学校ブログ
7月24日 【2~6年】ドキドキワクワク通知表! 【1年】通知表ってなに?
終業式の後、子どもたちは各学級で通知表を受け取りました。
2年生以上の子どもたちにとっては、ドキドキワクワクのセレモニー!一人一人が担任からがんばりを褒めてもらいながら通知表を受け取っていました。その通知表を覗き見る子どもたちの顔ったら!
一方、1年生にとっては初めての通知表です。「通知表ってなあに?」ってところから始まります。
通知表?そうねえ、通知表って君たちががんばったところ、よかったところがたくさん書いてある宝みたいなものなのですよ。
7月24日 終業式
1学期の終業式が行われました。
各学年の代表児童が1学期を振り返っての発表をしました。どのお子さんも堂々とした立派なスピーチでした。充実した1学期間だったことがうかがわれますね。
発表してくれたみんな、とってもよかったよ!
7月23日【6年p4c】勇気とは何か?
6年生は1学期もぎりぎりまでp4cを楽しみます。
この日の問いは私が決めました。それは「勇気とは何か?」です。
夏休みを前に、6年生はどんなことを語るのでしょうか。とっても楽しみです。
では、早速いってみましょう!
教師「自分がやりたいことややるべきことなんだけれど、できないことって私はある。どうしてなんだろう、それって勇気がないからなのかなと思って」
「人は勇気があると、自分が気になることを人に訊くことができる。大切なことについては、勇気を出して訊くといいと思う。それと、勇気を出して人に話しかけるって大切なことだと思う、話しかけられるのを待ってるだけじゃなくてね」
「私も人に話しかけるときって勇気がいる」
「そうだよね。私も、勇気が出なくて、うまくできなかったことがある」
「勇気ってさ、目の前の恐怖に打ち勝つことなんじゃないかって思う」
「うん。目の前の恐怖に打ち勝って第一歩を歩み始めるときって、やっぱり勇気が必要。でも一歩踏み出しさえすれば、その後はすんなりいくこともあるよね。そういう意味じゃ、第一歩って大事だし、それ故に勇気が必要になるんだと思う」
対話はスタートしたばかりですが、かなり深いところまで突っ込んで話していますね、6年生!
「考えがあるんだけど、手を挙げることができないことがある」
教師が子どもたちに確認すると同じような体験をした子が多数であることが分かりました。
教師「手を挙げることができないのは、どうしてなんだと思う?」
「勇気が足りないからだと私は思う。みんなはどう?」
話が深くなっちゃって、ついて来れないのかな。続いて挙手する子は現れず、し~んとなってしまいました。先ほど発言した子が続けます。
「こういう時に勇気を持つべきだと思うよ」
この発言がうつむいていた子たちを刺激します。
「私が挙手できない時は、間違ってるかもしれないと思うからかな」
「私もそういう時あるけれど、勇気が足りないんだと思う。あと、やる気ね」
「勇気、やる気が足りないってのもあるけれど、恥ずかしさが先に立っちゃう時もある」
6年生は自分自身を振り返り、自分自身を見つめながら、対話を続けます。
「挙手して話すってさ、覚悟が大事だよね。やっぱり覚悟」
「うん、そうだね。挙手したり発言したりする時だけじゃなくて、勇気を出すには覚悟が必要」
「発言してそれで間違ってしまった場合、否定されるのが怖いんだ」
「そういう意味じゃ、自分を信じる心が大切ってことになるよね」
「そう。自分に自信を持つのもね。勇気を出して1回挙手したら、2回目からは自信がつくと思う。第一歩が肝心だし、だからこそ第一歩に勇気がいるんだよね」
「私はね、自信がないときでも発言できることもある。そういう時って、心の中で自分で自分を応援するんだよ。『がんばれー、がんばれー🏳🌈)))』ってさ」
教師「例えば、いじめがこのクラスで起きた時。いじめを止めるのって勇気がいるよね。大きな勇気が。でも、そんなに大きな優気を出さなくてもできることってあると思う」
「信頼できる仲間や友だちと一緒にいじめを止めるとかね」
教師「私の持論は、困難なことは自分一人じゃなくて、みんなでやることが大事なんだ」
「大人に話すのもいい」
「うん。勇気を出してお母さんとかに話す」
「内緒で話すにも、やっぱり勇気がいるよね」
「相談した相手が悪くて、嫌なうわさが立っちゃうかもしれないし」
「いじめている人に注意する時には、言い方を優しくする必要がありそう」
「いじめに気付いたら、一人で抱え込んで悩むんじゃなくて、先生とかに相談するといいと思う」
「信頼できる人に相談することが大事。いじめに気付いたら、勇気を出して一緒に戦う仲間をつくろう!」
最後に教師が全員に問い掛けました。「『いじめに気付いた時、勇気を出して苦しんでいる仲間を助けたい』って思う人は?」
すると、全員が挙手しました。
ここでタイムアップ。時間ギリギリまで約40分間ノンストップp4c。私、もうお腹いっぱいです。
子どもたちはこの日のp4c、どう捉えたかな?
この後、一人一人が対話を振り返りました。
「私はいじめがあったらどうするか。今日のp4cでとても勇気がついたので、いじめがあったら注意できると思います」(このお子さん、数日前の家庭学習で「いじめをなくすには?」というテーマで作文を書いてきていたのです。このテーマでp4cをしたいとも。この作文では、一般的には自分もいじめられるのが怖いから、見て見ぬふりをしちゃう人が多いのではないかとまとめていました)
「勇気は人からもらったり、自分で出したり、あげたりできるんじゃないか。勇気が出ない人は勇気がないんじゃなくて、探してないんじゃないか。今日のp4cで、勇気は恐れないこと、恥ずかしがらないこと、覚悟があることではあるが、恐れても恥ずかしがっても覚悟がなくても、一歩前に進むことが大切なんじゃないか。【新たな問い】なぜ勇気が大切なんだろう?」
「勇気はやる気を引き出す!」
「このp4cはすごくいい授業だと改めて思いました。(自分の思ったことを発言するには勇気が必要だけど、)「誰も否定しない」「自分が気になることがあれば、みんなに質問する」「自分の考えをしっかり発表できる」というこのp4cは、すごくいい場所だと思いました」
「勇気があれば何でもできると思う。どんな理由でも人を助けることができる。一人で戦わないこと。いじめられている人がいたら助けたい。大人、友だちと解決する」
「勇気とは、いろいろなことにチャレンジすることだと思った。勇気があれば、人は強くなるのではないかと思った」
「(対話前)勇気を出すべき時に出すのは難しいと思った。勇気を出そうとするにも勇気がいる。(中略)(対話を終えて)いじめがクラスで起こっても止めるために行動することができる。勇気と挑戦は少し似ているような気がした。覚悟をして、勇気を道具として使うこともできる。【新たな問い】勇気はどうやって身に付けるのだろう」
「(対話前)勇気があっても止められないものもある。勇気は大切だけれど、それがすべてではない。勇気は何にでも挑戦する感情。(対話を終えて)いじめが起きたら、自分で止める。すぐに逃げない。これこそが勇気のある行動だと言える。【新たな問い】勇気はやる気のように湧いてくるものなのか。それとももともとあるものなのか?」
「勇気とはまず気持ちから始まる。自分と違う考えに対して、自分の考えを話すのは勇気がいる。私は「あの時、勇気を出せば」と思うことがある。(中略)勇気は見つけるもの。勇気を出すことによって誰かから嫌われることもあるかもしれない。でも自分のためだけじゃなくて、人のためにも勇気を出すことがある。勇気を出すことに反対する自分を押し込めて、心を燃やして勇気を出す。初めから勇気のある人間はいない。不安を抱えつつも、誰かのために、自分にしかできない勇気をもって話した人を大切にしたい。勇気は自分のためにも相手のためにもなる。勇気を出す人にはたくさんの感情がある。勇気とは人を成長させるもの。自分の考えを伝えるためのけじめ。【新たな問い】勇気とは何のためにあるのか。勇気のつかい道。誰のために?優気によって変わるもの。勇気を出すとよいことは?」
「私は発言できなかったけれど、たくさん考えました。もしもコミュニティ・ボールが回ってきても、たくさん考えたことを話せずにそのまま「パス」して終わってしまうかもしれません」
<この記事で、最後に紹介されているお子さんへ>
あなたは、p4cの間中、ずーっと考えていましたね。振り返りのプリントにびっしりと書き込んでいたことからも分かりましたよ。素晴らしいことだと思います。考えるってとても大切なことです。そして発言できるようになりたいという思いを持ち続けることも同じように大切なことだと思います。そんなあなたの「ああなりたい、こうなりたい」を私たち(学校教職員)は全力で応援しますよ!
7月22日【3年国語】仕事の工夫、見つけたよ
3年生は国語で『仕事の工夫、見つけたよ』の学習をしていました。自分が興味を持った仕事について調べ、まとめたのです。どのお子さんのプリントを見てもたくさんの書き込みがしてありました。インターネットや本、そして家の人に訊いたりして調べたようですね。調べた職業は、あるお子さんは薬剤師、またあるお子さんは野球選手、はたまたあるお子さんはお寿司屋さん、そのほかカイロプラクターやペットのブリーダーなどもあり、多様性に富んでいました。そうそう、小学校の先生って子もいましたよ💛
担任が何人かのお子さんのものを紹介すると、そのたびに大きな拍手が起こります。3年生の雰囲気のよさを感じます。また、友だちから付箋に書いてもらった肯定的評価をじっと読む背中から、喜びがにじみ出ています。
この学習は国語の学習であり、自分の将来就きたい職業に思いをはせるキャリア教育でもあります。家の方から話を聞いたお子さんは、それぞれの仕事についている家の方にあこがれを持ち、自分のロールモデルとすることもあるでしょう。
築地小学校では地域と連携した教育活動を盛んに行っています。そこでは、ただ単に地域の方から勉強を教えてもらうだけではなく、地域の方から生業とされているお仕事の詳細やそれに対する思いを伺ったり、対話したりすることも大切にしたいと考えています。様々な教育活動にこのようなキャリア教育のエッセンスを取り入れることで、子どもたちには将来に対する夢や目標をもってほしいと願っているのです。
7月22日【5年家庭科】裁縫実習2
5年教室を覗くと、5年生はまたまた家庭科で裁縫の実習中でした。この日学んでいたのは本返し縫いと半返し縫い。
私、小学生の頃、どういうところが本返しで、それをどうすれば半返しになるのか、まっっっったく考えずに縫っていましたねえ。未熟でした、反省反省。ははははは。今ならばっちり分かりますよ!
さて、我らが5年生、練習用布と針と糸を穴が開くほど見つめながら、一針一針じっくりと縫っていました。
5・6年生が現在家庭科で学んでいる洗濯や裁縫の基本は、将来自立するためには欠かせない技術です。大人になってもこの技術を使う頻度は高いんじゃないかしら。少なくとも私はそうです、きっぱり。
大人になって、もみ洗いや裁縫の一つもできないなんてことがないように、しっかり身に付けてね。あ、あと箸の持ち方もね(私、小学生の頃、親から随分仕込まれましたねえ。当時は反抗していたけれど、今はただただ感謝)。
7月22日【1年学級活動】工夫して遊ぶ
1年教室を覗くと、子どもたちはプリントに何やら書き込んでいます。書きながら、上を向いたり、遠くをぼんやり眺めたり、はたまた隣の子と小声で話し合ったり・・・。どうやら、「ジャンケン列車」をひと工夫、より面白くするためにはどうしたらいいか考えているようです。どれどれ、みんなどんなことを考え付いたのかな?
・「ふざけないでやる。ルールを守る」
うん、これは大事。そもそもルールを守らないとみんなが楽しめないもんね。みんなが楽しめなくちゃ、自分も楽しめないしね。
・「走りながら、ジャンケン列車をしたいです」
おー!猛スピードで走ったら暴走機関車ですなあ。ははははは。面白いかも(転ばないように気を付けてね)。
・「スキップしながら走る」
なるほど、ただ走るのじゃなくてね。進化しました。みんなで合わせてスキップするのも楽しそう。
・「体育館のラインの上を走る」
列車だからねえ、ラインが線路ってわけね。ほーほー。面白い。
・「ジャンケンで負けたら、列の一番最後に回る」
こりゃあ、負けた責任のとり方としてはいいかもね、ははははは。
担任が言うには、機会を見てですが、それぞれのアイディアを実際にやってみるそうです。
この後、鬼ごっこについても、さらに面白くなるアイディアを出し合いました。
スイスの学者ピアジェの発達理論を踏まえると、始めは自分の好き勝手に遊ぶ段階であった子どもも、発達するにつれルールは従わなくてはならないものであるととらえるようになると言います。また、ルールに従って遊ぶことに楽しみを見出す年ごろと言ってもいいのかもしれません。それが1年生くらいの段階なのでしょうか。
さらに発達すると、ルールというのは社会的慣習のようなもので、互いの合意が得られれば、変えることも可能であると考えるようになるそうです。
自分たちでより楽しめるルールをみんなが合意のもと考えるというこの学習は、1年生の発達の階段を1つ上がらせることに繋がるものかもしれませんね。
みんなが考えたルールで遊ぶことができたらいいね、1年生のみんな。休み時間とかにやってみたらいいんじゃない?。
ちなみに次からの3枚の写真は、5月末に1年生がジャンケン列車に興じているところです。
7月19日【6年家庭学習】p4cの振り返り
この前日に6年生は「さん付け」をテーマにp4cをしました。
あるお子さんが、家庭でそれを振り返って作文を書いてきましたので、ここでご紹介します。
「今回のp4cは、あまり意見がまとまらないものでした。
私は、『さん』を付ける人は、大切にしている人、よく知らない人などに対してです。よく知らない人からは、私は『ちゃん』と呼ばれたくないので、『さん』を付けます。
話は変わるのですが、〇〇さんが『チャンス』『きっかけ』と言った発言で思ったことがあります。このp4cこそが『きっかけ』で『チャンス』だと。他の意見を聞き、違う考えに触れて、自分とは違う考えがあることに気付き、そして自分の考えや自分自身を振り返る。こういうことが『きっかけ』となり、『チャンス』になるのだと思います。校長先生がどう呼ばれたいか知ることもできました。
そして、ここからどうするかは、人それぞれ違うと思います。」
どうですか!!私はしびれました!!ですよねー。
友だちの考えを大切にしながら受け入れ、自分の対話における明確な意思表示とさらに深く考える、あるいは考え続けるこの姿!本当に素晴らしいことだと思います。
私が大切にしたい子どもたちの姿の一つは、「問い続ける」です。*この場合「考え続ける」と同義です。
「さん付け」をテーマにしたp4c。またやって、もっと深く考えたいねえ、みんな!
写真はこの日、理科のテストに取り組んでいる6年生の様子です。
7月19日 子どもたちの自主的・自立的活動
子どもたちの自主的・自律的活動をいくつかご紹介します。
2年生はお楽しみ会の最中。体育館でドッジボールに興じていました。担任に訊くと、子どもたちがやりたい活動をお楽しみ会として担任が運営しているのだとか。この後は、椅子取りゲームをするそうですよ。
6年生は発案はもちろんのこと、子どもたちで運営しています。「いつ、どこで、誰が、何をしたゲーム」。「いつ、どこで・・・」は、「いつ」「どこで」「だれが」「なにをした」を紙に書き、ランダムに選んで短文を作るゲームです。面白そうなので、私も入れてもらいました。で、やっぱり面白かったです。その後はソフトバレーボール。私も入れてもらっちゃうんだなあ、これが。ゲームに参加するにあたっては、私には勝敗よりも大切なことがある!それは、私のアキレス腱を守ること。3歩以上走らないことを自らの戒めとし、大人げなく優勝しちゃったんだなあ、これが。チームメイトのみんなありがとう、おめでとう。
4年生は係活動で盛り上がっていましたよ。環境係がキャラクターを募集していたのです。この日は投票日。選ばれたのはとってもかわいらしいイラストでした。こちらもおめでとう。
イラスト募集と言えば、健康ボランティア委員会。健康(特に手洗い)に関するキャラクターを募集していたのです。こちらも当選キャラクターがこの日発表されていました。
子どもたちの自主的・自立的活動。それぞれの発達段階に合わせて、少しずつ子どもたちの自立的な参画の度合いが高められていました。こうして、子どもたちが主体となった組織を作る力と意欲が育成されていくのですね。
それにしても、みんな楽しそうだなあ。
7月18日 今日の給食はナンですか?
給食のメニューを見た時からずっと、私はこの日を待っていました、ダジャレが言いたくて!ははははは。
この日のメニューは、ナン、ツナと豆の米粉スパイスカレー、ガーリックポテト、アーモンドサラダ、牛乳です。
当然、私は「ナン」にロックオン!
給食が始まる前からランチルームに待機して、お腹を空かせた子どもたちが入ってきたら即ダジャレ攻撃です。
「〇〇さん、今日の給食は何です?」
「ナンです」
「ん、何です?」
「だからナンです」
「いやいや、だから何です?」 *永遠に続く
こんなダジャレ攻撃を、入ってくる子たちは忍耐強く受けてくれるのです。ははははは。
で、途中から子どもたちはピンと来て笑顔になってくれるんですよねー。なんて優しい子どもたち。
はい、この記事はただのダジャレ紹介でした。お粗末様でした。
あ、ナン、とってもおいしかったです。カレーも、サラダもガーリックポテトも!
7月18日【6年学級活動p4c】「さん付け」について
当校では子どもたちが互いを呼び合うときに、あだ名や、『君』ではなく『さん』を付けて呼ぶように指導しています。いわゆる『さん付け』です。指導しているとはいえ、なかなか徹底しないのが現状です。多分、子どもたちの中では、『さん付け』がしっくりきていないのでしょう。さん付けの意義について納得していないとでも言ったらいいでしょうか。この状況について、子どもたちは子どもたちなりに理解していたのだろうと思われます。
この日、1学期の振り返りとしてのp4cで、子どもたちが問いとして選んだのは、なんと次のものでした!
「『さん付け』と『ちゃん付け』、『くん付け』はどれがいいのだろう?」
かー!しびれますねー!
『さん付け』は当校が教師主導で進めている生徒指導の根幹。ここに、子どもたちが「一言ものもーす!」って感じで疑義を申し立てたということなのでしょう。やるなー、6年生。
では対話の概略を見ていきましょう。
「今まであだ名や呼び捨て、『ちゃん付け』だったこともあって、『くん付け』や『さん付け』は、相手との間に壁がある感じがする」
「『さん付け』されると悪い気はしないけれど、『くん』『ちゃん』の方が、仲良し感があるっていうか」
「私はみんなとちょっと違って、ある時みんなが『ちゃん付け』とかあだ名で呼び合っていだんだけれど、私だけ『さん付け』で呼ばれたことがある。その時はなんか、つらい気持ち」
「年上の人には『さん付け』がいいけれど、同級生とかに対しては『ちゃん付け』『くん付け』の方がいいと思う」
「急に『さん付け』されると、嫌われちゃったかなって思っちゃう」
ここで子どもから全体への質問が出されます。6年生、p4cが分かってるじゃないですかー!しびれるなあ、もう!
「ねえ、みんなは『さん付け』で呼ばれたいときと『くん付け』で呼ばれたいときって、それぞれどんな時?」
<中略>
「『さん付け』されたくない人もいると思うよ」
なるほどー。相手を大切にしようと思って『さん付け』をするんだけど、相手によっては『さん付け』をされたくない人もいるってことね。ほーほー。
「私もみんなに訊きたいんだけど、今まであだ名や『ちゃん付け』で呼ばれていたんだけど、急に『さん付け』されたらどう思う?」
また出ました!子どもたちが対話を回す発言!6年生、p4cに慣れてきたねー、素晴らしい!
「そうだなあ。私は違和感ていうか、ちょっと変な感じがするかな」
「私は知らない人にだったら『さん付け』しても違和感ないなあ。友だちだったらどうかな。みんなはどう?」
「友だちになら、『さん付け』が嬉しいなあ、私は」
そして、対話を動かす子どもからの発言がまたまた登場。
「みんなに訊きたいんだけど、どういう時に『さん付け』に違和感なくなるの?」
「ぼくは、偉い人だとか尊敬している人に対してなら『さん付け』をするのに違和感ないなあ」
さらに、子どもたちは対話を動かします。もう、すごい!
「仲がいい人に対して、急に『さん付け』するのってどう?あるいは仲のいい人から『さん付け』で呼ばれるのは?」実際に『さん付け』する場合を想定した実践的な発言ですね。
この発言以降、慣例から見た場合の違和感について様々語られていきます。
<中略>
ここで私が「くん」「さん」といった呼称について歴史的な経緯、さらには性的マイノリティについてなど若干の解説を加えます。
「校長先生の話を聞いて、心は女性なんだけれど体は男性の人、あるいはその逆の人もいるんだなあって思いました」
「性別が定まっていない人もいる」
「体の性別によって『さん』『くん』を使い分けられたら、心は女性なのに『くん付け』されるってことになるよね。それはちょっとなあ」
「『さん』は偉い人たちに使うっていうイメージがある。いっそのこと、『さん付け』じゃなくて、『くん付け』にしたらいいんじゃない?」
「う~ん。偉い人に対して『さん付け』していいの?例えば、校長先生に『〇〇さん』っていうの?〇〇校長先生じゃなくて」
「『さん付け』は相手を尊重することになると思う」
ここでみたび私が発言。教務室でのエピソード※を披露しました。
※教務室でも教職員同士は『〇〇先生』ではなく、『〇〇さん』って呼ぶように提案したのです。
「先生方がお互いに『さん付け』するのがいいと思う」
「私もそっちがいいと思う」
「先生方以外でも、『さん』を付けて呼び合ったことがきっかけで仲良くなることもあるんじゃないかな。子どもだって『さん付け』は仲良くなるきっかけになることもあると思う」
「私は『くん付け』で呼んじゃうこともある。『くん』を付けているからって、相手を認めていないってわけじゃないけれど・・・。でも『さん付け』は『あなたを認めていますよ』ってきちんと伝えることになると思う」
教師も発言します。
「今まで『〇〇先生』って呼んでいたから、校長先生から教員間でも『さん付け』を提案された時にはやはり戸惑いました。『さん付け』する意義は分かるけれど、これまで慣習としてやってきたことを変えることは難しいと感じています。タイミングと、そして勇気が必要かなと思います」
この教師の発言を何と子どもが引き取ったのです!
「みんなは『さん付け』できるようになるタイミングってどんな時だと思う?」
「そうだなあ。飲み会とかで仲良くなってからとかがいいんじゃない?」
ちょちょちょ、ちょっとまさか君たち、『さん付け』する前に宴会しようってんじゃないでしょうねえ、ははははは。
「生活目標とかで『さん付け』を全校一斉に取り組むときとかがいいと思うよ」
以上、この日のp4cもノンストップで30分間くらいの対話だったかしら。
我らが6年生が4月25日に初めてp4cを体験してから早4か月。今回が10回目くらいになるのでしょうか、と6年生が言ってます。
途中意見を出す勇気がなくてずっと黙り続けてしまって、私に喝を入れられたのが遠い昔のことのようです。
対話の流れをご覧いただければ、ほぼ子どもたちだけで対話を回しているのがお分かりになると思います。君たち、大きく成長したねえ。感無量。
こりゃあ、教師はいらないかもね、とほほ。と言いつつ、頭の中で嬉し涙が流れ続けます。
文部科学省が提唱している「主体的・対話的で深い学び」の一つの形は、まさにこの日のp4cだと言えるのではないでしょうか。
とは言え、今日の問いである『さん付け』についてはまだまだ議論が乾きそうにありません。
この先何回か対話を行っていく中で、子どもたちは深い考え、広い考えに到達することができるのだと確信しています。
お見事、6年生のみなさん!またやろうね💛