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1月28日【2年学級活動p4c】2年生ランドの振り返り
先日、大盛況のうちに幕を閉じた「ようこそ 2年生ランドへ!」の振り返りをp4cで行います。2年生はバンバンと発言しました。すごいなあ、このセーフティの高さ!では早速対話を見ていきましょう。
さて、p4cの前に担任と子どもたちが話している中で自然と問いは決まっていきました。それは「2年生ランドの時間設定はあれでよかった?」です。合計5つのブースを4分ごとに回るという時間設定。どうだった?
「私はもっと1年生と話したかったし、交流したかったなあって思ったよ」
「そうだね。時間がもっと多ければ、1年生にはいっぱい遊んでもらえたし、それだけ楽しんでもらえたと思う」
「一回4分間で次のブースに1年生を送らなくちゃならなかったから、早口になっちゃったかも」
「うん。ぼくももっと遊びたかった」
「時間が気になっちゃって、遊びをしてもらう時もささっという感じになっちゃった。もうちょっと時間があれば、もう少し楽しく遊べたかもね」
「うん。ぼくももっと時間があればもっと楽しく遊べたと思う」
「ねえ、ぼくはさ、1年生も楽しかったと思うけど、ぼくら2年生も楽しめたと思うよ」
「そう思うよ。でももっと時間があれば、もっと楽しめたかな」
「時間が少なかったから、1年生は遊び足りなくなかったかな?」
「ねえ、訊きたいんだけど、何でもっと時間をあげたかったの?」
「私はね、1年生がもっと遊びたかったんじゃないかって思ったの」
「そうだね。遊び足りないと思ったかも」
ここで教師が介入。「ねえ、みんなに訊きたいんだけど、みんなは時間が短かったんじゃないかって思うんだよね。でも1年生はずいぶん満足してたんだって。どうしてだろうね」
「うん。時間は短かったかもしれないけれど、1年生は楽しんでくれたと思うよ」
「ぼくたちにとっては時間が短くて、でもやらなくちゃならないことはたくさんあったから、大変だった。1年生は遊ぶだけだから、4分間でもよかったのかもね」
「そうかも。1年生は楽しそうだったなあ」
「ぼくはさ、やっぱり4分間って過ぎるのが速いって思った」
「でも、短くても楽しそうに遊んでくれたよね」
「5分間くらいがよかったんじゃない?そうした方がルールをゆっくり説明できるし、1年生もゆっくり遊べるし」
「ぼくは4分間くらいがちょうどよかったよ。1年生にとっても、ぼくにとっても」
「うん。1年生はね、最後にっこり笑ってくれたんだよ。嬉しかったな」
教師が再び介入します。「『時間増やしたらよかった』って意見が多かったみたいだけど、時間を増やしたらその分何ができたと思う?」
「まず、1年生に遊んでもらう時間が増えるよ」
「時間があれば、もっと遊ぶ時間が長くできたからそれだけよかったんじゃない?」
「あとね、ルール説明を長くできた。それだけ楽しく遊べたと思うよ」
「そうだなあ。6分間くらいあれば、もっとゆっくり説明できたかな」
「2回戦目とかしても面白かったかもね」
「うん。時間があれば景品とかもっとあげられたよね。景品とかおもちゃとかあげたら、すごく喜んでもらえて嬉しかったな」
「そうだね、すごく喜んでもらえたよね」
「さっきの話に戻るんだけど、時間があれば1年生と仲よく遊べたと思うよ」
「うまいやり方とかゆっくり教えながらできたと思う」
「うん。ゆっくり教えられたと思う」
「お手本を見せられたかも」
「そうしたら、1年生はもっと楽しくできたのかな」
いよいよ対話も終盤。ここで担任が三度介入。対話はどんな結論に至るのでしょうか!?
「ねえ、みんなはどうだった?この2年生ランド楽しめた?」
「うん、ぼくたちも楽しかったよ」
「一緒に遊んだりもできたしね」
「2年生ランドが終わった時、1年生は笑顔で帰ってくれた。私も笑顔でできたし」
「ぼくも楽しくできたよ。笑顔でできた」
「そう。1年生も笑顔だった」
「1年生を見てたら、みんな楽しく遊んでくれていたから嬉しかったよ」
「そうだね、楽しく遊んでくれて嬉しかった」
「うん。喜んでくれてよかった!」
「私、またやりたい!」
「私ね、この日のために説明とかいっぱい練習して覚えたんだけど、当日はセリフを忘れちゃって紙を見ちゃったのが悔しい。1年生に『かっこいい』って思ってもらえるように次こそがんばりたい!」
2年生がこの2年生ランドにかけた思いの強さを感じます。
ねえ、君たち。セリフの紙を見たって構わない。だって準備から当日の運営まで素晴らしかったんだもの。君たちは1年生の瞳に「とってもかっこよく映ってた」と思うよ!お見事!!
2年生のp4cでは1年生同様、同じ内容の発言が繰り返される傾向にありますが、それでいいのです。だって腑に落ちるって、何度も考えて、口に出してみて、それで漸く理解できるものだと思うのです。
それにしてもいい対話でした。お見事!
実はこの対話の鍵、隠れたファインプレーは、子どもたち一人一人の発言はもちろんなのですが、担任の途中介入の発言が絶妙だったと思われます。
すごいなあ、2年担任!私が言うのもおこがましいですが、センスあると思います。子どもともどもアッパレあげてください。アッパレアッパレ!!!
1月16日【6年学級活動p4c】ショック!!!「p4c多過ぎ問題」!?
「6年生は週1でp4cやってます」と担任から聞いていました。
かなりの頻度ですねが、これくらいやっているからこそ、彼ら6年生はものすごく成長していると感じています。
ものごとを深く考える力、自分の思いを臆せずに表現しようとするその姿勢、協働的に対話する力。素晴らしい子どもたちです。
だからこそ、この日のp4cで選ばれた問いが私に与えたショックは大きかったのです。それは
「p4c、多すぎ問題」!
ガーン!子どもたち、p4c嫌だったのー!?ショック・・・。
私が失意のどん底の中、p4cは始まりました。
「前は週1くらいだったんだけど、最近は週3くらいやってる。さすがにちょっと多すぎなんじゃないかなと・・・」
ははははは。週3ですかー!それはそれですごい!
「p4cを週1くらいでやるならいいんだけど、今はp4cやる機会が多すぎて、それもノンジャンルのことが多いから、対話する問いのネタがなくなっちゃうって言うか、ネタ切れ」
「そう。週1ぐらいがちょうどいいと思う」
「やり過ぎると、次のp4cまで集中力が戻ってこない。切れたままになっちゃってる感じ」
そこで、私がみんなに訊いてみました。「p4cって相当な集中力が必要な人ってどれくらいいるの?」
すると何と全員が挙手です。全員ですよ、全員!それくらい彼らは全身全霊をかけて(ははははは、そこまでじゃないか)、p4cをやっていたんですね。道理ですごい対話がすごいわけですね。私はものすごく嬉しくなりました。で、さらに訊いたのです。
「みんな、そうだったんだね。素晴らしいと思う。じゃあさ、どれくらいの頻度がいいの?」
「そうですね、ぼくは週1くらいかなあと思うけれど、問いのネタがあればもっと多くてもいいかなと思います」
「ぼくは週5!友だちとこうやって話すことはいいことだと思うからです」
「う~ん、問いがあればいいけれど・・・」
「じゃあ、間をとって週2くらいがいいんじゃない?みんなで一つのことを考え深めるっていいよね」
「もうちょっと多くて、週3くらいでどうかな?」
「私は多くても少なくてもどちらでもいい。回数が問題なのではない。私たちp4cやってるけど、やればやるほどよくなれるって言うか、深く考えられるようになっていると思うよ」
あああああーーーーー!私、涙がちょちょ切れそうです。君たちも自分たちの成長をしっかり自覚していたのね。ううううう・・・(涙)
「週1か週2がいいのかな。大きな行事があるときはその前にp4cしたり、終わった後にp4cで振り返ったりするといいから、もっと多くてもいいけど」
「やっぱり、週3がいいなあ。私は考えるのが楽しいもの」
「p4cをすることで、新しい考えを思いついたり、友だちの考えを聞いたり、そして自分の意見を発言するって大事なことだと思う。減らさない方がいい」
「でもやっぱり多すぎると集中できなくなっちゃう。集中力が限界になっちゃう」
「ぼくは週5がいいと思う。p4cは問いを設定する力、話す力、みんなと対話する力が付く。算数ってめんどくさいから、算数よりp4cの方がいいなあ。もっとp4cをやって集中力をさらに付けたい」
「う~ん、私は週1がいい。久しぶりにやる方がやる気も上がるよ」
「私は週5。集中力が上がるし、勉強になるよ、友だちの意見を聞くのって」
「ぼくは週2くらいがちょうどいい」
「今は道徳や学級活動でp4cすることが多いでしょう。どちらかp4cやったら、もう一方はp4cじゃなくていいんじゃない?」
「私は週1。週5は力が付くことは付くと思う。でも飽きちゃうよ。みんながそうだとしたら、人が話している間おしゃべりする人が出てきて、セーフティが崩れちゃう。そうなったらp4cしても意味がなくなっちゃう」
「週5はやっぱり飽きちゃうと思う。でもさ、国語や算数はもっといっぱいやってるよ」
「本音を言うと、国語や算数は面倒くさい。体育は好きだけど」
「国語や算数は単元によって学習内容が変わるよね。だから飽きない。p4cだって問いは変わるけれど、根本的なことは同じだから飽きちゃったり、集中が途切れちゃったりするかも」
ここで私が介入。「外国では、数人の子が一つの大きなテーブルを囲んで授業を受けている光景がよく見られる。グループ学習が授業の基本になっている国も多いんじゃないかなあ」。私は話し合いながら課題を解決するという点ではグループ学習もp4cも同じというつもりでの発言でしたが、子どもたちは、ふ~ん、で、それが何か?って顔してます。子どもたちはグループ学習とp4cは全く別物として捉えているんですね。
それならばと私はさらに介入。「理科でp4cやることがあるでしょう。あれはいいの?」
「はい。理科は単元が変わると学習する内容もガラッと変わるし、p4cも変わる」
「理科のp4cは、実験はどうやったら、どうなるかって感じの対話が多いですよね。だから国語や算数みたいに手を挙げて、黒板の前で『答えは〇〇です』って言うより、私は言いやすいです」
「理科では、予想したり考えたりするのは好き。だけど実験して新しい発見をするのがもっと楽しい」
「私もひとつのことについて予想したり深めたりするより、新しいことを見つけたり、やってみたりするのが楽しい」
「理科のp4cはいいよ。月の満ち欠けについて以前対話したよね。これまで習ったことを基に考えたりしたけど、それが楽しかった」
「ねえ、こういうのは。実験をする前に、みんなでp4cをしてじっくり予想したり考えたりしてから実験するの。どう?」
「ああ、いいね」
おおおおおーーーーー!当校の理想とする教育像「子どもがつくる学び」を地で行ってますね。子どもたちは授業のよりよい方法にまで言及を始めました。
私、すっかり嬉しくなっちゃって、さらに介入。「君たちすごいよ。君たちが授業の方法を考えるなんて、まさに子どもがつくる学びの最たるものだね。じゃあさ、どんな勉強が君たちにとって楽しい勉強なの?ドリルでひたすら練習とか」
「そうですね。私は問題集やドリルをずっとやってるより、新しいことをどんどん学んでいきたい。もっともっと先に進みたい」
「p4cはいい。みんなの意見を聞いているうちに考え方が変わって、よくなると思える」
「うん。みんなで考えるのがいい。算数なら計算方法を覚えるんじゃなくて、それまで勉強したことを基にして考えるのがいいな」
「そうだね。漢字練習もただひたすら書いて覚えるだけじゃなくて、漢字の成り立ちを調べるとかすると楽しいし、覚えやすい」
「国語や算数なら、まずp4cをやってから、それからいつもの授業するといいと思う」
「算数は学ぶべきことが決まってるからp4cに向いてるかどうかわからないけれど、国語なら物語文の登場人物の心情とかについて考えるのにp4cはいいんじゃない?」
「ああ、そうだね。次の物語の授業でやってみたい」
「結局さあ、一人でやるんじゃなくて、みんなで考えたいってことなんだよね」
p4cの実践を積んでいくと、わずか半年程度で子どもたちはここまで鍛えられるのですね。
敢えて言いましょう。恐るべし6年生!恐るべし担任!
子どもたちのp4cに対する捉えがどんな学習に向いているかとか、よさは何かとかなど、実に深いと思います。
さすが6年生!君たちとp4cしているとホント楽しいよ。ありがとう!
1月15日【1年道徳p4c】外国の料理
これまで素晴らしい対話を展開している1年生。この日は担任がファシリテート。実は、このファシリテートが素晴らしかったのです。
まず、問い(課題)の設定の妙です。教科書にはインドのカレーやアメリカのハンバーガー、中国の水餃子などの写真が掲載されています。これらの写真を見ながら、担任は子どもと対話していきました。「おいしそう」「私、これみんな食べたことある」「この写真の料理はみんなおいしいよ」「餃子はスープの中に入っているね。焼いてない」「私ね、こういう餃子食べたことあるよ」「水餃子って言うんだよ」「うん、つるんとしておいしいんだ」「インドのカレーは日本のカレーと違うね」「インドのカレーってものすごく辛いんだよ」「へえ、そうなの」など子どもがどんどんつぶやいているのを担任は整理しながら、「どんな料理が好き?」と問い掛けました。すると、「カップラーメン!」という声。ははははは。確かにカップラーメンはおいしいわなあ。ところが担任はこれを好機として逃しません。「ねえ、みんな。カップラーメンってどこで生まれたのか知っている?実は日本で生まれたんだよ」と話すと、へーと子どもたちにとっては意外な感じ。
さらに教科書を見ながら、子どもたちに問い掛けました。
「写真の子どもたちは何て言ってる?それぞれの国の子どもたちはそれぞれの国の料理を紹介しながら何を伝えたいんだろうね?」
子どもたちは「ええとね、自分の国の食べ物の好きなところだよ」「自分の国の好きな食べ物」「自分の国のことについて、食べ物の他にも紹介したいことがあるんじゃないの?」と子どもたちの発言があったところで、担任は「じゃあ、p4cの問いは何にする?」ととどめの一撃。子どもたちが選んだ問いは、「外国の料理って、おいしいのかな?」に決まりました。おおー!いい問いですね。さすが子どもたち、さすが担任です!
もう一つこのp4cの素晴らしいところを挙げるとするなら、対話における子どもたちの発言と担任の対話を深める問い掛けでしょう。これについては、以下の対話をご覧ください。
では、対話の流れをダイジェストで見ていきましょう。
「私はおいしいと思うよ」
「でも、辛い料理もあるでしょう。苦手な人もいるかもしれない。でも人それぞれだしね」
「私たちが辛いって思っても、その国の人たちにとっては違うかもよ」
「うん、その国の人たちにとってはおいしいかも」
「食べ物の味は国によって違う。日本では辛いと思われても、その国の人たちにとってはおいしいと思うよ」
「インドのカレーって、日本と違ってパンみたいなのにつけるおかずがたくさんある。だから辛いおかずがあっても、別のおかずを食べればいいから、全く食べられないってことはないんじゃない?」
私も発言しちゃいました。「私中国に行ったときに食べた料理はものすごく辛かったの。で、小学校で給食も食べさせてもらったんだけど、それもものすごく辛かったのよ。で、『1年生もこんなに辛いの食べるんですか?』って訊いたら、『はい、普通においしいって食べてますよ』って答えだったんだよ」
「やっぱり、日本の私たちにとっては辛くても、中国の人たちにとってはおいしいんだよ」
「ほかの国でも同じ。インドのカレーだって、インドの人は辛くてもおいしいと思うと思う」
「その国の人たちは、自分の国の料理を外国の人にもおいしいって言ってもらえると嬉しいと思う」
担任が再び深める発問をします。「さっきの話なんだけど、どうして教科書の子たちは自分の国の料理を紹介してくれたんだろうねえ?」
「みんなに自分の国の料理がおいしいって思ってほしいんだと思う」
「みんなに食べてもらいたいんだよ」
「教科書に載ってる国以外の国の人も、自分の国の料理をおいしいって言ってもらいたいと思ってるよ、きっと」
「国によって、おいしいって感じ方が違うと思う」
「料理に入っているものも違うし」
「それぞれの国の人は、『私の国の料理は、私が好きな味です』って伝えたいと思うよ」
「あなたはどんな料理が好きですか?って訊きたいかも」
いよいよ道徳の時間も終盤です。
担任「みんなは日本の料理で紹介するとしたら、どんな料理を紹介する?」
「ぼくは納豆ご飯」
「私は日本のカレーライス。すごくおいしいよって」
「カレーライスはご飯も使われてるから、すごく大事」
「自分の国の好きなところも言いたい。教科書の子たちは料理のことおいしいって言ってるけど、自分たちの国もいい国だよって言いたいと思う」
「うん。国のいいところって、いろんな感じがあるから、全部好きって言いたいよね」
何と子どもたちの発言が、この対話をまとめているようになっていますね。
対話自体は同じようなところを行きつ戻りつしていますが、それでも全体を見るとじっくりじっくりと深いところに進んでいるのです。
担任が最後に一言。「みんなは、これからいろいろな国の人と付き合うことがあると思う。そういう時には、相手の国のことも大切にしながら付き合うといいね」
恐るべし、1年生!恐るべし、担任!
「外国の料理はおいしいのか?」という問いを窓口にして、気がついたら、子どもたちの対話で国際理解の大切なところまでたどり着いていました。
何というp4cでしょう。これが1年生だってことが信じられません。
お見事!
1年生のみんな、今の気持ちを持っていれば、世の中は分断されることなく、世界は平和になると思うよ。君たちが大人になる日が楽しみです。
1月10日【4~6年学級活動p4c】黙食か?おしゃべりしながらの会食か?
当校が理想とする教育像「子どもがつくる学び 子どもがつくる学校」の学校運営部門でのいよいよ本丸と言っていいかもしれません。学校全体に関わるルールに子どもたちの意見を通り入れます。
実は12月に4年生の数人のお子さんたちから「校長先生にお願いがあります。今給食は黙って食べていますよね。それをしゃべりながら食べてもいいことにしてほしいのです」と直訴がありました。「どうして?」と尋ねると、その理由もしっかり答えます。おおおおおー!ついに来ましたね!待っていたんだよ、君たちのその言葉、そういう、学校を自分たちで変えていきたいっていう思いを!
そこで私は給食担当と生活指導担当の教師に話し、さらに職員全体にも話して、この日の教育活動に持ち込んだのです。
4~6年生の子どもたちが一堂に会して、給食の黙食を継続するか?話しながら食べてもいいことにするか?それとも、今現在やっているように前半は黙食、後半になったら話して食べるのもいいことにするか?これをp4cで対話します。
しかし、なんてったって90人弱の大群です。一体どんな対話になるのかしら?私は、朝から楽しみで眠れませんでした、ははははは。朝は眠らないか。
では、早速対話の様子を見ていきましょう。
まずは直談判に訪れた数人の4年生からです。
「みんなで話しながら食べた方が楽しいし、友だちとの関係もよくなるので、給食は話しながら食べてもいいと思います」
ほかにも数人、怒涛のように同様の意見で畳み掛けます。
やがて別の子どもたちも話し始めました。
「みんなが食べるときに話していたら、あまり食べないうちに給食の時間が終わっちゃうんじゃない?」
「給食を残す人が多くなると思う」
「それに感染症も心配。感染症にならないために黙食が始まったんでしょう。まだ感染症はなくなってないよ」
「唾が飛ぶと感染症になっちゃうかも」
「じゃあ、口元を押さえて、小さい声で話せばいいんじゃない?」
「やっぱり今やっているように、初めは黙食してて、12時30分になったら食べ終わった人は話してもいいことにしたら?」
「そうだね。そうした方が、ある程度感染症対策にもなるし、楽しくも食べられる」
「ねえ、話してもいいタイミングは、時刻で決めるんじゃなくて、食べ終わった人からしゃべってもいいことにしたらいいんじゃない?」
「う~ん。でもそうしたら、食べるのが遅い人はずっとしゃべれなくて悲しいと思う」おおー!友だちの発言から連想されること、推論できることに目を向けた発言ですね。素晴らしい思考力!
「私は最初からしゃべってもいいことにしたらいいと思う」
「そうだなあ。でもさ、しゃべってもいいことにすると、残量が多くなっちゃうし、そうなると『給食は残してもいいものだ』って考える人も出てくるかもよ」おおおおおー!これもまた推論に基づいた発言ですね、素晴らしい!
「感染症対策なんだけど、小さい声で唾が飛ばないように話すようなルールにするといいと思う」
「ねえ、こういうのは?隣の人が食べ終わっていて、自分も食べ終わっている場合にはしゃべってもいいことにするの。話しかけてもいいって言うか」
「隣の人だけだと範囲が狭すぎると思う。周りの人も食べ終わっていて、かつ自分も食べ終わったら話しかけてもいいの」
「ねえ自分で残しちゃいそうって分かっている人は、しゃべらないんじゃないの?」
「やっぱりさあ、みんながちゃんと食べるってことが大事なんだよなあ」あああああー!まさにそのとおり!給食指導の大切なところを突いてくるねえ。
「みんなで楽しく食べてれば、友だちがおかわりするのを見て、自分も食べきっておかわりしようって気になると思う」
ここで意見が途切れたので私が介入。p4cの思考のツール(WRAITEC)の中でも子どもたちが使いにくいとされている発言をかまします。
「さっきの話にもどるんだけど、本当にしゃべっていると給食の残量は増えるのかな?」
「そうですね。50%は本当だと思う。残飯が多いときはしゃべっているときだと思う」
「残渣量が多いときはおしゃべりだけじゃなくて、メニューの好き嫌いにもよるんじゃないかなあ」
ここでこの段階での考えを確認しました。3択で自分の考えに挙手してもらったのです。
① 給食は最初から最後まで、しゃべりながら食べるのがいいと思う人 ・・・ 6人
② 給食は最初から最後まで、黙って食べるのがいいと思う人・・・2人
③ 給食は前半は黙って食べて、後半はしゃべりながら食べるのがいいと思う人・・・その他大勢
つまり、黙食かしゃべりながら食べるのかの2項対立ではなく、第3極を選んだ子が多かったのです。そしてこれは、現行の給食をとるときのスタイルでした。
対話は続きます。
ここで5年生のあるお子さんが対話を深めようと試みます。
「みなさんに質問です。好き嫌いをなくすにはどうしたらいいと思いますか?」
おおー!給食のマナーを超える問い掛けですね。
「苦手な食べ物をなくすよう努力するってことだと思うよ」
「ぼくはね、苦手なものが出ても、自分が好きなものだと思い込むといいと思う」
「ああ、そうだね。苦手なものが入っていないと思い込む」
「それもそうだけど、給食で盛ってもらう時に、苦手なものは少なくしてもらって、盛られた分はがんばって食べる」
「うん。苦手なものでも1回は食べてみようよ」
「嫌いなものは味がないものだと思い込むのがいいんじゃない?」
時間が残りわずかになったので、最後は私が引き取りました。
「みんな、それぞれ一生懸命考えていて、素晴らしいp4cになったと思うよ。給食をとるときに大事にしてほしいことを言うね。一つは対話の中でも出されたけれど「まずは、みんながちゃんと食べること」。もう一つは「食材になってくれた命、それは動物も植物も同じことなんだけれど、そういう命をありがたいと思って食べてほしいんだ。どの生き物も命は失いたくないと思っている。それをいただくんだからね」。
これほどの大人数が同じ会場で一つの問いについて対話するのは初めての試みでしたが、どの子も真剣に対話に参加していました。人数が多い分、一人当たりの語る分量は少なくならざるを得ないのですが、それでも最後まで集中を途切れさせず考え続けていました。
特筆すべきはどの子もただ楽しいだけを望むのではなく、教育の一環として、よりよく成長できる一つの方策として給食を捉えていたことでした。給食は単なるエネルギー補給ではなく、ただ楽しむ場なだけでもなく、残さずいただくことが命を大切にすることにもつながると考えていた子も少なくなかったのです。今までの指導がしっかり子どもたちの中に生きていたということなのでしょうし、何よりも各ご家庭の教育力の賜物であると感じました。
今後は子どもたちの意見を踏まえ、給食の食べ方について職員間で再考することになりますが、「いただきます」「ごちそうさまでした」が、ただのお題目や喫食する合図なのではなく、どのような意味があるのか考えながら食べるようになってほしいと、子どもたちには期待しています。
これからも「子どもがつくる学び 子どもがつくる学校」を実現するために、築地小学校は邁進します!
12月20日【6年学級活動p4c】メタp4c
この日、6年生はp4cで自分たちのp4cを見つめます。言わば「メタp4c」って言うのですか、こういうの。
問いは「みんなが〇〇できるp4cにするには?」と私が枠を設定し、〇〇には子どもたちが「楽しく」を代入しました。
と言うことで「みんなが楽しくできるp4cにするには?」がこの日の問いになりました。
では早速対話の様子を今回もダイジェストで見ていきましょう。
「この問いなんだけど、そもそも『楽しく』って何だろう?」
おおっと!何ということでしょう!いきなりクリティカル・シンキング炸裂です。
「そうだなあ。話せなくなるような重い雰囲気じゃあ、楽しくできないよね」
「うん、そうだね。みんなが楽しいってのは、みんなが話すことができる雰囲気作りが大事ってことかな」
「必ずしも話さなくたって、しっかりと頭の中で考えていれば、学びにはなると思う。けど、一人も話さないならp4cの意味がないよね」
「みんなが安心して話せる環境が必要だと思うよね、やっぱり」
「話しやすい雰囲気ってあると思うよ。そういう空気って言うか」
「そう。その雰囲気の中で、全員が参加できるp4c。楽しいと思うよ」
「ぼくもそう思う。みんながしゃべるってことが大事なんだと思う」
「その時々の問いとか話の流れで発言したくても発言できないこともある。そういう時はしっかり聴く」
ここで教師がp4cで主体的に対話することについて話しました。対話のオーナーシップとでも言えばいいのでしょうか。
以下はその話を受けての子どもたちの発言です。
子どもたちだけで対話を動かそうと奮闘しています。
「みんなの発言を聞いていて思ったんだけど、みんな一人一人にとって『楽しい』ってどんなこと?一人ずつ言っていこうよ」
おおおおおおおー!あなたの心の中が読めるようです。一人一人の楽しいを出し合って、それをp4cに生かせないか追求するってことなんでしょう!こういう発言は対話の全体像を思い描けないと言えるもんじゃあありません。すごいすごい!
「私が楽しいって思えるのは、場がし~んとならないときかな」
「私は明るい雰囲気だと楽しいって思える」
「p4cだからね。みんなが一生懸命考えてると、楽しいって思えるんだと思う」
「そうだね。それとみんなで同じ一つのことについて考えるっていうのが楽しいんじゃないかな」
「みんなで同じことについて考えるのが楽しい」ってことは、そもそもp4cであれば、もう楽しいってことなんだねえ、君たちは。
「友だちの発言を、関心をもって聞くようにするのがいいんだよ」
「笑顔で対話するのもいいんじゃない」
「あとね、友だちが発言した後に間を置かずに誰か発言すれば、前の発言者が不安にならないと思う」
「発言する、しないではなく、みんなの思考が止まらないp4c。これが楽しい」
「やっぱりどんどん手が挙がるってのも大事だと思うよ」
「p4cにセーフティがあるのが大事だと思う、やっぱり」
「みんなが言ってることはベースにセーフティがあるからできるんだよね」
「セーフティがあれば安心して発言したり、話を聞けたりする」
「感心される意見を言えればいいんだと思うけど」
「誰かが発言した後にし~んとなると、変なこと言っちゃったんじゃないかって心配になると思う」
「そうだね。『なるほど』だとかの相づちを打ったり頷いたり・・・そう、リアクション!聞いてる人たちがリアクションを取れば発言した人も心配にならないと思うよ」
「問いを分かりやすく深めやすいものにするのが大事なんじゃない?」
「みんながp4cは自分たちのものだから深めようって意識するってことが大事だと思う」
「さっき、みんなが自分の『楽しい』について話したよね。それは一人一人が違うってことが分かった。多様なんだよね。それを超えてみんなが楽しめるp4cってどういうものなんだろう?」
「う~ん。普段は話をしない人も話せるp4c」
賛同する子が多数。結局、みんなが話ができて、話を聞けて。みんなで対話できるってのが、子どもたちはいいのかしら。
「楽しいときって夢中になったり、もっとうまくできるように一生懸命やってる時だよね。p4cでも、対話しててさ、夢中になったりしてる時じゃない?」
「さっきのみんなの『楽しい』は笑顔だとか感心だとかたくさん出てきた。そういうのを組み込んだp4cがいいんじゃない?」
「うん。一人一人が楽しめることを組み込んだp4c」
p4c後の振り返りでは「このp4c、楽しめた人ー?」という質問に全員が挙手しました。
全員が何かしらの形で発言したことが楽しかったんじゃないかなあ、子どもたちの言うとおりでした。
最後の最後に、あるお子さんが発言しました。
「このp4cの問いで、p4cのどういうところが大切なのか?について考える対話になったと思う」
おおおおおー!対話を見る力が育っていますねぇ。素晴らしい!
さらに、対話後、私に話しかけてきた子がいました。
「校長先生、みんなが楽しめるp4cについてなんですけど。みんなが話せるようにするには問いを簡単なものにすればいいんだけど、それだと浅い対話になっちゃいますよね。かといって、深い対話をしようとすれば話せない人も出てきちゃう。だから、どうやってみんなが話せて楽しくできるようにするかが一番の問題と思うんです」
なるほどねえ。そのとおりだね。
別のお子さんたちが書いた言葉を何人分か抜粋して紹介します。
・「深まらない問い」を「深まる問い」にするのが、p4cとしてすごく大事なんじゃないかって思います。
・「みんなで協力しながらp4cを進めていく。無理に発言してもらうんじゃなくて、助け合いながら発言を重ねていく。発言した人を一人にしない」
・「今日のp4cでみんなが様々すごいのを出してくれて、私も様々考えて、考える幅が広がったことが分かりました。それで〇〇さんがp4cもみんなが楽しくできるように改造すれば!という意見が出て、〇〇さんはすごいなと思いました」
・「みんなが楽しめるp4cは、結局たくさんの人の考えを取り入れ、実践することだと思う。 p4cをやって楽しかったことはみんなで考えを出して、p4cを自分たちで変えていくことが大切だと思う」
・「もっとたくさんの人がp4cを好きになって深まる問いにすればいい。みんなが楽しい、発言したくなるp4cにすればいい。みんなが楽しくなるにはみんなの意見が必要。みんなが言えるように相づちを打ちたいと思った。今日のp4cが次に生かせるといいな。次のp4cが楽しみ」
・「みんなで『楽しく』とは、p4cの大切なことで、楽しくなければp4cじゃない!誰かが嫌になったりすればセーフティがない。ただ『楽しい』は人によって違うから、みんなが言ったことを全部したい。たまに話を聞いていない人がいるのかも」
子どもたちが考える、子どもたちなりのp4c観がすごいと思います。
もう私がつべこべ言う必要はないでしょう。素晴らしいp4c。素晴らしい子どもたち。p4cを始めて8か月(?)の6年生の今がここにあります!
このp4cが今年のp4c納めになるのかな?
12月13日【2年学級活動p4c】対話の主導権は子どもに
2年生はこの日、ノンジャンルでp4cをしました。
ジャンルを問わず、自由に話し合いたい問いを各自が出し合って、その中から問いを決めるのですが、素晴らしい問いが揃いました。いくつかご紹介します。
・何で家族を愛するのか?
・なぜプレゼントがあると喜ぶのか?
・なぜいじめは起こるのか?いじめている人といじめられている人の気持ちは?
・海洋ゴミ問題は解決できるのか?
・なぜ戦争が起きるのか?(同様の戦争に関する問いは4つ)
・なんで世の中に怖い人がいるのか?
読むだけで感動する問いもありますね。子どもたちは社会に関心があり、大人をよく見ているのだと思わせられます。
これらの素晴らしい問いの中で、選ばれた問いは!
じゃーん!「サンタさんは、なぜみんなにプレゼントを渡すのか?」でーす!!おおおおおー!ははははは。やっぱりクリスマスも近いしね。
ということで、今日はこれで行きましょう、これでね。
ところが皆さん、聞いください!やってみたら、このp4c、とってもよかったのです。
今までの2年生は、初めに提示された問いについてのみ意見をバンバン出していって、どんどん広がっていく一方の対話だったのですが、この日は一つの発言が起点となって、その都度生じた問いを全員で考え合うことが何回もあったp4cになったのです。それも子どもたちが主体となって!2年生のポテンシャルの高さを感じました。いやー、びっくり!
前置きはこれくらいにして、対話の様子を見ていきましょう。
「私はサンタさんはどうして子どもたちにプレゼントをするのか不思議だったからこの問いを出しました。この問いについてみんなで話し合いたいです」
「それはさあ、子どもたちに喜んでもらいたいからじゃないの?」
「多分、子どもたちがいい子にしていたから、がんばったから、ご褒美なんだよ」
「それもあるけど、クリスマスって大事な日だから、子どもたちにプレゼントをあげたくなっちゃうんだよ、きっと」
「で、子どもたちにプレゼントをあげると、みんな喜ぶでしょう。それを見て、サンタさんも嬉しくなるんだと思うよ」
「ねえ、みんなに訊きたいんだけど、子どもたちはがんばらないとプレゼントをもらえないの?」
ええええええー!ご褒美に値しない行いの子はどうなるのでしょう?子どもたちの表情に緊張が走ります。ごくり・・・。
「そうだね。がんばらないと、逆にサンタさんにプレゼントしなくちゃならないのかも。プレゼントじゃなくても物を取られちゃうとか。どうしよう」
この発言の意味を、子どもたちが理解していくにしたがって、じわじわと重たーい雰囲気が教室を覆っていきます。
「・・・サンタさんは優しいから、悪いことをしちゃっても、プレゼントくれるよ・・・と思う」
「ねえ、どうして毎年がんばらなくちゃならないの?」
「サンタさんはいい子にしかプレゼントあげないってことにしてるんだよ。そういうきまり」
校長「サンタさんはどうしていい子にしかプレゼンをあげないんだろう?あ、そうやって、世界中にいい子を増やそうとしてるの?」
「ああ、そうそう。世界中がいい子ばっかりになるように、サンタさんはプレゼントを配ってるんだ」
「やっぱり、悪い子のところには来ないのかあ」
ここで新たな問いが出されます。2年生すごい!なんか君たち、覚醒したねえ。
「ねえ、クリスマスのプレゼントって、大人ももらえるの?」
「うん。多分もらえると思うよ」
「大人はもらえないんだよ。だってお父さんもお母さんももらってないもの」
「えー、そうなの!?」
「大人はがんばってるけど、サンタさんに欲しいもの頼んでないもの」
「ああ、そうか」
「私は大人でもプレゼントもらえると思うよ」
「私はもらえないんじゃないかなって思う。ほしいものを手紙とかに書いてないもの」
「そう言えば、大人が手紙書いてるとこ、見たいことない」
「なんで大人はもらえないの?」
「サンタさんが子どもにだけプレゼントあげるのは、未来を変える力が子どもたちにはあるからだと思うよ」
おおおおおーっと!これは!君たちは自らその役割を引き受けるというのか。すごーい!自覚あるねえ、素晴らしい!
「さっきの話なんだけど、大人もプレゼントもらえると思うよ」
「校長先生はプレゼントもらえるの?」
ははははは。これはものすごい質問だなあ。
校長「私はプレゼントもらえるかは分からないけれど、私はプレゼント用意してるよ」
「校長先生もいい子にしてたの?」
「そりゃあ、そうだよ」
校長「大人がね、プレゼントをあげるのはご褒美というよりは愛してるからなんだと思うよ」
「愛してるから、プレゼントするんだ」
「で、校長先生は何かもらうの?」
校長「物と言うよりは、愛情だよね。私はそれが嬉しいなあ。愛し、愛されるって嬉しいことなんだよ」
「愛されるから、愛し返すってこと?」
「ねえ、みんな。サンタさんって嫌いな人にもプレゼントすると思う?」
「分からないけれど、がんばってる人にはプレゼントするんじゃないかなあ」
もうね、時間が全く足りません!!!!!!
子どもたち、まだまだ話し足りなーいって様子がひしひしと。
それにしても、2年生。前回までのp4cでは完全に教師のコントロール下での対話でしたが、対話中の主導権も完全に掌握するようになりつつありますね。
恐るべし、2年生!
なんかあったか~~い気持ちになりました。クリスマスには、花買って帰ろうっと。
12月10日【3年学級活動p4c】2学期を振り返って
3年生は、どんなことができるようになったか、大変だったけれどがんばったことは何か、一人一人が振り返る前に、3年生全体でp4cをして振り返ります。
問いは担任が設定しました。「2学期どうでした?」です。
「楽しかったです」
「面白かったです」
「例えばどんなことが?」
「えーっと、友だちと遊んだこと」
「勉強が難しかったです」
対話のスタート直後はこんな感じです。
続きをダイジェストで見ていきましょう。
「私は『遊ぼう』って言われて嬉しかったです」
「ぼくはプールが楽しかったです」
「プールの何が楽しかったんですか?」
「潜ったり、泳いだり・・・」
「友だちと一緒に遊ぶのが楽しかったです」
「例えば?」
「鬼ごっことかドッチボールとか」
「松の子まつりも楽しかったです」
「ああ、そうだねえ」
「まなび学級のわくわくまつりも楽しかったよねえ」
子どもたちの楽しかったこと、面白かったことがどんどん紹介されていきました。
ここで担任が介入します。
教師「みんなさ、楽しかったこと、面白かったことたくさんあったみたいね。でも大変なこともあったでしょう。そんなとき、どうしたの?」
「私はかけ算の筆算が難しかったです。でも、お父さんやお母さんから教えてもらって、できるようになりました」
「50問テストは難しかったです。でも自主学習(以下「自学」)をたくさんしたら、いい点数とれました」
「跳び箱がなかなか跳べなかったんだけれど、何回も練習したら初めて5段跳べました!」
「算数で分からない問題ができるようになりました」
「あまりのあるわり算とかね」
「うん、そう」
この後、習字の『人』という文字、鉄棒の逆上がり、理科の実験、リコーダー、鉄棒の前回り、分数のたし算・ひき算など、難しかったけれど、乗り越えることができた方法とその喜びが出されていきました。
「私p4cでしゃべれるようになりました。最初はあまりしゃべれなかったんだけど・・・」「セーフティに対話をすることができました」などp4c絡みの発言も結構ありましたよ。
以上15分間、あらかた出尽くしたところで、改めて一人一人がプリントにできたこと、がんばったことを書き綴りました。
始めは楽しかったこと、面白かったことを活動名で話していただけの3年生ですが、p4c後にはより具体的に想起し、さらに困難を如何に克服したのかまで振り返っていました。
振り返ることは、自分のその時々の様子を思い起こし明確にし、それを自分なりに価値づけ、次に生かすことができる活動だと捉えています。
何人かのお子さんの振り返りを紹介します。一人で考えたことに、p4cで友だちの発言からインスパイアされたことが付け加わっています。
「p4cで手を挙げられるようになりました。授業でもどんどん手を挙げられるようになりました」
「算数が苦手だったんだけれど、少しずつ様々な復習をしていたら、得意になりました」
「様々な友だちに『遊ぼう』って言ってもらえてとても嬉しかったです。今まであまり仲良くなかった子とも友だちになれて嬉しかったです」
「あまりのあるわり算をがんばりました。初めはあまりの出し方がよく分からなくて苦戦してたんだけど、練習したらできるようになりました」
「かけ算の筆算は九九を忘れて、どうしようって思うことが多かったんだけど、毎日九九を改めて練習したら忘れなくなって、筆算もできるようになりました」
「p4cで自分から進んで手を挙げて、毎回必ず発言するようにしていました。セーフティも大切にしながら対話することができました」
「マラソン大会では疲れたけど、歩かないで最後まで走り続けました」
がんばって苦手を克服したことを成功体験として、3学期も自信をもって進んでいってほしいと思います。
11月27日【4年道徳p4c】何も起こらないけど、目頭が熱くなるシーン
先日、素晴らしいp4cをして深めた4年生ですが、この日も深めますよー。
道徳で藤井総太棋士のエピソードが基になっている教材で学びます。
問いは「名人を超すという目標を達成したのに、藤井総太さんはどうして『私はまだ名人には及びません』と話したのか?」です。
では行ってみよう!
「名人に勝ったってことは名人より強いってことでしょう。でも何で名人には及ばないって言ったのかと思って」
「まだ自分の中では強くないって思ってたんじゃないかな?」
「うん。十分な自信がないって言うか」
「そうだね。世界にはたくさんの名人がいるし」
「もっと強い人がいるかもしれない」
「強い名人がね」
「上には上がいるんだよ」
「まだまだ努力が足りないって思うんだ」
「もっと努力して、たくさんの名人を超したい」
「もっと上の名人になりたいんだ」
「最強の名人」
「自分の心の中での名人に」
「そうそう。自分が思う本当の名人を目指すってこと」
「うん。自分が満足するまで!」
教師「藤井総太さんは、どこまでやったら満足できるんだろうね」
「どんな相手でも、その時々で違う方法で勝てるように」
「心の中にいる何百人もの名人に勝てるまで」
「ねえ、何回勝てばいいの?」
「何回って言えない。回数じゃないと思うよ」
「どんな相手でも絶対負けない。絶対勝てるくらいの強さ」
教師「君たちは目標に向かって努力したことある?」
「運動会で何回も練習して速く走れるようにがんばった」
そのほか、子どもたちは自分自身を振り返って、自分の体験を語り始めます。ここでは省略しますね。
教師「そういう時ってくじけそうになったりしない?」
「するする」「よくくじけそうになります」など同様の発言が多数。
教師「そんなときってどうやってがんばり続けようって思うの?」
「う~ん。私は将来アメリカに行きたいと思ってるんだけど・・・」
このお子さんは、この後、がんばってもうまくいかない時にどういう心持ちで乗り越えるか語ります。
そしてほかの子からもくじけそうなときに乗り越えた体験が多数語られました。
「私が乗り越えられたのは、練習を止めたい時もあったけど、止めたいって気持ちよりも、自分の目標を達成したいって気持ちの方が強かったからなんじゃないかな」
「私は、うまくできなくて、もう嫌だって思ったんだけど、お母さんが上手にやり方を教えてくれたから、続けられた」
「誰か助けてくれる人がいるといいのかもね」
はいはいはーいと積極的に発言しようって子ばかりではありませんが、それでも文字に起こしてみると、ダイジェストでもこれだけの発言量に上るんですね。すごいなあ。
そんな子どもたちのp4cですが、この日の私の目が真っ赤になったシーンとしてはこんな場面が挙げられます。
あるお子さんが、意を決して挙手をしました。周りの子どもたちは、何を話すんだろうってじっとその子を見つめます。しかし、コミュニティボールが回ってきても、その子は語ろうとしないのです。まっすぐ前に向けられていた視線はやがて手元のボールに落とされていきました。でもやっぱり周りの子どもたちはじっと息をのんでその子を見つめ続けているのです。きっと頭の中で『〇〇さん、がんばれ、○○さん、がんばれ』ってエールを送りながら。2、3分経った頃、私が途中で介入しました。「ねえ、○○さん、一旦別の人にしゃべってもらう?」。ところがそのお子さんは下を向いたまま、発言しますって意思表示をしたのです。この様子を見た子どもたちは、もうとことんこのお子さんが語りだすのを待っていようと心に決めたようです。じっと発言を待ち続けます、その子を見つめながら。学級のすべての子たちの思いが一つになったような気がしました。さらに何分か経過したころ、私が再度介入しボールをもらいました。もしかして、もうちょっと待ってたら、そのお子さんは話せたかもしれないなあと逡巡しながら。
この時間のp4cが終わった後で、私そのお子さんに声をかけたんです。
「さっきは結局発言できなかったけど、あなたがんばったねえ。自分の頭の中のことを何とか言葉にしようって思って考え続けていたんでしょう?」
そのお子さんは、こくりと頷いて、私に「ありがとうございます」って言ってくれたんです。
頭の中で混沌とした思いを言語化するのって、大人でも難しいことですよね。それでもこのお子さんは、それに果敢にチャレンジしたのです。そして、そんなその子の思いを周囲の子たちはきっと分かってたんじゃないかなあ、と思います。
素晴らしい4年生。
彼らは様々な経験を重ねながら、仲間と一緒に、じっくりじっくり成長していくことでしょうね。
がんばれ、4年生!
11月25日【3年道徳ほぼp4c】まるちゃんとたまちゃん
3年生は道徳の勉強中。教材はちびまる子ちゃんのまるちゃんとたまちゃんのエピソードを基に作成されているものです。
こんなあらすじです。
タイムカプセルを作った2人は翌日に埋めようと約束します。まるちゃんは約束の時刻にずっと待っていたのですが、いつまでたってもたまちゃんは現れませんでした。翌日学校で会い、たまちゃんから理由を聞くのですが、まるちゃんは許せません。しかし、まるちゃんもその後、たまちゃんと似たような体験をして、たまちゃんの気持ちをおもんばかることができるようになりました。誤解が解けた二人は涙を流しながら、互いを好きであることを再確認したのでした。
話し合いでは、問いを子どもたちが設定し、3年生は席に着いたまま、黒板の方を向いています。しかし、発言権はコミュニティ・ボールを持っている子にあり、周囲の子は発言している子の方をしっかり向いて聞いています。円座になってはいませんが、こりゃあ確かにp4cですね。
さて、問いは「なんでまるちゃんはケンカしたのに、捨てたタイムカプセルを泣きながら探したの?」です。
かなり大雑把なダイジェストで対話をご覧ください。
「まるちゃんにとって、たまちゃんは大切な友だち。ケンカしても、まるちゃんは『自分が悪かった』って気付いたからまた仲直りしたいと思ったんだよ。でもタイムカプセルは捨てちゃったから、泣きながら探した」
「そうだね。まるちゃんは、自分も同じような体験をして、たまちゃんの気持ちが分かったんだよ」
「うん。それはまるちゃんだけじゃなくて、たまちゃんもきっとそうだったんだね」
「二人とも、互いの気持ちが分かった」
「始めはまるちゃんは怒っていた。でも時間がたって、同じような体験もして、で、冷静になって、申し訳ないなと思った」
「だから悪かったと思って泣いたんだと思う」
教師「そもそも何で二人はタイムカプセルを埋めようとしたんだろう?」
「タイムカプセルって、仲のいい人と一緒に作ったり埋めたりするでしょう。ずっと友達だよって気持ちだったんだと思う」
「もともとまるちゃんとたまちゃんは仲良しだった」
「だからまた仲良くしたいって思った。自分も悪かったから、タイムカプセルを探しに行ってもう一度一緒に埋めようって」
「仲直りしたかった。でも見つからなくて泣いたんだ」
「まるちゃんは『悪かったな。たまちゃんにごめんなさい』って気持ち」
教師「タイムカプセルを探しているときに、まるちゃんは泣いたよね。その後、たまちゃんと仲直りして、今度は二人で泣いた。この2つの涙は同じ気持ちからなの?違う気持ちからなの?」
「探してる時の涙は、悪かったな。でも一緒に泣いたときの涙は嬉しい涙」
「仲直りできてうれしい」
「これからも仲良くしようねみたいな」
「ずっと友達だよって」
教師「みんなは友だちと分かり合って嬉しいという気持ちの涙って流したことある?」
この後、子どもたちの体験談がぽつぽつとではありますが、語られていきました。まあ、多分まだあまり経験ないんだろうねえ。でも私はあるよ!そんなことを彼らに話しました。
ねえ、3年生のみんな。
きっと君たちはこれから先、友だちと泣いたり笑ったりしながら、親友とかかけがえのない友だちとかをつくっていくんだろうねえ。
そういう大切な友だちは、人生を豊かにしてくれるような気がします。
人とのかかわりあいを大切にしながら、生きていってほしいなあ。
私の願いです。
11月25日【6年学級活動p4c】松の子まつりの振り返り
先週実施され大盛況のうちに幕を閉じた「松の子まつり」。この日6年生はp4cで振り返ります。
対話を始める前に、教師がこの児童会活動のねらいを改めて確認しました。企画運営力の向上と他を思いやる心の醸成です。
今回のp4cで決められた問いは、「松の子まつり、大変でしたね。大変だったことは何ですか?」です。6年生はどんなことを話すのでしょうか。
「松の子まつりはねらいが簡単に達成できるものではありませんでした。みんなそれぞれ大変だったと思う。みんはは、どんなことが大変だったのかなあと思ってこの問いにしました」
「私は時間を守ることが大変でした。自分はいいんだけど、他の学年の子たちにも時間厳守してもらわないとならないけど、なかなかいうこと聞いてくれなくて・・・」
「あと、ブースを班ごとに回るときに、低学年の希望を聞きながら回るんだけど、それぞれ行きたいところがバラバラで、うまくまとめるのが大変だったなあ」
「やっぱり、1~3年生がなかなか言うことを聞いてくれなくて、で、みんなバラバラに動くから収集がつかなくて大変だったなあ」
「ぼくの班は、ボール拾いするべき時なのに、みんないつまでも遊んでてなあ」
「私、『はこの中身は何だろな?』だったんだけど、みんなで協力してやらなくてはならないから、役割分担したんだけど、本当は自分だけでやった方が早いんだよね。でも敢えてみんなに仕事を割り振ったの」
「ああ。めっちゃ分かる!ボール投げのボードを3つ用意しなくちゃならなかったんだけど、〇年生がよく分かってなくて、2つしか用意しないんだよね。大変だった。どう伝えればよかったんだろう。どう伝えればわかってもらえたんだろうって、今でも考えてる」
「みんなで協力するのが松の子まつりでしょう。だから、自分一人でやればそっちの方が早いかもしれないけど、それじゃあ、他の学年の子はいい経験にならない。私たちみんなのブースなんだし」
「みんなに訊きたいんだけど、大変だったのに、どうして楽しかったんだと思う?」
うおおおおおおおー!こ、これは早くも深める発言炸裂です!この論法は、教師が運動会とかの振り返りp4cで使った論法です。対話は話し言葉なんだけど、消えてなくなるわけじゃない。彼らの身体の中にしっかりと残っているんですねえ。感無量。嬉しいです。
「確かに自分は大変だった。でも班のみんなが楽しそうに活動してるのを見ると、なぜか嬉しくなっちゃってたんだよねえ」
「みんなはさあ、友だちが大変そうだったなあと思うブースとか場面とかある?」
「私はね、火星人来襲ゲームの班の人たち。低学年に教えるのが難しそうだったな。的が倒されたら、いちいち立て直さないとならなかったし、ダンボールの空気砲を扱い方の説明の時、何回も『強く叩きすぎて壊さないように』って言ってたから、壊しちゃう子もいたんだろうなあって思った」
「ボール投げゲームの班。投げた後にブースの担当者がボールを拾わなきゃならないでしょう。ボールが集まらないと次のお客さんを入れられないし。低学年の子がお客さんだったりすると、並ばせたり整理したりしなくちゃならなかったしね」
「私のブースはお客さんの回転効率が悪くて、次のお客さんにずいぶん待ってもらわなくちゃならなくて申し訳なかった。何か工夫すればよかったなあって思う」
「箱の中身は何だろなは、お客さんの楽しかったと思うけど、例えば箱の中に入れて何か当ててもらうクレーンゲームのアームを、〇年生が隠そうともしないで堂々とお客さんの前でダンボールの中に入れていた。『あーあ、ばれちゃうよ』って思ってさあ、6年生は大変そうだなあって思ったよ」
「確かに、答えの品物がたくさんあったから、準備も大変だったろうなあ」
「私、怖い話のブースやったんだけど。用意してた怖い話が長くてね。怖い話の後はクイズ出して、で、その後に鍵探しもしてもらったんだ。だから、一班当たりの時間がすごくかかっちゃって。待ち時間も長くなっちゃった。途中から2班ずつ入ってもらうようにしたんだけどね」
「あとね。モグラたたきが大変そうだったよ」
「ああ、そうそう。あれは大変そうだった。ペットボトルをモグラに見立てて、出したり引っ込めたりしてたけど、ダンボール製の棒がペットボトル以外のところに当たったりしたこともあったんじゃないかなあって思って。体だったらガーンって当たって痛かったかも。で『強く叩かないでください』って何回も説明の時に言ってたもんねえ」
「なんかさあ、ダーツできなくなっちゃってとき、なかった?大変そうだった」
「どの班も、お客さんが楽しめるよう、低学年の子が苦労しないように考えて、様々な工夫をしていたよね」
「準備しなくちゃならない時に、遊んでて準備してくれない子もいたなあ」
今回のp4c、私の出番はほぼ皆無。最後にちょっとだけ介入しちゃいました。
「ねえ、みんな。今回の松の子まつりって、結局どうだった?」
子どもたちはじっくり振り返りながら考えていました。そして、あるお子さんの発言でこのp4cは大団円となりました。
「結局、松の子まつりでは、それぞれの子が、それぞれの子なりに、みんなで協力してやれた。だから、仲を深めることができたんじゃないかな。友情って言っていいのか、でも友情が育まれたって言う感じだよね」
上記に書ききれなかった発言の中に、「苦労したし、大変だったけど、最高の松の子まつりになりました」って言ったお子さんがいました。
それぞれのお子さんが、大きな学びを遂げたんじゃないかしら。
6年生、お疲れ様!
そして、企画運営を指導した我らが教職員集団のみんな、お疲れ様でした。
大変だったけど、とってもいい松の子まつりでしたね、教職員にとっても。