねえ、ははははは。
「生活目標とかで『さん付け』を全校一斉に取り組むときとかがいいと思うよ」

以上、この日のp4cもノンストップで30分間くらいの対話だったかしら。
我らが6年生が4月25日に初めてp4cを体験してから早4か月。今回が10回目くらいになるのでしょうか、と6年生が言ってます。
途中意見を出す勇気がなくてずっと黙り続けてしまって、私に喝を入れられたのが遠い昔のことのようです。
対話の流れをご覧いただければ、ほぼ子どもたちだけで対話を回しているのがお分かりになると思います。君たち、大きく成長したねえ。感無量。
こりゃあ、教師はいらないかもね、とほほ。と言いつつ、頭の中で嬉し涙が流れ続けます。
文部科学省が提唱している「主体的・対話的で深い学び」の一つの形は、まさにこの日のp4cだと言えるのではないでしょうか。
とは言え、今日の問いである『さん付け』についてはまだまだ議論が乾きそうにありません。
この先何回か対話を行っていく中で、子どもたちは深い考え、広い考えに到達することができるのだと確信しています。
お見事、6年生のみなさん!またやろうね💛

7月17日 地域に生きる子ら

これからの予測不可能な社会(VUCAな社会)を生きる子どもたちは、どのような力を身に付けたらいいのでしょうか。様々な考えがあるでしょうが、持続可能な社会の創り手たる力と意欲もその一つとして挙げられるでしょう。

そして、当校では地域と連携した教育を行う中で、それを子どもたちは身に付けることができると考えています。さらにそこに対話(p4c)を組み合わせることによって、教育的効果はかなり高まるとも私は考えています。

さて、7月15日から3日間行われていた築地まつりは、今宵がいよいよフィナーレ♪

御神輿渡御や子供神輿、棒押し、巫女舞、そして御神楽等様々あった中で、ラストを飾るのは築地の獅子舞です。

子供獅子舞では、子どもが演じる獅子の舞を、子どもが笛や太鼓で奏でるお囃子が盛り上げます。

きっと練習に練習を重ねてきたのでしょうね。お囃子は堂にいったもの。途中ハプニングがあったものの、最期まで踊り切った獅子の舞も見事も一語に尽きます。

多くの地域の方々が見守っている中で、子ども獅子舞は大団円を迎えたのでした。地域が一つになったその瞬間に、子どもたちも立派に務めを果たし、素晴らしかった築地まつりの一翼を確かに担ったと思えました。「地域連携」の範疇を超え、まさに「地域に生きる子どもたち」であったのだと思います。 

素晴らしい体験をしたね、みんな。今夜はゆっくりと休んでね、お疲れ様。そしてまた明日、学校で会いましょう。嬉しかったことや大変だったことなど、たくさん話を聞かせてね。

7月17日【5年図工】幾何学模様から生まれる芸術

5年教室を覗くと図工でデザイン制作の真っ最中。サインペンで幾何学的な模様を描き、着色すると偶然から生み出された作品の出来上がり。おー!これはモンドリアンの作品のようですねえ。

同じような模様に見えても、一人一人の作品に、そのお子さんの個性が見えますね。これらの作品をじっと見ていると、幾何学的な模様が何か意図されて描かれたようにも見えます。

「ねえ、これって何か表しているの?」と訊いた後で、「あ、これは野暮なこと訊いちゃったなあ」と反省反省。芸術作品の解釈は鑑賞者に任されるべきものなのかもしれませんね。

素敵な作品ばかりが揃いました。

授業後、子どもたちは互いの作品を見せ合い、感想を言い合いしていました。いいねえ、こういうの。

7月16日【2年生活】築地獅子舞見学

この次の記事で触れますが、この日は築地まつりの本祭り。2年生はいそいそと見学に出かけましたよー。迫力ある踊りに、子どもたちは釘付けです。

場面転換の際、汗をかいている獅子舞役の方々を扇がせていただいたりして、祭りの雰囲気を存分に味わった2年生。

帰校時刻になって、担任が「じゃあ、学校に帰りますよー」と言うと、「ええー、もっと見たいです~」と不満の声がちらほら。楽しかったんだねえ、君たち。

帰り道、子どもたちが話していました。

「獅子舞、すごかったねえ。楽しかったね。そういえば、今日の給食はラーメンだよねえ」

「うん、餃子も付いてるよ」(みんな覚えてるんですね、ははははは)

「で、さあ、6時間目は生活で虫捕りだし」

「そうかあ!今日は最高の一日だー!」

ははははは。Today is a great day!

学校に戻った後に子どもたちが描いた築地獅子舞の絵をご覧ください。

併せてもう一つ。子どもたちの獅子舞の絵の写真の次の写真。学級文庫の中の一冊に沖縄関係の本があり、それを呼んでいた子が私に教えてくれたのです。「校長先生。ほら、獅子舞が描いてあります!」こうやって学びって広がるんですね。

ついでに虫捕りの写真もどうぞ。

7月16日【4年総合】築地獅子舞

今から遡ること1か月前。4年生は地域に伝わる伝統芸能「築地獅子舞」について、地域の方々から教えていただきました。

実際に演奏させていただいたり、子ども獅子舞で演じる小学生に演舞を見せていただいたり、はたまた演者が被るお面を間近で見せていただいたり。

本物に触れ、本物を見るって、やっぱりいいですね。

さて、時は今。この日は築地まつりの本祭り。教えていただいた方々が実際に演舞している姿を、地域の方々に交じて見学しました。

やっぱり本物は迫力が違いますね。

演舞の場面転換の際、休憩する獅子役の方々のところに子どもたちは走り寄っていき、風を送る大役を任されました。子どもたちはみんな笑顔。一緒に祭りに参加しているという雰囲気が嬉しかったのでしょうねえ。

よかったね、みんな。

 

7月16日【6年家庭科】洗濯実習

この日、家庭科室では6年生が洗濯の実習中。ハンカチや小さいタオルを手で洗っていました。

グループごとに、ああだこうだ言いながら楽しくもみ洗い。

きれいになってよかったね。

7月17日 地区子ども会

夏休み前の地区子ども会を行いました。

各地区、1学期の登校の様子をふりかえり、夏休みに気をつけることについて、積極的に意見を出し合ってていました。

もうすぐ夏休みです。児童が安全に過ごせるよう、保護者、地域の皆様の見守りや声掛けをどうぞよろしくお願いいたします。

7月12日 朝の子どもたちを迎える生き物たち

築地小学校には、登校してくる子どもたちを迎える生き物たちがいます。

アサガオ、ひまわり、カブトムシ、ヘチマ・・・

登校すると、これらの生き物のところに真っ先に向かう子どもたちが多いです。畑に水遣りに行く子もやはり多いですね。

お、へちまには、つぼみがついているのを発見!もうすぐ花が咲くのかしら。大きな実をつけてもらいたいと思います。子どもたちもね。

7月11日【2年道徳】迷うっていいこと?

2年生の道徳。途中からの参観でしたが、子どもたちは深く考えていましたよー。

授業の流れの中で、担任が子どもたちに問いました。

「ねえ、『迷う』っていいこと?」
おおーっ!これ、2年生の道徳ですよね?レベル高っ。
す、すごいなー、2年担任の子どもたちに対する信頼感が!
そしてそれに見事に応える子どもたちもやっぱりすごい!
「迷うってことは考えてるってことで、考えることはいいことだから、迷うのもいいことだと思います」
「迷ってるってことは、考えて考えて、それで迷って、また考えて、それでいい考えが浮かぶってことになるから、いいことだと思います」
「迷う」という言葉に対するこの思考!素晴らしいじゃないですか、2年生のみんな!

さて、教材文は次のようなあらすじです。
広場に咲いているひまわりの根元に空き缶が転がっています。
その脇を女の子が通り過ぎるとき、空き缶が転がっていることに気付きました。女の子は空き缶はそのままにして通り過ぎました。でも、ひまわりはニコッと笑いました。
次の日、女の子は「空き缶がないほうがいいのにな」と思いました。女の子は空き缶をそのままにして通り過ぎました。でも、ひまわりはニコッと笑いました。
その次の日、女の子は「私が空き缶を拾えばいいのかな」と思いました。女の子は迷ったけれど、空き缶をそのままにして通り過ぎました。でも、ひまわりはニコッと笑いました。
また次の日。女の子は空き缶を拾いました。女の子はひまわりと一緒にニコッと笑いました。

面白い文章ですね。
この文章にはかわいい挿絵が描かれているのですが、注意深い子どもたちは、周囲の子たちと対話しながら、挿絵のひまわりが最初から笑っていることに気付いたのです。
担任は子どもたちに問いました。「ひまわりは、女の子が空き缶を拾わなかったときにも、ニコッと笑ったのはどうしてか?」
そうですよねー。子どもたちが疑問に思ったことを担任はズバリと突きます。
さあ、子どもたちはどう考えるのか。グループで話し合っていた子どもたちは、このひまわり問題に決着を付けようと様々な考えを発表し合います。さらに、担任は女の子の思考と行動を時系列にまとめ板書もしました。
そして、子どもたちは次のような結論に至ったのです。
「ひまわりは、最初から女の子を信じていたんだよ。だから、最初に気付いた時から、そのうちに空き缶を拾ってくれるだろうって分かっていたんだと思う」
う~ん。お見事!
この時間では善悪の判断,自律,自由と責任といった道徳的価値に加え、人を信じるということについても子どもたちは言及していたのです。
こういう学びを重ねていくことが、子どもたちの道徳的価値観を高めるのでしょうし、学ぶって楽しいと思えていくのだと思います。

7月11日【5年道徳p4c】悪いことをしたとき、嘘をついて、自分を守ろうとする心があるのは、なぜか

5年生は道徳でp4c!前日に教材文を読んで、一人一人の子どもが立てた問いの中から、ダントツの1位で選ばれたのは次の問いです。
「悪いことをしたとき、自分を守ろうとする心があるのは、なぜか?」です。


これは厳しい問いが選ばれましたねえ。私も覚えがあるもんなー。とほほ。ざんげ(涙)
子どもたちはこの問いにどう立ち向かっていくのでしょうか!?
では、対話の概略を見ていきましょう。
まずは、この問いを出したお子さんの発言からスタートです。

「自分を守ろうとして、本当のことを隠したりするのはよくないと思うのだけれど、ぼくは隠しちゃうんです」
おおっと、いきなりカミングアウト!今回の対話、どうなっていくのかしら。
しかし、問いが問いだけに続く発言がありません。
そこで、私もカミングアウト。小学生時代にすぐ嘘と分かる嘘をついちゃって、後で叱られた体験を話しました。
子どもたちに訊いてみると、自分を守るために隠し事をした経験があるこが大多数。まあ、そうでしょうなあ。
その後、しばらく待っていると、漸く手が挙がりました。
「自分を守ろうとしちゃうことって、私もある。やっぱり心が弱いからなんじゃないかな」
「ぼくも、作り話をして自分を守ろうとしちゃったことある」
「私は泣き虫だから、叱られたくなくて嘘をついちゃったことがある」
「実はぼくも。食べちゃダメなお菓子をこっそり食べて、それが見つかって。しらを切っていたんだけどばれちゃった」
「動画サイトを見ないっていう約束だったんだけど、見ていないって嘘をついちゃった」
「窓から裸足で出入りしちゃって、家の中汚れちゃったんだけど、家の人に問い詰められても、何もしてないって言っちゃった」


「嘘っていい嘘もあるかもしれないけど、悪いことをしたときには隠しちゃダメ。素直に言わないと」
「うん。事実を隠すような嘘はダメだと思う」
「悪いことをしたんだけど、さも自分がいいことをしたかのように話しちゃったことがある」
「自分の秘密を人に話すことってカミングアウトって言うんだよね」
「私、嘘ついちゃって、でもその後ばれたら叱られるから、カミングアウトしたことがある」
こんな感じでカミングアウトは続きました。
やがて、「どういう場合に隠し立てしないで話すことができるのか」に話題は移り、さらに「いじめ問題が起きた時に自分はどう行動するか」「何ができるか」ということにまで対話は言及されていきました。
そして、最後のお子さんのこの発言が対話を締めくくりました。
「ぼくたちは一人で行動しようとするのじゃなくて、みんなで行動することが大切なんだと思う」

たっぷり30分間以上。子どもたちは考え考えしながら、そして勇気をもって対話していきました。


5年生のみんな、こういう対話を今後も重ねていくことが、よりよい自分をつくり、よりよい学級をつくることに繋がるのだと思うよ。
今日はよく対話しました。がんばりました!
また、一緒にがんばろうね!